0209生命科学クライシス

効果を再現できない医薬研究、約90%『生命科学クライシス』試し読み

日本経済新聞(5/4)、HONZ、日経サイエンス(6月号)で紹介された『生命科学クライシス』から、「第1章 製薬業界を揺るがした爆弾発言」の冒頭部分をお届けいたします。

生命科学の分野で、再現のできない研究があまりに多いことに疑問を感じた敏腕科学ジャーナリストが、トップ研究者から、政府組織の要人、業界の権威や慣習に立ち向かう「反逆児」、臨床試験に望みを託す患者まで、広範な取材をもとに、これまでタブーとされてきた重大な問題の全貌を描きます。薬の開発に直結する分野だけに影響は大きく、見過ごせません。

日経書評ページ 過剰競争が招く研究の衰退
HONZ 衝撃! ”生命科学クライシス-新薬開発の危ない現場”
HONZ 『生命科学クライシス─新薬開発の危ない現場』着実に進むために、急がば回れ

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再現できない

 それは、誰でも知っていながら口にするのははばかられるたぐいの話だった。毎年、およそ一〇〇万件にのぼる生物医学研究の成果が科学文献に発表される。だがその多くは、はっきり言って間違っている。誇大な記述や突飛な統計の話、根拠の弱い論文や間違った論文を除外するとされる査読システムの話は、ひとまず脇に置いておく。ともかく多くの研究は、精査するとボロが出る。それは、まだ確立していない最先端の領域を探究しているからということもある。科学者が知らず知らずに、実際には真実ではないストーリーをデータが語るように望んだということもある。たまに、紛れもない不正がおこなわれることもある。だがいずれにせよ、論文で発表される研究成果の大部分は間違っている。

 C・グレン・ベグリーは、多くの人が語ろうとしなかったことをあえて言うことにした。オーストラリア生まれの科学者であるベグリーは、学術研究機関で二五年間過ごしたのち、南カリフォルニアにあるバイオ業界の草分け企業アムジェンでがんの研究を率いることになった。学術研究機関で研究していたころ、ベグリーはヒト顆粒球コロニー刺激因子(G-CSF)というタンパク質を別の研究者と発見した。G-CSFは現在、命に関わる量の抗がん剤を投与された患者の免疫系を再構築するために用いられている。G-CSFは最終的にアムジェン初のブロツクバスター(大型新薬)となったので、何年かして同社ががんの研究プログラムを立ち上げようとしたときにベグリーをその職に招聘したのは驚きではない。

 製薬企業では新薬の種となるアイデアを得る際、ほとんどの研究資金が税金でまかなわれる学術研究機関の研究室が発表した成果に頼るところが大きい。企業はそのようなアイデアに飛びつき、新薬候補を開発し、新しい治療薬として世に送り出す。ベグリー配下の研究員たちは、科学文献を調査して新薬候補としてめぼしいリード化合物を洗い出した。期待できそうなものが見つかるたびに、詳細を調べるプロジェクトが開始された。ベグリーの主張では、どの研究プロジェクトでも最初の段階は、論文と同じ結果が得られるかどうかを見極めるために企業の科学者が追試することだという。だがほとんどの場合、アムジェンの研究所では実験結果を再現できなかった。再現失敗が正式に報告されると、そのプロジェクトは打ち切られ、科学者たちは科学文献に発表された次なるすばらしいアイデアに目を向けた。

 アムジェンで一〇年間働いたのち、ベグリーは次の職に進むことになった。だがその前に、自分の研究チームが再現できず棚上げにした数々の研究を調べたかった。そして特に、よい結果が出ていたら重要な新薬になった可能性のあるものに着目した。ベグリーは、もしかすると画期的かもしれないと思われた五三本の論文を選んだ。ただし、アムジェンは再検討のために実験を何度も繰り返すつもりはなかったので、ベグリーは、これらの興味深い結果を論文にした科学者本人たちに助けを求めた。

