はじめまして、そうでなくともご挨拶を。

ごきげんよう。原田檜と申します。

自己紹介をします。

わたしは一介の学生なのですが、その地位を堪能しているとは言い難い人間です。学校が合っていないことも相まって、気張って学校へ通っています。もちろん、気概の持てないときもあります。大体のケースでは踏みとどまっていますが、本心でダメだ、と思ったときには保健室を利用しようと思っています。

高校や大学には学校見学やオーキャンなるものがありますが、あれってまじで意味ないよね。飾ってしまったら本当の性格がわからないよって思います。もてなす側も意気揚々としちゃって、いつも世界に発信する自分、ではないデータ(言動)を発信している。スペシャルな自分を公然化するのです。

直感を大事としているわたしは、学校が合わないと見抜けなかった自分を責めていた時期がありました。どうして、"なんかやだ"と思えなかったのだろうと。

しかし、入ってしまったものは仕方ない。どんな生徒が一緒に入学するのかは未知だったのだし、苦しい思いをしてなにも得られないのなんて御免だったから、卒業まで粘るつもりです。そう、気持ちを切り替えました。というか、いつのまにか自分を許していました。


最近考え事をしました。

内容は、本当の透明って?ということです。白は色だから透明じゃない。黒も同様。ならば、透明とは?

透明を想像したとき、ガラスか何かの向こうに物体が在るのが頭に浮かぶ。じゃあそれをなくしたら?色にフォーカスして、物体をなくしたらなにが残るの?

分からなくなって、頭がキャパオーバーで、考えるのをやめました。

なにが言いたいかというと、絶対的な存在ばかりではないんだなということ。何かを頼りにしないと存在の主張ができないのもあるんだなという発見でした。

人間はどうなのでしょうね。世の中に蔓延しているセクシャリティなんかは透明と同じような仕組みでしょうか。

わたしのセクシャリティはわかりません。分かろうとも思うわなくなってきてしまいました。

前は不定性といっていたのですが。

わたしとしては性別って別にいらないんじゃないかなと思います。確かに、誰かの発表に対して、性別という情報があるのは大変推測に便利ですが、その推測が通用しない人たちが今は声を上げている。そういう世の中ですから。

自分にとって特別なものとしての性別、を持つのは大変困難です。なぜなら性別は相対的なものだから。自分の中に絶対的なものを持つのは困難。

可愛くなりたいから女の子に、男の子に、かっこよくなりたいから中性に、それは結局、俗世の常識や慣習からくるものが入っていると思います。

世の中のイメージを、なりたい像のために利用してはならない。

かわいい女の子になりたい、かわいい男の子になりたい、かっこいい中性になりたい、ならまだわかるのですが。



なんて、色々考えています。

もうそろそろ寝る時間がやってきます。

おやすみなさい🌟



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?