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未来のスキルを養うための日本文学#2「松尾芭蕉とフィクションを作る勇気」

日本文学から学ぶ「未来のスキル」。前回は川端康成の「魔界とSDGs」。チャンスを見出すための社会的洞察力の話を綴りました。

今回は、「発想の豊かさ」と松尾芭蕉についてです。「発想の豊かさ」は未来に求められるスキルに入っていますし、「発想の豊かさ」をほしい人は多いのではないでしょうか。

松尾芭蕉は、江戸時代前期の俳諧師(はいかいし)で、日本最高峰の俳諧師の1人として知られています。『おくのほそ道』などは読んだことがある人も多いのではないでしょうか。

発想の豊かさを獲得するためにはこの、松尾芭蕉という稀代のアイデアマンの考え方は非常に参考になります。


存在しないものを存在させた

「豊かな発想」と簡単には言えますけど、これを獲得するのは本当に難しいと思います。そもそも、正解を出すことを求められてきた小中高の教育の中では、「豊かな発想」というのは鍛えられないと感じます。

では、日本人で「豊かな発想」を持っている人は誰なのか?となった時に、やはり芭蕉ではないでしょうか。もちろん現代の有名な起業家やビジネスパーソンにも「豊かな発想」を持っている人はいます。しかし、日本人の「豊かな発想」の先駆者は芭蕉ではないかと私は思います。

芭蕉の有名な俳句に、『古池や蛙飛びこむ水の音』という有名な俳句があります。古池はそのまま池。蛙はカエル。

古来、和歌の世界では蛙はその鳴き声が詠まれることをルールとしていたのですが、芭蕉がこれを「飛び込む水の音」としたところに俳諧として、独創があると言われています。

で、この俳句の驚くべきポイントは、芭蕉がこの句を古池の前で詠んいないということです。笑

そう、実はこの古池は後から「古池があったことにしておこう!」と芭蕉が付け足したんですな。

「発想力の豊かさ」を鍛えるためには、いわゆる「フィクションを作れるかどうか」ということが非常に重要なステップと言えます。

今、目の前に〇〇はないけれど、「ここに〇〇があったらいいよねー」というクリエイティブなアイデアを出していくことが、今の時代重要になっているんですな。


フィクションからノンフィクションへ

そして、芭蕉のさらにすごいところはフィクションをノンフィクションに変えてしまったということです。

芭蕉が『古池や蛙飛びこむ水の音』を詠んだ時は古池が無かったのですが、後世にこの句を詠んだ人が、実際に芭蕉が詠んだその場所に本当に池を作ってしまったのです…!!

凄いですよね。つまり、イケてるフィクションは誰かがノンフィクションにしてくれるということです。

これはビジネス的な観点で置き換えることができます。

例えば、Googleが採用している人材開発方針である「OKR」。OとKRで意味が分かれており、O(O bjective)は定性的な目標。KR(Key result)はOを計測するための、定量的な成果指標です。

例えば、

O→理想の体型を手に入れ、異性からモテまくる
 KR→①8月までにBMIを21にする。②8月までに体脂肪率10〜12%まで絞る。③週に5回はジムで20分の有酸素運動をする。

みたいな感じ。

Oはフィクションに近く、 KRはそれをノンフィクションに近づけるためのものという見方ができますよね。

その上で、海外の企業はフィクションを作る力が強く、日本はノンフィクションを作る力が弱い傾向があります。海外の企業に勢いがある理由は、ここにもあるのではないでしょうか。

古池がないのに、「古池や」ということが日本の象徴的な文学として存在していたのに、ビジネスになると、そのことを忘れてしまうキライがあると私は思います。

古池がないところで「古池や」というと、「古池とかないやん」と言ってしまうのが日本の空気感ではないでしょうか。

そんな文化をこれからは「芭蕉もここに古池あるといいよねー、って言ってたし」という文化に変えていけると、クールジャパンに兆しが見えてくるのではないかなと個人的に思っております。

芭蕉はそのような動きをエンパワーしてくれる存在だと思っていますし、芭蕉のようにたくさん足で歩いて(行動して)フィクションを作っていくことが重要であると考えます。


壮大さと平易さを兼ねた「かるみ」

芭蕉の『おくのほそ道』を見ると、芭蕉の俳句が上達していくことが分かります。しかし、上達していくとともにレベルが高く、何を言っているのか分からなくなるという現象が起きます。笑

よく、概念的で難しい言葉を使って人に説明する人がいますが、あーいう感じです。

そこで、概念自体は非常に高みにある、けれども、それをもっと簡単に、誰もが理解できるように表現しようという境地にたどりついて生まれたのが「かるみ」という表現です。

「かるみ」の象徴とした有名な芭蕉の句があります。
「木のもとに汁も膾(なます)も桜かな」というものです。

「汁も膾(なます)」とは「何もかも」という意味でして、ベタな慣用表現です。文字通り、何もかもが桜まみれになっているという意味です。花見の情景が浮かんできますよね。

こういった、壮大なイメージを平易に伝えることを芭蕉は「かるみ」と表現しています

例えば、これをビジネスに転換すると、例えば「人類を月に移住させる。その一環としてロケット事業をやります!」となると、これは「かるみ」になると思います。

つまり、難しいことを具体的に分かりやすくする、ということです。

では、「人に分かりやすく伝えられないことや端的に伝えられないアイデアは大したアイデアではないのか?」と言われると、ぶっちゃけそうだと私は思います。

今後は、「このアイデアには“かるみ”がないから、別の視点で考えてみた方がいい…」という考え方がビジネスの中で必要になってくるのではないかなと思っています。現に成功している、または、波に乗っている企業などには「かるみ」が存在していると思います。


まとめ

いかがでしたでしょうか。松尾芭蕉と「発想の豊かさ」との関係はとても強いものだと感じてもらえたでしょうか。

説明やアイデア出しはAIにでもできますが、「かるみ」をもたせることは人間ならではのスキルだと思います。

なにか自分でビジネスを始めようと思っている方や、会社に勤めている方は、芭蕉のフィクションを作る勇気や「かるみ」を参考にして、クリエイティブなアイデアを具体的に分かりやすい形にしていってみてください。


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