「ほとんどの場合、科学者たちは私たちとの協力に前向きでした。話の最中で一方的に電話を切られたり、会話の続行を拒まれたりしたのは二、三回だけです」とベグリーは言った。まず、ベグリーは科学者たちに、元の実験で用いたとおりの材料を提供してほしいと依頼した。その材料を使って実験を再現できなかったとしても、アムジェンはあきらめなかった。「二〇件ほどについては、実際に弊社の人間を先方の研究室に派遣して、科学者が自分の手で実験するのを見せてもらいました」と、ベグリーは話した。ただしこのときは、実験のどの群が肯定的な結果を期待できるのか、どの群が比較する群(対照群)なのかを科学者たちに伏せておいた。すると、このように盲検化した条件では、再現はほとんど失敗した。「つまり、アムジェンが単に実験を再現できなかったのではありません」。ベグリーは話を続けた。「当の科学者たちも再現できなかったのが、もっと衝撃でした」。ベグリーが追試をさせた五三件の独創的で興味深い研究のうち、結果を再現できたのは六件にとどまった。わずか六件。一割をかろうじて超える程度でしかない。

 ベグリーはアムジェンの取締役会で、この情報をどうすべきか相談した。すると、それを論文で発表するように告げられた。ドイツの製薬企業バイエルも以前に同様のプロジェクトに取り組み、やはり一貫性のない結果を得た(追試で結果を再現できたのは二五パーセント。その研究は二〇一一年九月、ある専門誌に発表されたが、あまり公の議論を引き起こさなかった。ベグリーは、学術研究機関の科学者が共著者になってくれたら自分の研究に対する信頼性が高まるだろうと考えた。ヒューストンにあるMDアンダーソンがんセンターのリー・エリスが加わって解析に協力してくれた。エリスも、がん研究における厳密性の向上が必要だと率直に発言していた。彼らの意見論文が二〇一二年三月に科学誌『ネイチャー』に掲載されると、たちまち注目を集めた。ベグリーとエリスは、この件を同業者たちの前で堂々と取り上げたのだ。

 彼らが英雄視されることは、ほとんどなかった。マサチューセッツ工科大学の著名ながん研究者ロバート・ワインバーグはこう話した。「私の意見では、あの論文は産業界にいる人間の愚かさを証明するものでした。彼らの甘さや無能さがさらけ出されました」。ベグリーによれば、二人が学会で発表すると、科学者が立ち上がって「あなたがたは、研究費が削られたりするようなひどい仕打ちを科学界にしているじゃないですか」と非難してくることがよくあったそうだ。ところが、ホテルのバーだと、会話はいつも違ったという。バーでは、再現性のなさは生物医学分野にとって破滅的な問題だと科学者がそっと認める。「それは周知の事実でした。ただ、口に出せないことでした。私たちがそれを公然と言ったことが、衝撃を与えたのです」

基礎研究に忍び寄る危機

 生物医学研究における再現性の問題は、長年くすぶっている。一九六〇年代にはすでに、科学者たちはよく知られた落とし穴について注意を呼びかけていた。たとえば、研究室での実験で広く用いられるヒト細胞の正体が、表示とまったく違う場合がよくあるといったことだ。二〇〇五年にスタンフォード大学のジョン・ヨアニディスが「発表された研究成果のほとんどが誤りである理由」と題する論文を発表した。そのよく引用される論文では、いい加減な研究デザインや解析によって少なからぬ問題が引き起こされていることが浮き彫りにされた 。しかし、バイエルの論文や、その後ベグリーが発表した論文によって、それまではひそかな狼狽をもたらしていた問題が、突如として表面化し、あれよというまに注目を集めた。

 それを「再現性の危機」と呼ぶ人もいる。問題なのは、科学者が時間や税金を無駄にしているだけでなく、人を欺く基礎研究の研究結果が、病気の治療法の探索を実際に遅らせていることだ。研究室でおこなわれる研究は、医学の進歩のまさに核心である。動物や細胞、DNAなどの生体分子を用いる基礎研究は、健康な状態や病気の基礎をなす生物学的メカニズムを明らかにする。こうした試みの多くは「前臨床試験(非臨床試験)」と呼ばれ、その知見は(臨床における)人間を対象とした試験につながることが期待される。しかし、前臨床試験で得られた知見にひどい欠陥があれば、科学者は何年間も無駄にしてしまう恐れがある(ものすごい金額をドブに捨てるようなものだという点は言うまでもない)。いずれがんを治せる、アルツハイマー病を克服できるといった見込みがときおり示されるのは、科学的発見によって新たな治療法の実現に近づきつつあるという信念があるからだ。科学的発見のなかに医療を進展させるものがあるのは確かだが、発表される多くの研究結果は、実際には研究を誤った方向に導いてしまう。それに、ベグリーとエリスの論文やバイエルの論文による衝撃は、科学者が間違いを犯すということだけではなかった。これらの研究は、そのような間違いが信じられないほど多いという警告を発したのだ。

