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ジオとコミュニティと私

これは FOSS4G Advent Calendar 2020 の10日目の記事です。

先日、ジオ展というイベントの基調講演で、位置情報技術者になるきっかけや、コミュニティを始めたこと、そして Code for Japan を始め現在に至るまでの振り返りをいたしました。インタビュー等で良く聞かれることでもありますので、note でも記録を残しておきたいと思います。

スライドはこちらです

ほぼ、UDトークでのテキスト起こしそのままなので、長いです。

動画の講演も残っていますので、映像で見たい方はこちらをどうぞ。

結論だけ読みたい人へ

結論だけ短くいうと、こんな感じです。

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最初に書いておきますが、UDトークによる記録を元に読みにくいところを編集しているので、長いです。また、ジオ系のイベントでの発表なので、少々業界用語も含まれてしまっておりますのでご了承下さい。

それでは、参りましょう。

自己紹介

ジオ展、今回オンラインということで開催おめでとうございます。大変楽しみに参りました。

今日ね、何話そうかなと思ったんですけど、ジオとコミュニティと私というお題で、ジオメディアの話とかコミュニティの話とかいうことをいろいろと皆さんに自分語りをさせていただこうかなと思ってお時間いただきました。ありがとうございます。
小山さんもだいぶ長い付き合いですけれどもこのような場をいただいて本当にありがとうございます、
私は今3つ会社をやっておりまして、一つはGeorepublic Japanという会社、これがまさにジオのオープンソースのGISの会社ですね。
あとはHackCampという企業向けのオープンイノベーション支援みたいなことやったりしています。
また、Code for Japanという行政×ITコミュニティのコミュニティをやっています。
あとはCIO補佐官を最近拝命していたりとか、右にある自治体のような、神戸市とか東京都、浜松市、西粟倉村ってところのアドバイザーみたいな形でお仕事していたりもします。

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なんでこんなに多くのことをやっているかというと、一つはですね、オープンコミュニティでより良い社会を作りたいなと思って活動しています。そのために場合によって箱を使い分けてるみたいなことをやっております。
そもそも私は中学生のときにですね、MSXというものを父親に買ってもらって以降ですね、ゲームを作ったりとかパソコン通信したりとか、そういったようなふうにですねどんどんコンピューターが好きになっていたというキャリアあるんですけども。こんなゲームを作ったりしたわけですね。それが結構きっかけになって、プログラミング自身がやっぱ好きだなと思ってますし、今でもコードを書いたりしますという感じです。

コミュニティの原点と、地理空間情報技術との出会い

今日コミュニティの話しようかなと思ったときに、僕のコミュニティの原点って、特にオープンソースコミュニティの原点ってなんだろうなと思っていろいろ調べてみたらですね、
2003年の11月の、いわゆる勉強会でですね、ライトニングトークをやったっていうのが多分一番最初のコミュニティデビューといわれるものだったかなと思います。Ploneていうですね、Zopeで作られたCMSみたいのがあるんですけど。
それを使って社内ポータルを作ってたんですけど、その勉強会に申し込んだら、「何か発表してください」って言われて。「えっそんな、人前で発表なんて」って思ったら「5分でいいですから」って言われて、初めてプレゼンテーションをしたというのがきっかけだなというふうに覚えています。
そのあと、GPS搭載端末が普及してきた頃にですね、これ何かすごいことが起きそうだということで、位置情報の連動広告を当時開発していたシリウステクノロジーズという会社に入るわけです。
これでいわゆるモバイルとGPSですね、その二つのツールというのがやっぱすごい強力だなというふうに思ったというところです。
とはいえですねちょっと早すぎたんですね、シリウステクノロジーズ。位置情報連動広告って、なんかこう、まだメディアが全然ない。広告配信サービスなのに媒体の方が少ないみたいなことだったんですね。
なので、どうしようかな、と社長といろいろ話す中でですね、勝手に研究所を立ち上げて、ジオメディアサミットというイベントを始めたわけです。このときに小山さんと出会うわけですけれども、結構このコミュニティを運営したことというのは、実は今のところに結構繋がってるなっていうふうにも感じます。このときの目的というのがジオメディア業界をとにかく盛り上げようということで、オープンにやりましょう、と中立でやりましょうと、特定の企業を代表しないということです。
あと交流を重視しましょうということで、よくその当時は懇親会こそが本番ですみたいなこと言ってたの覚えてますけれども、そんな感じでいろいろ進めていったのが結構盛り上がったんですね。多分今日来ている方でも覚えてる方いらっしゃるかもしれないですけど、一時は300人以上も参加するようなフリーカンファレンスに成長しました。
今でも公共交通版みたいな、交通ジオメディアサミットみたいなこともやられてますね。一方ですね、僕の働いてたシリウステクノロジーズはヤフーに買収されることになりました。このときに実はこういうコミュニティをやっていてなんとなく業界のリーダー感があったみたいな。すごい小さい業界でしたけどね、位置情報連動広告って。そういったことも買収には良いイメージで作用したのかなというふうにも思ったりしてます。

