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グリム童話考察⑬/豊穣神の二面性について

※あくまでもひとつの説です。これが絶対正しいという話ではないので、「こういう見解もあるんだな」程度の軽い気持ちで読んでください。
※転載は固くお断りします。「当サークルのグリム童話考察記事について」をご一読ください。

現代は暮らしが豊かになり価値観も多様化してきましたが、昔の人々にとっては豊穣と子孫繁栄が願いのすべてでした。
グリム童話「金のがちょう」をはじめとした「笑わないお姫様を笑わせたものは姫と結婚できる」という話は民話などでよく見られるパターンのひとつですが、これはそういった時代の願いが残されているとする考えもあります。

本当にむかーしむかし、まだシャーマンが祈りをささげていた頃の原始的な時代、笑いとは死者と反対にある生者特有のものと考えられ、子どもの誕生など「生」を願うときに笑う儀式を行なったりしたそうです。
またその頃、実は性行為が妊娠に結びついていると人間が理解していなかった可能性があるそうです……よく人類滅びなかったな。
で、それが農耕文化が出てくるあたりから、人類は妊娠の仕組みについて理解し始め、性行為だけでなく、性器を出すという行為が「生=豊穣」に結びつくと考えられていったんだそうな。
そのため農耕作業の際に畑で性器を出したりおせっせしたり、卑猥な歌を歌う儀式(「テスモポリア祭」)を行なったりしたんだとか。
(※上記はウラジーミル・プロップの説によります)

そんな風に「笑い」「性器を出す」が「生」「豊穣」になる伝承も多数残っています。
ギリシャ神話のデメテルが機嫌を損ね大地が不作となったときに、イアンベという女性が股間丸出しでギャグを言ってデメテルを慰めたそうです。
同じく日本神話のアマテラスが天岩戸にヒッキーした話も、その後アマノウズメという女の神様が半裸(というかほぼ全裸)で踊って周りのみんなが笑い、気になったアマテラスが岩戸からちょっと覗いた結果、脱ヒッキーさせられ地上に再び豊穣の光がもたらされました。
また、日本の民話にはこんな話があります。
母親と娘が船で川を渡って鬼から逃げようとしたところ、鬼が追いかけてきて川の水を飲み干そうとしたが、尼さんの「尻を出しなさい」との助言に親子が尻を出してプリプリ振ったところ、鬼はブッフォwwwと笑って水を吐き出した……と。
以前の記事でも少しふれたイタリアの民話集「ペンタメローネ」には「下半身を出して笑う」系の話が多数収録されていて、ばあさんと少年が口喧嘩をしキレたばあさんが服のすそをたくし上げて少年に股間を見せ付ける話(笑わないはずの王女がそれを見て笑う)とか、王様に窓から放り投げられて木にひっかかった裸のばあさんを見て妖精が大爆笑する話とかがあります……。

ところで豊穣神は冥界神と同一視されていたりもしました。豊穣神には豊作・不作によって人の生死を左右する力があるためです。
ヨーロッパの季節の区切りは基本的に「夏」と「冬」の二つだったので、「夏=豊穣神側」「冬=冥界神側」であるとも考えられました。
この豊穣神の二面性が表れているのが、ゲルマン人が信仰した「ホルダ」と「ペルヒタ」という女神です。
「ホルダ」は北ドイツで、「ペルヒタ」は南ドイツ~オーストリアで信仰されていたそうです。「ホレおばさん」というグリム童話はこの「ホルダ」のことだと言われています。
「ホルダ」も「ペルヒタ」もそれぞれ「美しいホルダ(ペルヒタ)」「醜いホルダ(ペルヒタ)」という二面性を持っていて、その二面性は「やさしさ」「厳しさ」であると同時に前述の「夏=豊穣神」「冬=冥界神」であるそうです。南ドイツ~オーストリアには「美しいペルヒタ」と「醜いペルヒタ」が戦う祭りが現存していて、豊穣側である「美しいペルヒタ」が勝つお約束となっているそうです。

民話でも「笑わない王女を笑わせる話」というのは、「笑わない=死者の世界にいる王女」を「笑わせる=生者の世界へ連れてくる」話であり、その方法には「豊穣」をもたらすもの(一例として性器を見せる、王女の寝室で何かする)が出てくる、という構図になっているようです。
「美しいペルヒタ」が勝つように、生と死の二面性を持った豊穣神(冥界神)を、「冥界神としての顔=不作側」から「豊穣神としての顔=豊作側」に引っ張り出そう、というイメージが背景にあるのではと考えられるということです。

余談ですが、この豊穣神・冥界神の二面性は現代人にも無縁な話ではなく、「冥府の力=本来人間の手の及ばないレベルの物事というのは、『よいこと』『わるいこと』が必ずワンセット」という普遍的な真理を表しているのかなと思っています。
よろしければこちらの記事もご覧ください。

Written by : M山の嫁