【小説】林の中の小さな学校
以下、ポプラ社募集の『こんな学校あったらいいな』の応募作品です。
**
ほらマスク、と言って、母が、マスク越しに僕の鼻根を押さえる。
「隙間があったら意味ないんだから。」
言われた通り隙間がないかチェックする。
「大丈夫。行ってきます。」
「迷惑かけないようにね。夕食までには戻ること。後、学校の宿題もちゃんとやるのよ。」
学校の近くに誰も気にかけないほど細いけもの道がある。けもの道を進むと、急に拓けて、そこにそっと置いたような一軒家がある。
家のすぐ脇に大きな金木犀が生えていて、広い庭には、整然とした家庭菜園があり、今は、茄子や胡瓜がなっている。
そのまま進んで、家の呼び鈴を鳴らした。音沙汰がない。ドアノブを回すと開いた。やっぱり誰もいない。
しばらく、玄関前で待っていると、遠くの方で声がした。ねえやんだ。
「おーい。」
華奢なねえやんには、似つかわしくない程の大きな買い物袋を肩から下げて、手を振っていた。僕は走って近寄り、荷物を奪い取りながら聞く。
「車どうしたの?」
「免許返納したわ。この年になると危ないから。」
彼女は話しながら、白髪を撫で付けて後ろで束ねた。露出したおでこには、うっすら汗が滲んでいる。
「不便でしょう?」
「そのうち、超高級電動自転車でも買うわ。」
それよりも、とねえやんが続ける。
「暑かったでしょう。中で待ってて良いのよ。」
「鍵掛けてないの?」
「いつ奏くんが来ても良いように、開けてるの。」
ねえやんがいたずらっぽく笑う。
「で、宿題やってきた?」
僕は頷いて、作文を渡した。題名は『名前の由来で女の子とケンカしたこと』。
渡した作文を、ねえやんがフンフンと読み進める。
「素敵じゃない。『奏』という字は『成し遂げる』という意味を持つため、何かを成し遂げるような子に育ってほしい。さらに、音楽を奏でるような豊かな感性を持てるように『奏(ソウ)』と名付けた。そして全く……」
次の言葉を奪い取って僕が続ける。
「全く同じ理由で、クラスに奏(カナデ)ちゃんがいるんだよ。みんなに、はやし立てられて、その何処が素敵なのさ。」
「彼女可愛いの?」
「どうだっていいじゃない。」
「付き合っちゃえば?」
「嫌だよ。」
「何で?」
「何でも。」
彼女はため息まじりに微笑んで、言葉を続けた。
「真面目な話、ちゃんと奏ちゃんに謝るのよ。そして、給食のデザートでもあげなさい。また、はやし立てられたら、人として当然のことをしたまでだって、堂々としてれば良いのよ。そしたら、奏ちゃんに惚れられるよ。」
「止めてよ。」
「今の、宿題ね。」
そう言いながら、彼女は僕が書いた作文を『隔離ボックス』の中に入れた。
夕食時、唐揚げを口に詰め込んでいたら、おもむろに母が言った。
「お母さんね、安藤さん――ねえやんの家に行くのはもう辞めて欲しいの。コロナも予断を許さない状況でしょう。」
「大丈夫だよ。ちゃんと手洗いうがいしているし。それにニュースで言ってたよ。子どもはあまり重症化しないって。」
「心配なのは、あなたより、ねえやんの方よ。あなたがうつしたら、どうするの?責任とれないでしょう。」
「……。」
沈黙が続く。了承は断固として出来ないが、かと言って、下手にごねても火に油を注ぐだけだ。ねえやんが言っていた。こういう時は黙っているに限る。
しばらくして、母は自分に言い聞かせるように言った。
「まぁ、ねえやん自身が、是非あなたに会わせてほしいって言ってるしねぇ。充分注意しなさい。」
今日は、週に二回のリモート授業の日だ。僕はこの授業があまり好きではない。理由は――
「お母さん!また、先生動かない!」
母が、走ってきてバタバタ対応している。
ネット環境が悪いのか、パソコンが悪いのかさっぱりわからない。今度ねえやんに聞いてみよう。
動き出した先生がおもむろに言う。
「宿題です。伝える能力を鍛えます。クラスのみんなに伝えたいことを考えて、学校で発表してください。」
刹那、名案が浮かんだ。
すぐにメモ書きをする。
