見出し画像

七夕とオシラサマのおはなし。 おまけで河童のおはなし。①

はじめに

 今なお広く親しまれている夏の風習のひとつに「七夕」があります。天上の世界では彦星と織姫が一年に一夜だけの逢瀬を待ち、地上では願いびとが想いを短冊に書きその成就を祈ります。人々は七夕の夜が晴れることを願いますが、もし雨が降れば川が増水して天界の恋人たちは次の年を待たなくてはならないのです。得てして七月は梅雨の季節、一年に一度のチャンスが雨で流れる事も少なくありません。なんでまたこんな時季に……と首を傾げてしまいますが、その裏には日本人と水との深い関わりがあるのかもしれません。

七夕伝説

 行事としての七夕のルーツを探っていくと、まず中国の「乞巧奠(きっこうでん)」という祭事に行き当たります。もともと中国では七月七日に願い事をする風習があり、それが次第に牽牛織女の伝説になぞらえられて、織姫の職能である裁縫(手芸)の上達を願う女性たちの行事へと変化していきました。
 いっぽう日本では、中国からこの乞巧奠という習慣が伝わるずっと以前から「水神(川の神様)が訪れるのを巫女が川辺の小屋で機(はた)を織りながら待つ」という祭事が行われていたようです。
 牽牛と織女のお話が中国から渡来した際に、この「機を織る巫女」と牽牛伝説の「織姫」が同一視され習合していったのではないか、という説があります。機織りをする機械のことを、棚が並んだような構造から「棚機(たなばた)」と呼んでいたため、中国の七夕が「たなばた」という読みを与えられたというわけです。
 また別の説によると、水神を待つ巫女が機を織る場所が川の上に渡した橋や、或いは水面にせりだした板だったということから、この橋や板のことを「棚(神への供物台)」と看做して、水辺の巫女を「棚機つ女(たなばたつめ=棚の上で機を織る女)」と呼んだといわれています。

 牽牛織女の伝説は、もともと天上に輝く星座の世界のお話、すなわち古代中国における神話だったわけですが、日本や東南アジア諸国の伝承に目を向けると、「天人女房」といわれるようないわゆる羽衣伝説と、七夕の物語が強く結びついていることがわかります。
 日本における伝承では、
 ①男が水浴びに来た天女の着物を隠して夫婦となり子を成すが、何年かのちにその衣を発見した女房が天へ還る。
 ②残された夫は瓜やひょうたんのつるを伝って天へと登り、女房の父親から難題を課される。女房は夫が難題を解決するために様々な助言をする。
 ③最終課題で瓜畑の世話を言い付かった夫が、妻の教えを守らず瓜の切り方を間違う。瓜からは大量の水が流れ出て天の川となり二人を隔てる。
 というパターンが多くみられます。天界へ行く方法や女房が助言する内容、後日譚などには様々なバリエーションがあるようです。
 羽衣伝説に類する伝承は世界各地に存在しますが、ラストが七夕の風習と繋がっているのは東南アジア地域の特徴といえます。恋人たちは海や川といった「水」で隔てられ、それが天の川と星々にまつわる神話に繋がっているのです。

 動物と人間との結婚が主題に据えられている民話や伝承などを「異類婚姻譚」と呼びます。天人女房の類話を西洋に求めると、人間から白鳥などへの変身を経て天界へと去っていく、という展開が多くみられます。日本の伝承でも「鶴女房」などのように相手の正体が鳥そのものであることはしばしばで、天女の羽衣も鳥の羽根を象徴しているのは明らかです。つまりこの話群においては、鳥と人間の結婚がテーマになっているわけです。
 異類婚姻譚には他にも「蛇婿系」などの様々な話群がありますが、実はこの蛇婿系にも七夕のエピソードが入った伝承があります。御伽草子にある『天稚彦草子の物語』では、一夜杓という魔法の柄杓を地面に埋めると一晩でひょうたんのつるが伸び、地上に残された娘が夫を探して天界に旅立ちます。そしてラストはよく知られた七夕のエピソードへと繋がっていきます。 日本でも広く伝えられている「天人女房」と「蛇婿」、この両方のタイプに七夕伝説の影響がみられるのは面白いところですが、さておき「ひょうたん」とか「柄杓」とか、西洋の昔話と比べると、登場する魔法のアイテムが少々風変わりに感じられないでしょうか?

 民俗学者の柳田國男は呪具としての杓子(おたま、しゃもじ)の役割に注目し、各地から資料を集めて研究しました。それによると、杓子は古来から「巫女」と深いつながりがある道具だと考えられるのだそうです。
 建国の祖、神武天皇の母とされる玉依姫(たまよりひめ)は「魂」を「よせ」る「女」という意味ですが、玉依姫を祀る神社のいくつかでは杓子に関連すると思われる行事があるそうです。山形の羽黒神社では女性たちが「しゃもじゃ節」を歌って舞を奉納し玉依姫を喜ばせます。また京都の河合神社では手鏡絵馬を奉納し女性の美を祈りますが、この絵馬も形からして元は杓子だったのかもしれません。
 さて、この「魂(たま)」を「よせる」とはいったい何なのでしょう。柳田國男によれば、杓子とは「魂を集めるための道具」なのだそうです。台所にあるあの「おたま」で魂をひょいっとすくう……そういうイメージでしょうか。ではいったい「どこ」から魂をすくって「どこ」に移すのでしょう。
 神話における玉依姫は、豊玉彦(海神=わたつみ)の娘であり、もともと水と深い関わりのある神さまです。玉依姫は「最初の人間」である神武を産むのですが、これはつまり彼女が、水辺で「神という見えないもの(=霊魂)」を身によせて、人間として現世に生みだす「容器」の役目をしていることを意味しているのです。その際の容れものとしての形状が「杓子」というわけで、ここでつまり玉依姫=「おたま」そのもの、と言い換えてもよいでしょう。
 日本では、祖霊(或いは神さまの魂)というものは水の向こう側、すなわち遠い海の彼方や或いは川の上流にあり、魂は潮の流れや川の流れに乗って岸辺によせてくるものだと考えられていました。この背景には、いろいろな漂流物が海の彼方から流れつく島国としての文化があると思われます。あるいは、自らが潮流にのって島々を渡ってきたという遠い昔の記憶が、心の奥深くに残っているのかもしれません。
 古代の人々にとって「子を産む」ことは祖霊の魂に肉体を与えることであり、その根底には魂の再生思想が存在しています。その思想の中では、人間はどこからか無限に沸き出でてくるようなものではなく、死んで魂となりあの世へいったあと、女性の体を通過して新たにこの世に「生まれなおし」ます。
 そのような水の記憶と再生思想という精神的背景の中で、生活用具であった杓子と女性そのものの機能が同一視され「子を産む=水を汲みだす」というイメージが生じたのではないでしょうか。玉依姫が日本人の始祖の母親であり、今も女性の神として祭られているのは、名前が表すような理由がきちんと存在しているのです。魂が流れる「水(川や潮流)」から祖霊をすくい取って、人間として新たにこの世に生み出す、それこそが古代における「女性」の役割であり、玉依姫はそういう女性のシンボルとして日本神話の中に置かれていたわけですね。

(続)