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sinsai.info からの10年

東日本震災から10年が経過しました。いろいろなところでお話していますが、私が今のような、社会課題を技術で解決するようなことに挑戦しているきっかけは、間違いなく東日本大震災です。

これまでのことや、できたこと、できなかったことを記録しておきたいと思い note を開きましたが、さて、何から書き始めればいいのか・・・思いつくままに書いていきたいと思います。

オープンソース仲間と始めた sinsai.info

記事の扉画像にもある sinsai.info は私にとって原点とも言えるサイトです。当時活動していた OpenStreetMap(※1) のメンバーが始めたサイトに協力する形で、いつのまにか代表を名乗るようになっていました。当時のツイートがこちらです。

この sinsai.info は、Ushahidi(※2) というオープンソースソフトウェアを使って作りました。グローバルコミュニティである OpenStreetMap(以下OSM) では災害時にOSMを使って災害対応を行う活動があり、2010年に発生したハイチ沖での地震とその後の津波の被害状況をマッピングするのにUshahidiが使われていました。似たような状況に見舞われた日本でも使えるのではないかと思い活動に参加することにしました。

sinsai.info を立ち上げる、というプロジェクトに参加できたことは、私のマインドを大きく変える原因となりました。当時のIRCのログには、サーバ移行作業の状況が残っており、当時の「何かしなくてはいけない」という焦燥感を思い出します。

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手を動かすことで、不安は薄まる

この作業に着手する前の私は、社会課題を解決するために自分が何かできるとは全く思っていない、どこにでもいるような技術者でした。しかし、たまたま参加していたOSMのメーリングリストに流れた「今こそ何かやるときだ」という言葉で、手を動かし始めることができました。このことは、自分にとって大きな変化をもたらしました。それまで感じていた漠然とした恐怖、「日本はどうなってしまうのだろう」といった不安が一気に消え去ったからです。不安に対して強がるわけでもなく、ただ嘆くわけでもなく、誰かを非難するわけでもなく、「目の前の課題を一つづつ片付けていく」という感覚になれたのです。「受動モード」から、「生産モード」に切り替わった瞬間でした。自分のやっていることがどれだけ人の役に立てるのか、ということは一旦置いておいて、とにかくサイトを良いものにすることに注力していました。

その過程で、多くの人に助けていただきました。200名以上のボランティアメンバーが集まり、夜な夜なチャットを立ち上げ、システムのバグを直し、使い勝手を改善し、様々なデータソースからレポートを集め、整理し、デマ情報を外し、地理情報を確認し、マッピングをしていきました。

当時助けていただいた様々な方には今でも感謝しています。また、当時「sinsai.infoというのをやっているのですが、当面の間仕事せずにそれにコミットしていいですか?」という無茶苦茶な申し出に対して快くOKを出してくれた、当時のヤフーの上司、宮澤さんにも感謝しています。

技術は人を幸せにできるのか?

しかし、sinsai.info を続けながら、自分の中で一つの大きな疑問が芽生えてきました。「このサイトって、果たしてどう役にたっているのだろう?」と。1ヶ月後には位置情報付きのレポートが1万件以上、閲覧ページビュー数が100万ページビュー以上、訪問者が50万人以上という成果はありましたが、その掲載情報が、具体的にどのように役に立ったかという点の解像度が低かったからです。「ボランティアに行く前に状況を俯瞰できてよかった」「ニュースの内容が地図上でわかったので、不安にならずに済んだ」といった声はもらっていましたが、被災した人たちにとって役に立てたのかどうかが知りたかったのです。

更に1ヶ月ほど経ち、当時活動していた Hack For Japan のメンバーと実際に現地に行くことができました。その時に、物理的な破壊に対するIT技術の無力さに打ちのめされることになりました。特に、沿岸部などでは、ITですぐにできるボランティア作業などはほどんど無かったからです。色々一緒に考えればできることもありそうでしたが、そもそも東京から来た若造が「ITでお手伝いできませんか」などと聞くことさえ躊躇してしまうような具合でした。

ただ、そんな中で立ち寄らせていただいた、遠野のボランティアセンターだけは、「ITでやってもらいたいこと、たくさんあります!」と言ってくださったのです。遠野は比較的規模が大きく、ボランティアの管理や写真洗浄データベース、HPのリニューアルなど様々なニーズがありました。その縁から、被災地でハッカソンをやったり、被災地のマッピング活動をしたりと様々な活動を続けることができました。当時「たくさんあります!」といってくださった遠野まごころネットの方が、私を救ってくれたのです。

