冬の鬼怒川湯西川再訪日記 後編

 冬の朝の湯西川。

 平家集落と呼ばれる一角。特徴的な三角屋根の建物が4軒ほど並ぶ。

 晴れて陽射しも降り注いでいるけれど小雪が舞う。

 高房神社参道。

 石段を上がりお参りでもと思ったのだけれど、途中が完全に凍結したただの斜面となっていたため断念。

 またいつか。

 午前9時。平家の里前な終点バス停。なお観光の利便を図って終点をここへと移設したのはつい最近のことらしい。それはさておき、泊まった宿のすぐ前もバス停なのだけれど、軽く歩いてここまで来た。
 どうせまたとんでもなく混雑するから。

 9時10分。バスが来た。来る頃には自分の後ろに列が形成されていた。そして2つほどバス停を経過した段階でもうこれ以上乗れない状態となった。運転士は起点出発の段階で無線でもう続行便を要請していた。

 湯西川の朝はとても遅いらしく、この9時10分の便が始発だったりする。そしてその始発は湯西川温泉駅止まりで、あの10時5分に鬼怒川公園駅でマウントエクスプレス同士行き違うやつと接続する。なので駅についた途端真っ先に降りて57段の階段を駆け下りた。
 どうせまたとんでもなく混雑するから。
 と、さっさとホームの乗車口と書かれた位置の先頭に立つ、後から次々やってくる人の姿。列車が来ると自分も含め一斉に撮影タイム。ここでのマウントエクスプレスはまるでアイドルかなにかのようだった。

 鬼怒川公園駅に到着すると、来るはずの下りマウントエクスプレスが大幅に遅れているとのアナウンス。上りマウントエクスプレスはひとり寂しく去っていった。

 というかまた鬼怒川公園駅だ。なんどめだ。観光の起点的な役割は圧倒的に鬼怒川温泉駅のほうが担っているはずなのにこちらにばかり来る。不思議とこっちのほうが行きたい場所が近くにある。なぜだろう。考えながら少し戻る方向へと歩き跨線橋を渡る。公園と小学校の隣というポジション。そこにある店。

 軒に下げられた木の看板には、文具と軽食なる文字。右は近接する小学校の生徒たちに向けたものであろう文具店、左が軽食屋という構造。軽食のほうは朝10時からやっているというのでなんとなく立ち寄ってみた。

 やきそば。
 やきそばなんてものはこういうのでいいんだよと高らかに宣言したくなるような逸品。特別なことはなにもない。「味薄かったらそこのソースかけてくださいね」と示されるそれはここいらへんならどこでも売ってるキッコーマンの中濃ソース。キャベツたっぷり。肉少々。気がつけば昨日夕方にカレーたんまり食ったきりだったので、かなりの空腹でもあったのでおそらくは正常な判断はつかない状態だったろうとは思う。けれどとてもおいしかった。

 なんてことのない火曜日の午前中の鬼怒川公園。誰もいない。誰も通らない。となりの小学校からの子どもたちの声が時折聞こえてくるせいで通常より三倍くらいは平日感が増す。この公園の奥にはここの名物と呼んでも差し支えはないだろう天然温泉、岩風呂なる施設がある。

が、火曜は定休日だった。軽くひとっ風呂なんて思ったりもしたのだけれどやってないのでは仕方がない。と、また公園を横切って、跨線橋を渡り駅とは反対側、右へと曲がってしばし歩く。

 先週、バスの運転士がおすすめしてくれた店がある。

 いかのげそ天定食。
 バスの運転士がうまいと断言するような店がおいしくないわけがない。期待通りの味で、お値段も700円と手頃なのに副菜まで充実。そこいらへんの人々が日常で利用する名店。さすがの一言。

 すっかり満腹になって駅へと向かう。下り普通列車が去った後に上りリバティが同じホームにやって来る。こんな静かな平日のお昼なんてがらがらだろうと思いきや既に鬼怒川温泉から特急券利用で満席だという案内が。おかげでしばし立ちぼうけ。ひたすらがらがら味わった先週と、どうしてこうも違うのか。まあけど温泉宿泊客が10時とか11時あたりまで宿にいて、出た後ちょっと飯でも食べてそっからじゃあ帰ろうかとなるとまさにこの時間かあとすぐに納得する。

 12時半。下市町駅転車台広場。ちょうど転車が終わって鬼怒川方面へと顔を向けた蒸気機関車が客車との連結のため本線へと戻っていくところだった。

 12時55分。準備をしっかり整えたSL編成がホームへとやって来た。

 いざ乗り込むとそこには忍者がいた。なんでも沿線にある日光江戸村とのココラボレーション企画だそうで、言われてみればヘッドマークもそんな特別使用だった。およそ30分ほどの道中、車内ではこの忍びの者が全く忍ぶことなく賑やかな空間を作って乗客を楽しませていた。

 13時36分。鬼怒川温泉駅。
 昨日の朝降りて以来のこの場所ではSLの到着からしばらくすると太陽を背にしたステージで忍者ショーがはじまった。


 なかなか。結構。いや、かなり格好良い。考えてもみれば江戸村において連日アクションショーを披露している手練の者たちによるものなのだから、格好良くないわけがないとしばし魅入っていたら悪の手先に斬られるというまさかを食らった。しかも悪の手先いわくなかなかいい斬られっぷりだったらしい。白目。

