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本を付箋でべったりにできるか?

よく読む人と自分とでは、本の読み方が違う。
そう気づけたのは、ここ最近読書家の方とリアルで会ったり、noteにある写真を見ていたからかもしれない。

本を読む目的によって、あとは当人の好みでも、もちろん読み方はちがうだろう。ただ、一部の読書家に共通するのが「本に付箋を貼る人が多い」点だと感じた。

一度限りの読書体験ならそれでいい

本は、個人的には一度読まれるだけでもじゅうぶん幸せだと思う。

一説には、毎日二百冊。これだけの本が出て、購入された上に最後まで読み切ってもらえることは奇跡に近い。
本を出したとて、奇跡のひと枠におさまる確証はない。だから、積読万歳、いつか読まれる可能性が残っているだけでも希望だと思う。

――ただ。

付箋を貼る人に共通するのは、本をインプットで終わらせずアウトプットしていることだ。

五十冊以上にもわたって書籍レビューを書き続ける人。出版後わずか三日の本を二度も読み込んで、対談インタビューの鋭い質問へと変える人。

こうした目的をもって読むには、一度目であたりをつけて深く精読したり、気になる記述・フレーズを「字引き」できるよう付箋が必要になってくる。

通読・精読以外の読み方の可能性

先日、ある方のX(Twitter)でのポストをきっかけに「あらまし読み」なるメソッドを知った(文脈的に肯定・否定のどちらでのリポストとも判断しかねたため、紹介者の名前はいったん伏せておく)。

ざっくりいえば、これは学習や研究での情報収集を主眼においた読み方で、俯瞰視点に近い拾い読みで情報をサーチし、その後精読する本を決めるやり方だそうだ。

単に拾い読むだけでなく、読んではアウトプットを繰り返す点は、漫然と読書するよりも効果的だ。事実、読みながら「これってどういうこと?」「ああ、〇〇の意味か」などと呟いた時のほうが内容理解が深まるのは、身に覚えがあるんじゃないかと思う。

おなじ二十四時間の中で、文を冒頭から末尾まで追いかけ、一度限りの読書体験に浸る私みたいなのもいる。けれど目的をもって読書する方々の読み方は、おそらく情報収集に近い。
読み終えて「ああ、満足だ」でももちろんいいのだけれど、両方の読み方を使い分けられたほうが、読書を通じて世界が広がるんじゃないか。
そう、思った。

古びた、付箋だらけの本を愛せるか?

これは個人の思いこみではないと信じたいのだが、多くの日本人は本を汚すことに抵抗があると思う。

書店でも上から二冊目を手にとるほどだ。中古品は傷や汚れで値引かれ、一定の閾値を超えた本はベストセラーでもセール用のワゴンにおさまる。

私もご多分に漏れず、本に何かを貼ることには抵抗がある。
単にめんどくさいのもあるが、付箋を貼る時には若干の申し訳なさと、この本はずっと手元に残るだろうという漠然とした予感を覚える。

ただ、実用書は使えてはじめて真価を発揮する。小説本も、お気に入りのフレーズを毎回読まれればきっと幸せだろう。

そろそろ手垢ばかりでなく、付箋の跡も許してやるべき頃合いだろうか。
ページの隙間にみっちり貼られた努力の跡をみて、そう思い直した。

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