見出し画像

手始めは育児サークル

また、さかのぼって1998年から2003年くらいの話です。昔話ばっかりですが、順番が…あるんですよ。いきさつをいろいろ書こうと思っていたのですが、昔の日記が出てきたのでちょっと直してまるっと載せます。

結婚してすぐ上の子を妊娠した私は、毎日お気楽な日々を送っていたが、知人のデザイナーAさんの仕事を手伝うことになった。
Aさん(以後社長)は新しく事務所を構えていて、奥様含め数人のスタッフで仕事をされていた。1997年には、すでに自社サーバを持ち、インターネット常時接続であった。私は5歳年下の女性スタッフの手伝いをした。アイコンの制作である。マウスで1ピクセルずつ、チキチキと作った。結構楽しかったな、これ。すでに納品はメールに添付であった。初めて「メールにテンプして送っちゃうんです」と聞かされたとき、何のことなのか理解できなかった。その事務所には妊娠7ヶ月くらいまで、電車で通勤していた。あいた時間にはネットサーフィンできて面白かった。
上の子を出産してから、我が家にもインターネットがやってきた。と言っても当時はダイヤルアップ接続でテレホーダイの時間帯にちまちまやるだけだったのだが。私はよく夫が出勤した後、まだ子どもが寝ている早朝の時間帯によく繋いでいた。そして、自分もホームページを作りたい!そう思った。
知り合いのいない土地へ嫁いできた私は、たまたまポスティングされていたとある会報で、地域の育児情報を公開しているサイトがあることを知った。そこには掲示板があり、たくさんの小さな子どもを持つ母親たちが情報交換をしていた。そこを通じて他の育児中の方々と知り合ったのである。その後、アクティブなメンバーがサークルを立ち上げ、パパたちも巻き込みながら活動をしていた。
上の子が1歳になるころに、A社長の事務所から仕事を頂いた。とある年賀状作成ソフトのおまけにくっつける、クリップアートである。わりと急ぎで、数があったので結構大変だった。子どもが寝ている間に作業したものである。出来上がったものは圧縮してメールに添付して納品である。便利な時代になったものだ。思えばこれが結婚して初めてのパソコンを使った在宅の仕事だった。
下の子を出産して2ヵ月ほどたったころ、同じ事務所から、今度は社長の奥様から仕事を頂いた。英語のワークブックに使う、小さなカットである。やっぱり子どもたちが寝ている間に作業した。これも数があって大変だった。そんなこんなで気がつけば仕事をしている私であった。
下の子が1歳2ヶ月を過ぎた頃、育児サークルで地域の育児情報誌を作ろうという話が持ち上がった。以前にも一度作成されて配布されたことがあるのだが、もう情報も古くなったし新しく作り直そうということになったらしい。サークルのボス(笑)であるBさんが、おさんぽマップの作成を私に打診してきた。私はすぐに引き受けた。
しかし、そのあと同じサークルのCさんから一通のメールをもらった。そこには「マップだけじゃなく、表紙もできませんか?」とあった。そしてさらに殺し文句が入っていた。
「実績になりますよ。」
…うう、そうきたか(笑)
自治体から出る助成金はすべて印刷代に消えるので、ギャラは出ないという。だからボランティアという訳だ。しかし、このとき私はこれは損得勘定なしに絶対にやらなきゃいけない仕事なんだと思った。自分のセンスがイマイチなのには目をつぶり、私はこの仕事を引き受けた。
作業自体はかなりきつかった。結局夜中の作業になったし、息子は夜泣きをする。泣けば添い寝し、寝付けばそっと布団から這い出して作業をした。私は表紙と地図一つだけだったが、他の情報ページを担当したメンバーは相当大変だったと思う。その甲斐あって、できあがった情報誌はすごく評判の良いものになった。お金にはならなくても、実際に自分の関わったものが印刷物になるのは嬉しかった。
そう、確かに実績になったのである。

表紙やマップはイラストレータで作りました。市内の公園を手分けして調べ、情報を載せました。出来上がった冊子は無料で配布されました。
お世話になったA社長は数年前に鬼籍に入られました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?