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忘れがたき私的名作漫画『王都妖奇譚』

「まばゆい光は濃い影をつくる。その影を引き受ける覚悟はおありか?」


 今回紹介するのは岩崎陽子氏の『王都妖奇譚』。主人公は今や押しも押されもせぬ平安のスーパースター・安倍晴明と、その親友で妖など信じない、と息巻く藤原将之。この2人が都に跋扈する、大小の妖怪がらみの事件を解決してゆくという、王道の冒険バディーものだ。


「華炎」を収録する3巻。現在は紙なら文庫版だけかも…。(中古品は除く)

 当時、夢枕獏氏の小説『陰陽師』シリーズがブレイクしていた頃なので、設定も似ているこの物語は、この作品にインスパイアされたもの、という見方を実は私自身、していた。
 が、少女漫画らしい、堅苦しさのないストレートで健やかなメッセージを受け取れる所に、一つの独立した作品としての魅力を感じたので、取り上げたいと思った。
 また全体の流れはあるものの、基本的に一話完結なので読みやすいのもオススメだ。

 その中でも『華炎』という話について書こうと思う。

 天皇の側室の一人である佑子は、大人しく、目立たない性格の女性。悪く言えば欲も覇気もないので、帝が彼女の元を訪れるような「縁」とも程遠い。当然の流れとも言える、そんな彼女の唯一の望みは「何ものにも脅かされず、心穏やかに暮らすこと」である。
 その彼女にある日、突然「帝の寵愛を一身に受ける彩子が羨ましく、妬ましくないか?」と問いかけるものが現れる。

 声の主は母が佑子に形見として遺した鏡である。

 佑子は真っ先に「そんなこと思ってないわ」と否定する。
 実際、佑子はそんなことは思っていない。むしろ正妻だ、側室だ、で繰り広げられる権力争いこそ疎んじ、そんなものに翻弄されない平和な日々こそ望んでいる。

 だが、鏡は問いかけることをやめない。
 鏡の声を否定し続ける佑子だが、周囲の口さがない女房たちの評価、彩子を帝の寵愛を受ける座から引きずり下ろそうとする、側室・飛香舎の女御の、共謀の誘いかけなどに追い詰められ、ある日とうとう「羨ましいと思ったわ!」と鏡に答えを返してしまう。
 それを受け取った魔性の鏡は、佑子の魂を彩子の体に、彩子の魂を佑子の体に、移し替えてしまうのだ。

 その顛末を知った晴明は、彩子の弟でもある友の将之に「2人に戻る意思があれば、魂を元の体に戻すことはできる」と打開策を告げる。それを受けた将之が、姉に面会に行く名目を作って佑子に伝えに行くのだが、彼女はこれを拒む。
 常に美しく明るく、自信に満ち、恐れや不安とは無縁の心の持ち主・彩子に憧れ、替わってみたい、と願ったことは本当だからだ。
 改めて佑子の元に出向き、その真意を聞いた晴明はそれ以上、彼女に元の体に戻るように詰め寄ることをせず、「気がお変わりになられたらおいでなさい」と言い残して立ち去る。

 希望が叶った佑子だが、彩子になって暮らすことで思わぬ現実を突きつけられる。帝の寵愛を受ける者として、周囲の嫉妬も一身に受けることになったのだ。
 日常茶飯事のように、蛇が部屋に投げ込まれ、床下からは彩子の不幸を願う、呪詛の紙人形が出てくる。
 その状況から“弟”として佑子の魂が宿った姉・彩子を守り、剣を振るう将之は、権勢が大きければ当然、他人の嫉妬も買うものなのだ、と言い放つ。そして更に冒頭の言葉で佑子にその覚悟を問いかける。
 そしてその答を持ち合わせていない自分に佑子は初めて気付かされるのだ。

 そう、明るい光をその体に受けたいなら、濃い影を黒々と引きずる覚悟が要る。この物語に限ったことではない。
 オリンピックで金メダルを取りたいなら、体が悲鳴を上げるような練習を積み上げ続けなければならない。事業で成功したいなら、時には小狡く、汚い手段を選ばなければならないこともある。いつも明るく、人望厚い人は何度も手痛い裏切りに遭っていることの方が多いだろう。しかもそれではまだ足りない、と断罪されるかのように、求めた光を手にできないまま、ボロボロと手からこぼれる砂の数ほど、大量の脱落者が生まれる。
 だから一見、華やかに光を浴びている人は、それ以上の苦しい経験(影)を誰だって背負っているものなのだと、私は思う。その影の向こうにある喜び(光)を手にした者、感じ取れた者だけが、人からも輝いて見えるのだと。
 もしも、そういうものなしに手に入る光があるとしたら、それは何かのはずみであっという間に失われてしまうような儚いものだろう。残るのは後味悪く恨めしい、“後悔”しかない。