 忍者ショーが終わると今度はメインイベントなのだろう転車台ショーが始まる。様々な説明の入るアナウンスと共に蒸気機関車は回転し、顔を下今市方面へと向けると、また本線へと去っていった。

 今度はその後の連結作業までまじまじと眺めた。

 そうして14時35分。折返しSL大樹4号は下今市へと向けて発車する。

 今度は沿線の公道に忍者がいてなんか戦っていた。

 無茶しやがって……。

 15時10分。下今市駅。これは補機のディーゼル機関車。SL運行時には常に後ろからサポートし、時には主役にもなるという。

 15時30分。下今市での転車台ショー。

 ギャラリーよりも東武鉄道職員たちの誇らしげな表情のほうが印象に残ってしまった。乗客よりも走らせている彼らのほうが、ここで蒸気機関車を走らせるということを心底愛し楽しんでいるようにすら思えた。

 今の時代おける蒸気機関車はただの輸送手段という枠組みを飛び越え、人を笑顔にすることに特化したなにかへと成り果てている。なぜだかはわからない。けれどもこのSLというもの乗りに来る人はだいたい笑顔になる。それを動かす側の人たちまでこれはいいものだと言いたげな表情でそこにいる。ここに限らず不思議とどこでもそういう光景を目にする。だから、ここでもそれがそういうものであることに、良かったと。期待どおり、あるいはそれ以上のものをこうして見れていることに、良かったと。満足する。

 満足しつつ駅を後にし、少し歩く。改札を出てすぐに右へ。そのまま道なりにひたすら行き、つきあたりで右を向くと

 こんな店舗らしくない外観の食堂。

 老夫婦がふたりで営む小さなお店。

 焼肉定食。
 どういうわけかうどんがデフォルトでついてくる。つけああせの刻み漬がやたらうまい。にしてもごはんにうどんまであるというのに添え物としてのパスタまでついてくる。とんでもない店だ。すべてたいしたものではないのかもしれない。けれども、これだけ食わせておねだんなんと600円。文句を言う人などどこにもいないに違いない。
 たらふく食って、満腹になって来た道を戻る。ちょっと寄り道をしつつ。
 道中には報徳二宮神社。二宮尊徳が今市にて没し、この地に墓所があることから創建されたという。

 下今市駅まで戻ると、どうやら学生さんの帰宅ラッシュとかち合ってしまったようで待機中のマウントエクスプレスの座席はほぼぎっしり埋まっていた。またしばらくたちぼうけかなと思いつつ、よく見ると一箇所空いているところがあったので、そこでさっき寄り道して買ってきたものを食うことにする。

 のり唐揚弁当。
 先程の食堂のすぐ近くにある弁当屋の名物、らしい。といってもこういったのり弁に唐揚げというのはさして珍しいものでもない。けれど。

 盛りっぷりが少しおかしい。ぎっしりにも程がある。数えると8個ほどの唐揚。それらをぎゅーっと詰めてこんな見た目になってしまう。なんだこれは。しかし味はしっかりしている。うまい。こうしてわけもなく超満腹になった。どんだけ食ってんだと思わないでもない。が、食いたかったんだから仕方がない。
 そうこうしているうちにまた鬼怒川温泉駅に到着する。

 17時25分。この日最後の、トワイライト転車台ショー。風がやたら強くてかなりの寒さになっていたけれど、それでもそこそこの人がこれを取り囲んでいて、なにやらもう既に江戸村の仕込みも入ってた。

 日没後の空はあっというまに暮れていく。

 すっかり夜になった鬼怒川温泉駅ホーム。
 蒸気機関車が入線し白煙を上げる。

 江戸村からの仕込みの役者さんたちは向かい側の普通列車にまでいってらっしゃいませなんて声をかけける。とにかく楽しく。そんなコンセプトが徹底されていた。時刻はまもなく18時。

 SLというものを走らせているところは今や結構あちらこちらにあるのだけれど、ここまで日が暮れてもまだ走らせているところは他にあるのだろうかと思いつつ3度めの乗車。飯を食いひたすら蒸気機関車の牽引する客車に乗りまくるというただそれだけの一日がまもなく終わる。今度は沿線でイルミネーションをしているといい、そいつのために少し車内を暗くするなんていう演出が入った。

 イルミネーション云々関係なくこれくらいでいいんじゃないかと、そんなふうにも思えた。そして道中ではねずみ小僧がこのSLに乗って逃げているという設定で、また沿線の公道や河川敷で今度は岡っ引きが提灯片手に追ってくるなんていう演出が入ったりもした。ただ真っ暗になった河川敷で待機していただろう役者さんも大変だわなんてそんなことばかり思ってしまった。そして寒い中とことん楽しませてくれてありがとう、と。特になんもなくたっていいものなのに、それを更に面白くまでしてしまおうという、こういう試みはとても良いと思う。
 笑顔を運ぶ列車に笑いまで積み込んで、のんびりと、SLは夜の鉄路を走り抜ける。

 このSL運行に合わせて外観をレトロ調にがらりとリニューアルした下今市駅。

 朝早くから日が暮れるまで。6往復もの仕事を終えた蒸気機関車。次の運行日となる土曜日までの3日間、しばしの眠りに就く。

 おつかれさまでした。またね。

(了)


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