オープンソース仲間と起業

で、2009年ごろにですね、当時オープンソースコミュニティで出会ったダニエルとアントンというメンバーと一緒に、未踏人材発掘育成プロジェクトというものに採択していただきました。「オープンソース技術を活用したモビリティマネジメント基盤の構築」ということで、これで半年ぐらいこの基盤構築をさせていただいたんですね。
これが元になって会社を立ち上げることになるんですけど、その当時会社には副業禁止規定というのがあったんですね。まだシリウステクノロジーズがヤフーに買収される前ですね。多分ヤフーに買収されてからだと多分もっと難しかったと思うんですけど、その当時はまだいわゆるスタートアップのベンチャーでした。
副業禁止規定あるなと、どうしようと。皆さんだったらどうしますか?この時に。
僕がやったのはですね、単純に聞いてみたっていうことです。副業していいですか?と。こういう未踏という素敵なものに受かった。オープンソースでいろいろ公共交通の課題を解決したいと思っている。みたいなことを社長に言ってですね、でも副業禁止規定ってあるけど、本業のドメインと違うから、このままいくと僕は辞めるかしなきゃいけないみたいな。それでも副業やりたいんですけどって言ったら「いいよ」って言われたんですね(笑)。(この規定は)ただ元のテンプレートに入っていただけだから、原則としてって書いてあるし、全然認めますよ。と言われて「何だ。何かルールって変えられるんだな。」というふうに改めて感じたというのが実はこの経験だったんですけど。で、Georepublicという会社を立ち上げます。
34歳なんですね、初めて起業するわけです。
当面はですね副業的に活動しつつ、最終的にはのちのちのいろんな震災後の活動とか踏まえて独立をすることになります。

東日本大震災をきっかけに、行政のバグに気付く

で、これがsinsai.infoですね。

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東日本大震災があったときにこのプラットフォームというのを当時オープンストリートマップのコミュニティメンバーと一緒に作ったということが、結構大きなきっかけだったなというふうに思っています。今Georepublicで一緒に働いてる東さんていう人がですね、(ハイチの震災のときに使われた) Ushahidiっていうプラットフォームを自分でいろいろローカライズするために、ローカルにインストールしてたんですね。
それを使えば、ハイチでと同じようなことができるんじゃないかということになって、このsinsai.infoっていうのを立ち上げることになったと。これは震災の当日に立ち上がったんですけど。
そんなような感じで、いわゆるGISの技術を使って社会課題を解決するみたいなことがもっとできるんじゃないの?みたいなふうに思って活動し始めたわけです。
でいろいろやっていく中で気づいたのが、行政とか自治体ってシステムのデザインがすごく下手だなということですね。
私はエンジニアだったので、もっといい設計ができるのになんでこんなシステム使ってるだろうとかですね、もっとデータ使ったらいいのになとかですね、もっとオープンソース使った方が全然いいのにみたいな、みたいに純粋に思ったんですね技術者として。その中でですね、何かできないかなあというふうにぼんやりと思い始めたわけです。

