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忘れがたき私的名作漫画 『ちょっと江戸まで』

◆「芸術とは この世は素晴らしい、生きるのに値すると語りかけてくるものではないでしょうか」


 正直、ずっと芸術や文学や娯楽、といったものは生きていくためにはマストなものでも、最低限に必要なものでもない、という考え方に抗えずにいた。
そう、この『ちょっと江戸まで』(津田雅美:著)の物語に出会うまではー。

 津田雅美さんといえば、代表作は庵野秀明監督が実写化した『彼氏彼女の事情』が真っ先に浮かぶだろう。
 けれどこの話も津田さんの芯の通った哲学が光る、名作だと思う。


記事の話が載った『ちょっと江戸まで 4』(白泉社:刊)

 さて。
 この話の中でも天才的な絵の才能を持ち、藩の支援で学校での専門的な教育を受ける少年・圭次が同じ疑問を抱いている。
 なぜなら支援を受けている藩は、度重なる天災続きで、藩主も満足に食事ができないほどに困窮していたからだ。

 「(お金を出して勉強させてもらうような支援は)ありがたいことですが 申し訳ないような気もします。国では皆 飢えているのに わたしだけ絵を描いて。
 だって芸術なんて なくたっていいものでしょう? 飢えているとき こんなものなんにもならない。
食べてさえいられれば 人は生きていけるでしょう?」

 これを聞いた水戸家の跡継ぎ・廸聖(みちさと)は、圭次を援助した当の藩主と直接対面し、その答を圭次に伝える。これが冒頭の見出しの言葉だ。
 更に迪聖は続ける。

「おぬしの画は孤独な藩主の心をなぐさめたのだよ。それは食べることでは埋められぬ部分だったのだろう。」

 そうだ。人には食べることだけではない、心の底から“生きたい”という願いを満たしてくれるものが、確実に必要なのだ。
 そうでなければなぜ、食べることはできている人が自殺などするだろうか。恐らくそういう人の心持ちは、たとえ食べるものには死ぬほど困ってはいなくても「生きて明日を迎えたい」とは思えなかった(=生きるに値しない世界だった)、ということではないだろうか。

 もちろん、芸術がその追い詰められた魂すべてを救う万能薬だとは言わない。でも美しい絵を見ることで、この先絶望しかないと思っていた何人かは明日を生きてみたい、と思うんじゃないだろうか。
このセリフはその答を的確に射抜いている、と思えるのだ。

 自分の恥を晒すことにもなるが、私は中学生時代、イジメの標的になっていた。
 「逃げてはダメだ。」と親は私を毎朝学校に送り出した。私がその言葉に従って毎朝、教室の扉を開けると、楽しげに話していたクラスの子の目の色が一斉に冷ややかな蔑みの色に変わった。

 その寒々しさは今でも忘れることはない。

 そんな中で私を助けてくれた大きな力の一つは、物語だった。
 もちろんごくわずかだが、一緒に居てくれた「友だち」の存在も大きかった。
 けれど、それでも悪意のあるクラスメイトたちの言葉だけを毎日聞かされていたら、私はきっとまともではいられなかったろう。
それでもかなり、心が歪んでしまったとは思うが、私が最後の最後で正気を保てたのは、そしてひねくれずに前を向けたのは、物語の言葉が私の心の羅針盤になってくれていたからだ。
 そこには当然、クラスメイトたちが私に投げる言葉に含まれた、私を傷つけてやろう、排斥してやろう、とする悪意は一切なかった。だから物語の言葉は私の中にストン、と入って来て私の中に染み渡り、私の笑顔を守ってくれた。時には私の非を諭してもくれた。
 誇張ではなく、その頃の私は物語があったからこそ生きていられたと言ってもいい。

 だから私にとって物語、とは単なるエンターテインメントではない。私に「明日を生きたい」と思わせてくれた、究極の魂の救済者だったのだ。

 それでももし、この『ちょっと江戸まで』の話を読んでいなかったら、震災で罹災した女性が「口紅が欲しい」とコメントしたのを聞いた時、(こんな非常時になんて贅沢な!) なーんてことを平気で思って、眉をひそめたかも知れなかった。
 その女性にとって、口紅が「明日を生きたい」と思える大事な物であるかも知れないことにも気づかず、簡単に、残酷に。断定してその人の心を踏みにじったり、ひどければ壊したりしたかも知れなかった。

 そうならなくてよかったー。

 この漫画はそういうことを教えてくれた、恩人なのである。

 ※今回は naota _tさんの画像を使用させていただきました。


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