 佑子も、悩みながら宮殿内をさまよううちに、いつしか自分がかつて居た温明殿に足を向けていることに気付く。そしてそこで、自分(=佑子)の姿に押し込められることになってしまった彩子を目撃する。

 そこで見た彩子は、何の予告もなく、いきなり魂が入れ替わってしまった自分の不遇な状況などものともしていなかった。温明殿を自分の根城(…と表現させてしまうのがこの人の人徳)のように活き活きと立ち回り、自分(=佑子)の弱みに付け込もうとした相手に、元気に喝まで入れていた。そして佑子の姿に気づくと、彼女を励ますかのような明るい笑みさえ投げかけるのだった。

 そこにもまた衝撃を受け、佑子は気付く。
 自分が彩子の、苦難さえ跳ね返す、心の強さに憧れていただけだった、ということ。
 鏡の囁きは、自分が見るまいと目を背けてきた自分の感情であったこと。
 自分はそれ(負の感情)から逃げていただけ。体を入れ替えても彩子のような心の強さは手に入らない。かといって、努力をすることで彩子のような、気持ちのいい性格にはまず、なりきれたりしないだろう。

 けれど。

 「私は彩子様のようにはなれなくても、私なりの…よりよい自分になることはできるはず…」と、とうとう佑子は自分への答えを導き出す。
 そうして元の佑子に戻るのだー。

 作中で入れ替わられた彩子が指摘するように、怯えて生きるのは嫌、という理由で彩子の体を手放せない佑子は、確かに“気が弱い”女性だ。晴明が指摘するように、「闇を見まいと目を閉ざし」「光をも一緒に見失っていた」人だ。
 けれど亡き母が正室でありながら夫に顧みられず、周囲を呪いながら死んでいった姿を見て「怨み嫉みに振り回され、暗い感情に支配されるような生き方はしたくない」と願う気持ちは決して間違いではない。
(私だってその立場なら、強くそう願うだろう)
 それは佑子が笑顔と共に幸せな人生を送りたい、と思っていることの、裏返しになった言葉だと思う。
 誰だって願いが叶うなら、そうやって生きていきたい気持ちは、大なり小なり持っていると思う。
(断定なんかできないけど)
 だから晴明は佑子に、元の体に戻れ、といった無理強いはしなかったんじゃないかな。

 生まれながらに体の強い人、弱い人がいるように、心も生まれながらに強い人、弱い人がいるんだと私は思っている。残念だけど体や心が弱く生まれついてしまった人は、こんなふうに一歩づつでも成長の階段を登っていければいいんじゃないかな、と思う。

 ここからは私見だが、自分の真の望みに気づいた佑子は、よろめきながらもまっすぐ進んでいけるんじゃないかと思う。
 妖の誘いに最後には呑まれることなく、自分の非を認める度量を持ち、妖の力を手放せる佑子は、気弱なだけの女性ではないだろう。
 彼女が欲しいのは恐れや嫉妬や憎しみに囚われず、生きていける場所。帝の寵愛がないのを寂しくない、と言ったら嘘だろうが、こういう人は最終的にそれがなくても生きていけるんじゃないかな?
 むしろ身分こだわりなく、共に居て心地のいい相手を見つけることができそうだ。ひょっとしたら、ウンザリするような“帝の愛の攻防戦”が渦巻く後宮を潔く離脱して、尼になったとしても楽しんで生きていけるかもしれない、なんて想像してちょっと楽しくなる。

 そして私は自分にも言い聞かせる。「光を手に入れたいならそれを羨む前に、影を引きずる覚悟を持て」と。
 この漫画はそれをいつも教えてくれる、心の羅針盤のような大切な物語たちの一つだ。

 因みに時代的には今年の大河ドラマ『光る君へ』と時代が被るので、それと照らし合わせてみても面白いかもしれない。

※今回はyukkymarketingさんの画像を使わせていただきました。
「蛍には蛍のよさがある」と晴明にやんわり褒められた佑子のイメージです。

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