伽藍とバザール

そのビジョンというのはエリックレイモンドさんの伽藍とバザールっていうのを結構参考にしていて、いわゆるLinuxの開発スタイルを評したエッセイなんですけど。
当時のWindowsと当時のLinuxを比べてですね、Linuxの方が進化が早いよみたいなことを言っているんですけど、伽藍は大聖堂ですね、バザールは市場です。
大聖堂ってのは綿密に設計をして長期間でリリースするみたいなことで、バザールはLinuxの開発スタイルのようにいろんな人がどんどん参加してオープンに開発されていくというというスタイルでした。
それを比較して、もちろん両方良い作品だから両方生き残ってるんだと思うんですけど、伽藍の場合はですね、綿密な計画を立てて堅牢な設計をして、中央集権型で、長いリース期間を経てようやくリリースされる。
一方Linuxとか(バザール)は変更を受け入れて自律的な小集落がとにかくいろいろ動いて早めに細かくリリースをするというようなスタイルであると。こういう違いがあるよねと。
それって今の自治体のシステムそのままだなと思ったんですね、国がいろいろ決めるんですけど、自治体がそれぞれシステムを開発してですね、伽藍のようですね、1年に1回単年度予算で作ってですね、継ぎ足し継ぎ足ししていくと。
特に、利用者側はシステムに全く触れないし、自治体同士での知恵の共有もしないと。
これって無駄だよねというふうに思いました。伽藍モデルの課題って、変化に弱いんですよね。震災が起きたとか、コロナウイルスが発生したみたいな時に、柔軟な対応ができなくなります。で、一つの組織にノウハウがたまってしまう。自治体ごとにサイロ化されたノウハウがたまっていって、システム間の情報も共有できない。なので今回給付金が遅れたみたいなことに繋がるわけですよね。
利用者側は手を出せない。もっとこうあったらいいのにっていうものに対して、文句を言うぐらいしかできない。もしくは議員さんを通じて何か陳情するみたいなことだったりするんですけど、「Webサイトが使いにくいんですけど」みたいなのは、お問い合わせから何か送ったところで多分改善されないわけです。
というわけで、これ伽藍モデルの悪さが完全に出てるなあというふうに感じました。そこで思ったのは、行政の仕組みにバザールモデルって適用できるんじゃないの?ということ。

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僕の中でのリサーチクエスチョンみたいなものですけれども、これをひたすら、今でもやっているというところがあります。
これ、別にITだけの課題ではなくて、都市構造とか都市設計にも通じることだったんですね、後々知ったんですけど。
都市はツリーではないっていうですね、クリストファーアレクザンダーさん、技術者はパターンランゲージという言葉で馴染みがあるかもしれないですけど、その方がですね、ツリー構造とセミラティス構造について話をしています。「都市はツリーではなく、ツリーにならず、ツリーにしてはならない」って言っていて、当時のブラジリアとかですねすごく中央集権で設計して作った街がすぐに荒廃してしまったみたいなそういったことを紐解きながらですね、ツリーというのはまさに中央集権型で設計してゾーニングしてですね、もうここにはこれ、こういったお店を作るみたいなことをしっかり設計してダブリがないように作る。一方セミラティスっていうのはバザール型で、オーバーラップもあるしすごくワチャワチャしてるんだけど、段々と街が形作られていくみたいな、だんだんパターン化されていってその後のイメージができていく。で、左側のセミラティスの方がいいって言ってるんですね。
まさにこれだなと思ってなかなか興味深いなと思ったりしました。ていうことで、上から下だけじゃなくて下から上も含めてサービスを市民と一緒に作って、自治体間で公開して共有することができたらいいじゃないかということでいろいろ活動し始めました。

