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【詰将棋】日本庭園と自然風景

詰将棋は見る者のセンスで美醜が決まり、評価する者が多いほど良い作品として見られる。世に発表されているほとんどの詰将棋はそれで、作品それぞれに作意が有る。中には信じられないような神懸った手順を含む作品もあって、そういう時は足立美術館や龍安寺のような日本庭園を見ているような気分にさせてくれる。時を重ねて熟成されてきた美的感覚を基にして人が整えた景観だからとても心地が良い。

対して、裸玉・双裸玉は例えるなら人の手が加えられない火山や瀑布のような自然風景で日本庭園とは似ても似つかない。指し将棋の感覚をそのまま当てはめると、手順は至って平凡で、好手も抑揚もない。当然、見て評価しようとする者もほとんどいない。もともとこれらの探索をする予定は無かったのだが、プロが難癖をつけてきたことがキッカケとなって探索はスタートした。特に、詰将棋400年余の歴史で作品数は30万を数えるにも関わらず、わずか40作に満たない裸玉の稀少性は探索のドライビングフォースとなっている。

27 双玉あ

一般的な詰将棋と裸玉・双裸玉は将棋というゲームができた瞬間から存在しているから厳密には語弊があるのだけれども、自分はそういう感覚で詰将棋をいくつかの地続きな世界として見ている。作品を良いものとして生かすのも、プロのように気に食わなければ事実とは異なることで人の作風に難癖をつけて貶すのもその人の気持ち次第だ。自分は自分が生かそうと思ったものを出していくため、引き続き詰将棋の世界を見ていこうと思っている。

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