 一見、そんなことは信じがたいと思える。もしかすると、それが一つの理由で、間違いが多いという主張が広く認められるまでに時間がかかったのかもしれない。なんと言っても、科学者はおしなべて非常に賢い人びとだ。全体として見れば、科学者たちには成功を重ねてきた長い実績がある。薬のほとんどは生物医学研究のおかげで生まれたし、ノーベル賞受賞の理由となった、人間の本質に迫るさまざまな洞察がそうした研究からもたらされたのは言うまでもない。多くの生物医学研究者は、生命の新たな神秘を発見し、世界を人間にとってよりすばらしい場所にすることに意欲的だ。科学者のなかには親戚や愛する人びとを苦しめている病気を研究している者もおり、彼らは治療法を見つけたがっている。学術研究機関の研究者は、たいてい金銭のために研究しているのではない。生物医学分野の博士号を持っていれば、それを活用してもっと儲けられる方法がほかにいろいろある。大事なことだが、科学者は物事を正しく理解するということを旨としている。失敗は研究につきものの側面だ。なにしろ、科学者は知識の最先端のところで暗中模索しているのだから。しかし、避けられる間違いを犯すのは恥ずかしいことだし、なお悪いことに研究の足を引っ張る。

 学術研究機関の研究者が働いている環境が、じつは失敗のお膳立てをしてきた。研究費の奪い合いが絶えない。昇進や終身在職権の獲得は、人目を引く発見ができるかにかかっている。一位になると大きな報酬が与えられる。たとえ、その研究が最終的には時の試練に耐えられなくても。そして、早合点に対する罰則はほとんどない。じつのことろ、この問題の大きさを考えると、間違いを犯していることに多くの科学者が気づいてさえいないことが明らかだ。科学者は文献で読んだことを正しいと思いこみ、その想定に基づいて研究プロジェクトを始めることがよくある。ベグリーの話では、アムジェンで再現できなかった研究の一つは、ほかの研究者から二〇〇〇回以上引用されていた。それらの研究者は、元の研究結果を実際には確認せずに、その研究を足がかりとしたり、少なくとも参考にしたりしている。

 他人の研究をチェックしたところで、研究資金や名誉はほとんど得られない。そのため、間違いが何年も経ってから初めて発覚することもある。人気だがじつは裏づけの乏しいアイデアがようやく注意深い実験によって検証され、唐突に消え失せるのだ。先頭に立つものが間違っている場合、分野全体で何年もの時間と何百万ドルもの金を費やして、結局は正しくないと判明するものを追いかけてしまいかねない。

 失敗は、あるアイデアをもとに新薬を開発する段になって顕在化することもある。それがグレン・ベグリーの研究結果に唖然とさせられる理由だ。研究の再現失敗率が高いという結果は、本当に重要な研究を選んだうえで弾き出したものだ。製薬企業は、生物学への新しい洞察や、とりわけ新薬の開発候補となるリード化合物を得るために学術研究機関の研究を重視している。もし学術研究機関が疑わしい研究結果を世に出しているのなら、製薬企業は新薬を生み出すのに苦労するだろう。むろん、ベグリーが検証したのは、科学文献に載っている膨大な数の研究のうち、たった五三件にすぎない。そして、彼がそれらの論文を選び出したのは、有益な新薬に結びつく可能性を秘めた驚くべき知見があったからだ。ひょっとして、もっとおもしろみのない研究を調べたら、研究の再現成功率はより高いことが示されたかもしれない。しかし言うまでもなく、そんな研究が医療の飛躍的な進歩につながることはあるまい。

