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忘れがたき私的名作漫画 『サイゴーさんの幸せ』

「アキラさんが学校へ行く途中の道、お風呂屋さんの壁のちょうど目の高さにはまりこんで、待っていたんです。

誰かに見つけてもらってずっと後まで覚えていてもらうため。」


◆それぞれの宝物

 今回もマイナーな漫画と言っていいだろう。
 作者のふくやまけいこさん自体は評価の高い作家さんだと思うけれど、この作品の名はそれほど聞かない(よう思える)。ので、書いてみたいと思う。

 

『サイゴーさんお幸せ』ふくやまけいこ (新書館:刊)

 取り上げたセリフは、どういうわけか”ほぼ”人間になってしまった上野公園の銅像・サイゴーさんが、主人公の彬(アキラ)君のふとした昔語りを聞いて、ほとり、と返してくる言葉だ。

 小学校の頃、大きな風呂屋の壁のタイル模様が、彬くんにはたまたまだけど魚と青い海藻のように見えた。他のタイルにはそんな模様は見られないのにー。

 それが自分が発見した宝物に見えた彼は、店の親父さんに見つかっても性懲りもなく、その宝物をこっそり発掘しようと、すき間に詰まったコンクリートのような接着素材を石で剥がして持ち帰ってやろうとがんばる。
最後には彬くんの兄も一緒になって彫刻刀で掘り出してみようか、なんて話になる。
 でも、店の親父に怒られる。(笑)

 が、わずか2か月後に、風呂屋は改装を始めてしまい、彬君が狙っていたタイルは問答無用でがれきの中に紛れてしまう。
彬君はそこに散らばった陶器のかけらを現場の工事員の目を盗みながら探してみたけれど、とうとう見つけることはできなかったー。

 これが、思い出の顛末。

 彬君はその思い出についてこう話す。
「結局あれを宝物だと思ってたのはガキの俺ひとりだったってこと!!」
「俺だけの特別なタイルも他の奴から見りゃ、何てことないシロモノなんだよ。」
「だからよー、俺たちが今やろうとしてる事だってそんなもんなのかなってたまに思うわけよ。」
それに対して、サイゴーさんは冒頭のように答えるのだ。

 ちなみに、この彬くんが「やろうとしていること」は私設で飛行機博物館を開くこと。そのために大量のプラモデルを買い込み、それ以外の立ち上げ資金も見越して、高校生活の恐らく半分以上をバイトに費やしている。

 情熱はたっぷり。やってることも間違いじゃない、といつもは信じているけれど時折、こんな風に不安になる。そんな胸の内を、彼はサイゴーさんにポツリと語ったのだ。

 宝物ってこういう存在だな、としみじみ思い直すエピソードだ。
今は世界的に価値があると思われている、金やダイヤモンドのような宝石。宝物としては不動の地位を築いているように思えるけれど、もしも世界中の人が「こんなものには何の価値もない。」と感じたら、それだってたちまち宝物ではなくなってしまう。
 宝物、ってそれくらい相対的で、ひどくあやふやな観念だ。
 それでも「美しい」「素晴らしい」と思う自分の気持ちと、同じ思いを抱く”誰か”がいることを信じて、夢を具現化していく不安と情熱。彬くんに限らず、そんな不安を感じている人たちみんなの気持ちを、サイゴーさんの答が柔らかく、けれど静かな力をもって背中を押してくれる。

 「宝物」って本当は自分が旅する時空に、自分の目の届く所で待っていてくれるものの名前かもしれない。

 

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