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Code for America との出会い

とはいえですね。そんなこと言ったところで誰も話を聞いてくれないわけですよね。意味わかんないですよね普通に。多分技術者にはわかるかもしれないですけど、これを行政の人に言ったってポカンとするだけなわけです。コネもないしですね、お金もないし、人もいないし何から手をつければいいのかみたいなことをいろいろと悶々としていたのが、2012年頃でした。
そんなときに、ジェニファー・パルカさんの「コーディングで良い政府を作る」っていうTEDトークを見たわけです。

この方はCode for America という組織のファウンダーですけれども、2012年、ちょうど僕が悩んでた頃にですね、「政府をインターネットのように運営できないだろうか?インターネットはオープンで許可を待つ必要がない世界です」とか言ってるんですね。

おおすげーかっこいいなというふうに思いまして。
そのプレゼンの中でもですね、オープンストリートマップを使ってですね、消火栓の雪かきをすると名前がつけられるっていう、いわゆるゲーミフィケーション型の助け合いで消火栓の雪を市民で除雪していこうみたいなプロジェクトだったんですけど、これが結構使われてるみたいなのがあって、いやこれ本当面白いなと。こういうやり方日本でもやってみたいなというふうに思いました。
で、Code for Americaの人がたまたまパーソナルデモクラシーフォーラムっていうニューヨークでやっていたカンファレンスで登壇するというので、会いに行きました。
ジェニファー・パルカさんではなくてその当時COO的な役割をしていたキャサリン・ブレイシーさんという人がいたのでちょっと講演の合間に15分だけ時間くださいって言ってアポ取って聞いてみたんですね。
「私は震災サポートの活動をいろいろやっていて、Code for America の理念にいたく共感したので、何か日本でやってみたいんだけどどうしたらいいですか」って聞いたんですが、例えばライセンス料がとかですね、こういうルールを守ってくれとかですね、何かガイドラインが、とかいろいろ言われるのかと思ったんですが、全然そんなことなくて、"Why not?"って言われたんですね。

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真ん中の人がキャサリンさんで、(こういう活動は)シビックテックって言うんですけど、そのシビックテックの考え方というのが日本で逆にどうやって広がっていくか大変ワクワクしているので、ぜひ始めて教えて欲しいと。ちょうどグローバル展開のネットワークコミュニティを作ろうとしていたから、むしろどんどん先行してやって、それをもとに我々も考えるから、ぜひ教えてくれって言われて、「おお、すごくインターネットウェイだな」と。まさに許可を待つ必要がないみたいな話を地で行ってるなと思って、帰ってきてCode for Japanを立ち上げた、というのがCode for Japan立ち上げの背景ですね。2013年でした。

皆とともに作ってきた Code for Japan

とはいえですね、引き続きお金もないし人もいないわけですよ。
アイディアとかノウハウはなんとなくCode for America からですね、輸入してこれたんですけど、いやどうしようかなというときにやっぱりコミュニティだろうということで、「ともに考え、ともにつくる」っていうコンセプトのネットワーク形の組織というのを最初に構想しました。
もう最初からですね、「興味ある人は集まれっ」て50人ぐらい集まってワークショップをやってですね、そこのメンバーと一緒に作っていったんですけど、「ともに考え、ともに作る」っていうのは、従来の公共サービスの形に対してのこと言ってるんですけど、市民が行政に対して要望や苦情を言いながら、公共サービスを受ける、要は税金払ってんだから公共サービスを受けられて当たり前だよねっていうような、そういう感覚ではなくて、ともに考え、ともに作っていきましょうと。課題って行政だけで解決できるわけじゃないんだから、市民と行政と、大学、企業、NPO、いろんなプレイヤーで一緒にアイディアを考えるし、手を動かす。データ活用してみましたとか、テクノロジーを使うとこんなことできますみたいに、やってみましたとかですね、プロトタイピングしてみたんでこういった方がいいですよねって行政に伝えていったりとかこういったことをどんどん共にやっていけるといいんじゃないかなということで活動をしています。