この時の、「技術は人を幸せにできるのか?」という疑問は、今でも私の中でくすぶっています。ITを使うことで、人々は幸せになっているのだろうか。むしろ生きづらさに繋がっているのではないか。手段が目的化しがちなITを、人は正しい目的のために使えるのだろうか。技術が少しでも分かる人間として、正しいものを正しい目的の為に使うことに貢献したいと考えています。

オープンソースコミュニティの社会実装

そんなこんなで被災地を回ったり、自治体の人たちと話をしているうちに、だんだんと公共サービスにおける情報システムのオールドさが目につくようになっていきました。sinsai.info に対して避難所の情報をもらおうとしたときに「セキュリティ上駄目です」と言われてしまったり、とても古いGISのシステムを使っていたり、ウェブサイトが使いにくかったりといった点を目にするたびに、「自分であればこうするのに」という思いが強くなっていきました。一方、海外を調べてみると、オープンデータという考え方が普及しているし、オープンソースソフトウェアを行政が活用して、そこにオープンソースコミュニティのエコシステムができていました。それに比べると、まさに日本の行政システムはベンダーロックインとプロプライエタリな世界で回っていました。

良く講演で話をしているのですが、「伽藍とバザール(※3)」という私の大好きなエッセイで語られている、伽藍(大聖堂=プロプライエタリ)を各自治体ごとに組み立てており、そこにSIerがいて、多重請負構造を作っていました。それよりは、バザール(市場=オープンソース)モデルで様々な企業が活躍し、個人エンジニアも活躍できる世界を作りたいなぁと漠然と思っておりました。

それが、「できるんだ!」という思いに変わったのが、Code for America のファウンダーであるジェニファー・パルカさんのTEDトークでした。

この動画を見てとてもワクワクし、その翌年、Code for Japan を立ち上げることに繋がっていきました。

福島県浪江町という「住民のいない町」

Code for Japan を立ち上げた翌年、福島県浪江町の浪江町タブレットを利用したきずな再生・強化事業(※4)に関わることになります。放射線被害によって避難生活を送る浪江町住民約1万世帯を繋ぐためのタブレットアプリを作る、というとても難易度の高いプロジェクトでした。

浪江町役場自体が二本松という他の自治体にある上に、住民は全国にバラバラになって生活しており、除染が進むまで町に入る事もできない、というかなり大変な状況になっており、衝撃を受けました。

立ち上がったばかりの Code for Japan に、よくこのような重要な事業を任せていただいたと、今振り返ってみても驚きますが、お陰様で利用率の高いタブレットアプリを作れたと思っています。この時にNECからの出向で役場側の対応をしてくれた陣内さんは、今では Code for Japan で一緒に働いています。また、フェローとして紹介した吉永さんも大活躍をしてくれました。

先日、とある場で、一般社団法人RCFの藤沢烈さんが復興に携わってきた10年の振り返りを伺ったのですが、「被災地には人がいない」ということをおっしゃっていました。ここ数年は浪江町ともあまり関われていないので、申し訳ない気持ちも感じています。機会を見つけて、足を運びたいと思います。

その後、いろんな仲間があつまり、少しづつできることも増えてきました。昨年の新型コロナもある意味災害ですが、10年前よりは技術を正しく使えるような状況になっているのではないかと思います。

まだまだやるべきことはたくさんありますが、「技術は人を幸せにできるのか」という思いを忘れずに、動き続けていきたいと思います。

長文をお読みいただき、ありがとうございました。

震災時の思いについては、ちょうど本日公開されたこちらの動画でも語っています。

シビックテックに興味を持っていただいた方は、こちらの記事をどうぞご覧ください。

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※1 OpenStreetMap:ライセンスフリーな地図を作ることを目的としたグローバルなコミュニティ。当時関はそのコミュニティで地図データ作りなどを楽しんでいた。(参考

※2 Ushahidi:スワヒリ語で「証言」を意味しており、元々はケニアの大統領選挙後の暴力行為を地図上に報告するために開発されたオープンソースソフトウェアである。(参考

※3 伽藍とバザール:エリック・レイモンド師のオープンソース3部作の一つ。今でも色褪せないと思っている。(参考) 

※4 浪江町タブレットを利用したきずな再生・強化事業:当時(今もか)珍しくアイデアソンやハッカソンを通して仕様策定を行った他、アジャイルプロセスを取り入れ、成果物もオープンソースにした (参考

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