見出し画像

思い出の児童文学

 なんとも懐かしい本が手に入った。
 東京幽霊物語 (旺文社・刊)
 作者は木暮正夫氏。恥ずかしながら本当にこの本の情報を確認するまで気付かなかったが、劇場アニメ『河童のクゥと夏休み』の原作者と同じ方だ。

 本書の刊行された1989年は、90年代に起きる第二次オカルトブームのまさに直前。『13日の金曜日』シリーズを始め、一世を風靡したスプラッター映画が様々な要因で鳴りを潜め(ここはもう別で長い記事が書けるくらいなので割愛)、それと入れ替わるように子供たちの間で幽霊・怪談などを中心に古式ゆかしいオカルトがまた盛り上がりを見せていた時期だ。
 コミックボンボンでも雑誌真ん中あたりのレギュラーページで、毎月読者の体験した心霊体験が載っていたり(ちなみにこの連載の終了時期を明確に覚えていない上にネットで検索しても情報が全くないので、どなたかご存知ないでしょうか)、小さいけれどオカルト特集があったり、コロコロコミックでも同年の超魔術ブームを受けMr.マリックを題材にした漫画があった点などから当時の空気感が少しは伝わるだろうか。
※児童誌でのブームはここからもう少し続き、UFO超能力予言などに加え、人面犬ブームの時は派生の人面魚などのカラー写真が載ったりもした。一旦は落ち着くもすぐに学校の怪談ブームで再度盛り上がるなどしたが本当に長くなるのでここまでにしておく。

 そんな世相の中で刊行された本作は、まさに当時のトレンドと見事にマッチしている。
 私がこの本を知ったのは、学校内での図書販売(事前に配布されたリストから購入希望の書籍を選び、後日学校に届くというシステムだ)。
 恐らく刊行翌年の90年頃だったと思う。
 なんせタイトルが東京幽霊物語である。
 ゲゲゲの鬼太郎好きが高じたのかただ単にそういう子どもだったのか、とにかくそういう不思議怪奇オカルトが好きでたまらなかった。
 当時長期休みになると放送されていた怪奇特集『あなたの知らない世界』を親戚の家で見ているときに、おどろおどろしい場面でいとこ達がギャー!と悲鳴を上げ逃げ出しても、悲鳴を上げて立って部屋の出入り口に走るまでは付き合ってそのまま戻って鑑賞を続けるようなだいぶ癖のある子どもだった。

 もう用紙が変形するんじゃないかと思う程力強く購入希望に〇を付け、提出するも「売り切れ」という連絡。
 同時に注文した『魔女の宅急便』の原作本は遅れて届いたのに、東京幽霊物語は結局版元売り切れのままであった。どうやら当時かなり売れていたようだ。 
 結局しばらく後に学校の図書室に入って読めたのだが。

 内容としては都内に住んでる小学生の主人公中村勇一くんが、お祖父さんの管理するアパート住人のタクシー運転手から聞いた幽霊話と、さらにクラスメイトの住むマンションでの幽霊騒動を機に、幽霊絡みの様々な出来事に絡んでいくというのが大筋だ。

 タイトルからもっと派手で恐ろしい内容を期待していた私としては、正直に告白すると軽く肩透かしを覚えた記憶がある。
 読んだのがもう6年生で少しスレ始めていたのもあるだろうが、「霊園近くで乗せた女性客が、代金を取りに行くと目的地の家に入ったまま待てど暮らせど戻って来ない。しびれを切らし呼び鈴を鳴らすと、家人から今日はその娘の命日であると告げられる」なんて超がつくほどベタなタクシー怪談に「へぇ~!そんな話初めて聞きましたよ!」なんて返す勇一くんに、軽い白々しさを覚えたりもした。
 有名な『むじな』『四谷怪談』の解説にもそこそこ分量を割いてあり、「知ってるって!」とまさに嫌な子どもそのものの反応をしたのも覚えている。
 最後に土地高騰(まさにバブル景気の真っただ中だ)で四谷の町に空き地が増え家賃も上がり空洞化しかけているというのを受け、「おばけや幽霊も怖いけど、何十年も住んでた人たちをよそに追いやった見えない力(お金や人の欲)の怖さには叶わないよ」という〆であり、「そりゃ言いたいことはわかるけど…」となったりもした。
 とはいえ決してつまらない本ではないので、「あんまり怖くはないけれど好きな本」として頭の本棚に分類されたのもまた確かなのだ。