全国約80地域ですねCode forなんとかっていう組織があってロゴから全部違うんですけど、それぞれボトムアップの組織なので自らの地域協力するための活動をやっているというのが現状です。
これはこういう構造がグローバルにもあってですね、Code for Japan は Code for All っていうグローバルパートナーシップのメンバーでもあるという形ですね。
我々も世界からですねいろんなやり方を学んで、特に台湾からですねいろんなことを教わってるんですけど、どんどん進めているという形です。
お金がないならないなりにできることをやっていけばいいじゃんということで、勝手プロジェクトを、僕だけじゃないですけどもいろんなコミュニティメンバーがやりまくってきました。例えば初期の頃はですね、税金の可視化をする Where does my money go? っていうのが結構いろんな地域で流行ったりとか、あと選挙のときは選挙候補者のオープンデータを作ってそれがFacebookで使われたりとかですね、あと震災時に印刷できる地図がすごく重要になって、綺麗に印刷できるマッププロジェクトみたいなものであったりとか、もうこれだけじゃなく本当にいろんなプロジェクトが生まれています。

Build with, not for 

各地域でもですね、例えば Code for Sapporo が保育園を検索できるマップっていうのを作って、それがオープンソースになって全国20ヶ所以上に広がったりとか、あと5374っていうのも結構話題になりましたけど、地域でもいろんなアプリが生まれたりとか、あとワークショップやってったりとかという形で広がっていきました。

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Build with, not for っていうのが結構僕好きな言葉なんですけど、サービスっていうのを誰かのためだけに作るんじゃなくて、一緒に作る。それによってより使いやすいものができるし、より当事者に寄り添ったものができるよねということで、この保育園マップは写真に写ってる久保さん、GIS業界でもですね結構北海道とかでコミュニティやっているのでCode for Sapporoとかで結構有名なので、知ってる方も多いかもしれませんけど、久保さん自身が子育てのときに悩んだ、「保育園見つけにくいよね」っていう、その課題っていうのを他の人が協力して作ってそれが全国に広がっていったっていう。このあり方自体がやっぱりシビックテックの素晴らしいところだなと改めて思ったりします。

オープンソースへの投資は知的資本の蓄積につながる

コロナ禍でもいろんなアクティビティをやっています。
東京都のこの新型コロナウイルス感染症対策ダッシュボードってのは大変有名になりました。先日グッドデザイン賞の金賞もいただきまして、大変評価されてありがたかったなと思います。
他にも、今すごく見られてるのが真ん中の新型コロナウイルス対策ダッシュボードで、これはCode for Sabaeの福野さんが作ったやつですけど、これ、カラム地図ってのを使ってますね。これはこれで面白いんですけど、病院の満床率が一目でわかるというもので、今見ると大阪が黒くなってんですけど。あとはテイクアウトの検索サイトとかですね、アイディアボックスとかいろんなものが生まれています。

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いろいろやってきて感じるのは、オープンソースへの投資ってやっぱ社会的な知的資本の蓄積に繋がるなということです。
細かくはこのノートを書いたんで検索してみていただければいいかなと思いますけど、作ったものオープンソースで公開するということは、他の人の知恵に繋がるし、ノウハウの共有にも繋がるんで、やっぱり積極的にやった方がいいよなと言うふうに改めて思いましたし、実例として東京都のサイトができたのは良かったなと思っています。東京都で作ったサイトが他の地域にも使われてますし、東京都のサイトに対して、いわゆるさっき見せた自治体と市民の図ですけど、市民からサイトに対してGithubのコントリビューションをしていただくみたいなことがあったので、まさに思っていたことが少しですけど実現できたかなというふうに思っています。

コミュニティ活動もですねコロナ対応を機にですね、本当に急拡大しています。以前Slackはですね500人ぐらい我々メンバーいたんですけども、4000人を超えています。今さっき見たら4300人ぐらいいましたね。
シビックテックっていう言葉がだいぶ市民権を得てきたなあというふうに思っていますし、いろんなプロジェクトも生まれてきています。皆さん興味あったらぜひ入っていただければ。誰でも入れますんで、嬉しいなというふうに思います。