まず、ねえやんの存在をクラスのみんなに伝える。ねえやんがどんなに面白い人か、可愛らしい人か、エピソードを交えてプレゼンする。
その上で、ねえやんが、車がなくて困っていることも伝えて、電動自転車代を募るのだ。寄付してくれた人は、ねえやんと遊べる。
名付けて『クラスノ・ファンディング』。
これが、大成功だった。
お金はあっという間に集まった。僕はそのお金で、超高級とまではいかないが、電動自転車を買ってねえやんにプレゼントした。
ねえやんは一瞬眉をひそめたが、すぐ、ありがとうと笑顔になった。
それから、ねえやんの家は子どもの溜り場になった。ねえやんはとても嬉しそうだった。
ただ、女の子を見ると、あなたが奏ちゃん?と聞いて周るので、僕はしぶしぶ彼女を紹介した。すると、ねえやんは上機嫌になり、僕に耳打ちした。
「やっぱり可愛いじゃない。」
僕は、やぶれかぶれになり、ぶっきら棒にそうだねと応えた。
ねえやんがいたずらっぽく笑う。
ねえやんに奏ちゃんを紹介した二日後、クラスでコロナ感染者が出た。
すぐさま、学校は閉鎖され、僕らは検査を受けた。僕は陰性だったが、クラスで他に三人陽性者が出た。濃厚接触者を調べられて、当然、ねえやんも検査対象者となった。
結果は陽性だった。
父は、怒っていた。母は泣いていた。僕も泣いた。
ねえやんはその後、重症化し、入院した。
会いたいけど、会いに行くことも許されない。謝りたいけど、声は届かない。
僕は居ても立ってもいられず、ねえやんの家に向かった。
ドアノブを回す。ドアが開いた。家に入って気が付く。窓が全開になっている。ベッドに体温計が置いてある。ごみは一か所にまとめて置いてある。感染者が出た時には粗方の予想は立ててあったのかもしれない。
何気なく、テーブルの上に目をやると、『隔離ボックス』の蓋が開いていることに気が付いた。中には、僕が提出した宿題が積まれてあったが、一番上に封筒が置いてあった。中を見ると、僕への手紙が認められていた。
奏くんへ
きっと、奏くんだったら、この手紙を見付けてくれるでしょう。ありがとう。
またきっと、奏くんはお父さんやお母さんに怒られたんじゃないかな。
ねえやんは何でもお見通しなのです。
でも、私がお母さんの立場なら同じ事をすると思うわ。それが、大人として、親として、人としてあるべき行動だから。とても素敵なご両親よ。
しばらく、入院することになりそうだけど、気にしないで。奏くんのせいじゃない。あの状況を許した私の責任だから。
それに私、何年生きてると思う?これぐらいのことじゃ死なないわ。
それよりも、これは、とても良い機会よ。
この件から、学べることはたくさんあるはずだわ。それを考えてね。
たくさん考えて、次に生かすの。そしてまたチャレンジして、失敗して、そこから学んで、次に生かす。これを繰り返すの。そうすれば、どんなことでも成し遂げられるわ。
奏くん。
学校って、何も小学校や中学校だけを学校って呼ぶんじゃないのよ。
お家も学校、職場も学校、家庭菜園も学校になるの。
本人に学ぶ意欲さえあれば、何処でも学校になるわ。
私にとって、此処は学校だったわ。何故って、奏くんの質問は難しいものばかりだったから。ねえやんは、一生懸命調べて、紙に書いて、説明の練習して――本当にたくさんのことを学ばせてもらったわ。
奏くんにとっても、此処が数ある学校のうちの一つになっていたら、ねえやんとっても嬉しいな。
そして、ねえやんが元気に此処に戻って来たら、また一緒にたくさんのことを学びましょう。
それまでに、知りたいこと、不思議なこと、話したいことをたくさん用意しておいてね。
それがねえやんからの宿題だよ。
令和二年九月十五日 安藤裕美子
僕は手紙をポケットにしまうと、家を出た。
大きく息を吸い込む。
金木犀の香りがする。
少しの間を置いて息を吐く。
換気完了。
僕はこれからする事を決めて走り出した。
**
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?