 さらに数年後、年齢の離れたいとこの家で発見し、再読する機会にも恵まれた。
 タイトルも割としっかりと覚えていたのはこれがあったからだろう。
 あの頃にそこそこ長いタイトルをそらで正確に覚えてたのなんて「機動戦士ガンダムF91(フォーミュラーナインティーワン)」くらいだ。いざ公開されたら「ガンダム エフ キュウジュウイチ」読みで子どもながらにガクッとなった記憶がある。どういうことだ。

 先日ふと気になりネットで調べてみると、かなり格安で、しかも送料無料で出品されていた。
 そんな本作をなんと約34年越しくらいに手に入れたわけだ。

 この年齢になって読み返すと発見も多い。
 前述のとおりあまり怖くないなと感じた理由も少しわかった気がする。
 出て来る霊は基本的に無関係な勇一くん達に牙をむいてこないのだ。
 伝えたいことがあって姿を見せたり夢を見せたりもするが、そこに危害を加えようとする意図はない。
 怪談の聞き手…特に子どもにとって怖いのは「いつか自分もその恐ろしい被害に遭うのでは?」という現実の自分とリンクした時の恐怖感だ。
 当時の子どもの間で流行った都市伝説の「紫の鏡」や「ババサレ」などが典型だろう。
 そういう意味で、「ただ姿を見せる」「メッセージを伝えて来る」だけではパンチが足りなく感じてしまってもおかしくはない。

 ちなみに上で基本的に、と書いたが例外が少しだけある。
 マンションの幽霊は、マンション建設のための立ち退きに反対していたものの、意図せず追い出され慣れない埼玉の地で命を落としたおばあさんが、地主を祟り復讐を果たす。とはいえ勇一くん達に危害を加えはしない。
 ただし最後に登場する霊だけは明確に自分と関係ない勇一くんに害意を向けて来るのだが、ここに関しては本当に心霊現象だったのか怪しい描写もある。ここも今回初めて気付けた部分だ。

撮影した時に気付いたが、ヒントはこのイラストにあった。

 そして登場する霊はみな何かしら悲しみを背負っている。
 「そりゃ死人だし当たり前だろ。恨みも不満もないならわざわざ霊になって出て来るかよ」と身も蓋も無い考えも頭をよぎるが、幽霊にとって死が絶対に外せないファクターである以上そこに悲しみが付随するのは案外忘れられがちなことだ。
 怪談とは怖いだけではない悲しさも含んでいる、と稲川淳二氏も度々口にしている。
 実話怪談の裏には悲劇がある。
 昨今の異常なまでに加熱するオカルトブームの最中に、本作に再び出会えた意味はとても大きいと思う。

 そしてもう一つ。個人的に大きな発見…というよりも驚きがあった。
 勇一くん達が住んでいるのは中野。中野サンプラザの先にある中野通りで、フォトショップ・なかむらという小さな写真店を営んでいる。
 家を出てすぐ斜め前に大きな通りがある、とずいぶん具体的な描写もあるので土地勘があれば場所までほぼ特定できてしまうだろう。
 実際、ストリートビューで見るとビルの間にそれっぽい小さな建物もある(写真店ではなく雑居ビルだが)。
 さらに勇一くんのお祖父さんのアパートが、同じ中野の新井薬師にあるというのだ。
 昔東京にいた頃、数年だが中野の、しかも新井薬師に住んでいたことがある。
 勇一くんが中野通りの家から新井薬師のアパートまで自転車で走るシーンがあり、当時の私も知らぬうちにほぼ同じルートを走っていたことになる。
 子供の頃に読んでいた本の主人公と、意図せず同じ道を通っていたなんて偶然にしてもずいぶんと出来過ぎた話だ。

 あの頃とは時代も価値観も大きく変わった2024年。
 40代半ばを過ぎた勇一くんは、どんな大人になっているだろうか。
 そして四畳半しかない上に、窓を開ければすぐ鼻先30cmに隣のビルの壁がある自室に愚痴りながらも、マンションのおばあさんの話を聞いて「そりゃそうだよ。住み慣れた家の方がやっぱり一番だよ」と言っていた彼は、中野のあの家をどうしているだろうか。

 思えば中野にも久しく足を運んでいない。
 機会があれば、あの時の彼らの足跡を再びたどってみるのも良いかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?