Georepublic でやっていること

一応ですね、こういう話をしていると「関さんもうGeorepublicやってないんだね」って言うふうに言われるんですけど、やってます(笑)。
ということで、Georepublicの話もちょっとだけさせてください。
今従業員が20名弱いてですね、結構外国人も多くて、いろんなプロジェクトやっています。
その中でも MyCityReport っていうですね、いわゆる道路の破損とか落書きとかをレポートできるアプリですけれども、千葉レポというものが前身になっていて、東京都、千葉市ほか13自治体に拡大しています。もし自分たちの地域でこれ入れたいっていう自治体の方が聞いてたら、ぜひお声掛けいただければと思いますし、インフラ管理系のシステム開発とかも結構やってます。点群を使った情報を見える化するとか、あと大学の研究開発も最近増えてきております。いろんなことをやっておりますのでもしお仕事のご依頼ありましたらですねお声がけをいただければと思います。

振り返ればジオとコミュニティがあった

そろそろまとめるんですけど。
結局、振り返ればですね、ジオとコミュニティがあったなと。この二つがなければ多分僕は今こういうことを話してないと思います。

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オープンソースコミュニティのガバナンスって、今これから必要とされている自律分散型社会とか、企業もそうですね、自律分散型の会社とかのあり方に対しても本当に参考になるし、実際私も(関わっていて)すごいよかったなと思ってます。

で、GISってのは地域の課題解決のツールとして世界共通なんですよね。僕らがやったもの中にもですね、やっぱり世界のものを参考にしてやっているとかですね、あと各地でGTFS系の、公共交通の話とかもあれ、GTFSっていうのはそもそもグローバルの標準ですから。やっぱああいったものが使えることで、日本でもいろんな先人の試行錯誤の上に乗れるってのはすごいなあと思っています。
あとオープンソースってさっきもちょっと言いましたけど、知的資本が社会で蓄積されている姿だと思ってます。なので世界中の知恵と経験にアクセスができたということはいろいろ活動する上で本当に助けになりました。
何よりですね仲間と社会変革にチャレンジできるってのは大変楽しいなというふうに思っています。普通に会社の箱だけやってたら多分こんなことできないんですね。

やっぱり一番最初にですね、オープンソース仲間と未踏プロジェクトに応募したということが全てのスタート地点だったかもしれませんし、もっとさかのぼると、ライトニングトークに手を挙げたということ、そこがもしかしたらターニングポイントだったのかも知れないなというふうに改めて思います。
なので、何に繋がるかわからないので、ぜひこのジオ展を見ている方もですね、なんかオープンソースコミュニティとかにもう気軽な気持ちで参加いただいて、ぜひ発表をですね、アウトプットするといったことを通じていろいろとチャレンジしてもらえればいいなと思っています。

これで最後ですけど、結局我々がいろいろやってるのも、次の世代により良い未来を残すため、なんじゃないかなというふうに思っています。
この右の写真は私の娘ですけれども、皆さん多分いろんな仕事をされてると思うんですけど、その結果ってのはやっぱり未来を作っていくことだと思うんですよね。その一つのあり方として、もう今の時代は会社だけでやらずにですねいろんなコミュニティとかですね、Code for Japan もそうですけど、副業とかいろんな形で地域作りとかですねそういったことに貢献できる時代だと思います。何か始めようかなというふうに思っている方が居たら、ぜひご相談やお話聞かせていただければなというふうに思います。
僕はオープンオフィスっていうのを、毎週水曜日やってますんで。
よかったらですね、ぜひ誰でも参加できますので参加いただいて、何かやってることとかを聞かせていただければ嬉しいなというふうに思っています。
はい私からは以上になります。お時間ありがとうございました。

講演は以上です。1万字越え!最後までお読みいただきありがとうございました!





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