 これまでに生物医学研究の質を全体として測る組織的な試みはなされていないが、「世界生物学基準研究所(Global Biological Standards Institute)」という非営利組織を設立したレナード・フリードマンは二人のエコノミストと手を組み、アメリカにおけるこの問題を金額に換算した。研究の質の数値化を試みた少数の小規模な研究から、彼らは次のように推定した。研究デザインが信頼できない研究が二〇パーセント。目的ではない細胞が混入していたり、科学者の想定するほど選択的でも的確でもない抗体を使っていたりするなど、材料が怪しい研究が約二五パーセント。実験技術のお粗末な研究が八パーセント。データの解析がまずいものが一八パーセント。要するに、フリードマンは前臨床研究全体の約半数が当てにならないと算出した。彼はさらに計算を進め、信頼できない論文の発表に一年で二八〇億ドルが費やされると推定した。この目玉が飛び出すほどの推定値は、大勢の懐疑的な面々を驚かせており、フリードマン自身は、この数値が不確実なもので「さらなる議論に向けたまずまずの出発点」だということを認めるのにやぶさかでない。

「誤解のないように言えば、この結果は生物医学研究に投資しても何も見返りがないと匂わせているのではない」とフリードマンらは書いている。「再現性がない」と彼らが定義している本当のところは、多くの場合、科学者がある論文を取り上げたとき、そこには自分の手で実験するための十分な情報が書かれていないということだ。それは確かに問題だが、決して悲惨な状況ではない。より大きな問題は、フリードマンが強調する間違いや過失が、ベグリーが見出したように際立って多いことだ。そのうえ科学者は、失敗が科学の仕組みの一部だとすぐに認める一方、防ぎうる間違いがどれほど研究に悪影響を及ぼしているのかにはあまり気づいていない恐れがある。

「朝起きて、ひどい科学研究やずさんな科学研究をするつもりで出勤する研究者などいないと思います」とエディンバラ大学のマルコム・マクラウドは言った。彼は一〇年以上前から、この問題について寄稿したり考えたりしてきた。マクラウドの出発点は、なぜ動物実験では有望そうなリード化合物がいくつもあるのに、脳卒中治療薬の開発がほとんど成功していないのかと疑問に思ったことだ(例外にtPAという薬があるが、それは血栓を溶解するものの、損傷した神経細胞には作用しない)。そしてこの疑問についてくわしく調べるうちに、粛然とさせられる結論に行き着いた。無意識のバイアスが、研究のあらゆる段階で科学者に生じる。たとえば、実験動物の適切な数を選ぶ段階、どの結果を採用してどの結果を単に不採用とするかを決める段階、最終的な結果を解析する段階などだ。どの段階にも相当の不確実性が入りこむ。マクラウドの話では、そのようなバイアスや間違いを合わせると、発表されている研究のなかで正しいものは約一五パーセントしかないかもしれないという。多くの場合、報告された効果は、実際にあるかもしれないとはいえ、その研究で結論づけられているよりかなり弱い可能性がある。

 研究の再現失敗率の推定値はたいてい、経験に基づいて得られている。この問題の規模を直接測ろうと試みた研究が、ごく少数ながらある。MDアンダーソンがんセンターの科学者たちが同センターの同僚たちに、研究の再現に苦労したことがあるかと尋ねた。それに対し、上級研究員の三分の二が「イエス」と答えた。論文の結果と自分が追試した結果の食い違いが解決されたかという問いに対して、解決されたと答えたのは約三分の一にとどまった。「科学の知識や進歩が、査読済みの論文、すなわち知識と『見なされるもの』の入手に不可欠な情報源に基づいていることを踏まえれば、この結果はきわめて気がかりだ」と、この調査結果を論文で発表した著者らは書いている。

 アメリカ細胞生物学会が二〇一四年、会員にアンケート調査を実施したところ、回答した会員の七一パーセントが、発表された研究結果をいずれかの時点で再現できなかったことがあると答えた。ここでも、再現に失敗した研究のうち、四〇パーセントで食い違いが解消されず、三分の二については、科学者たちは、元の論文に載っていた研究結果が嘘だったか、「専門知識ないし厳密性の欠如」によって結果に不備があったのだろうとにらんでいた。なお、アメリカ細胞生物学会はこの調査結果について、次のような重要な但し書きを加えている。調査した八〇〇〇人の会員のうち、回答したのは一一パーセントだけだったので、調査結果の数値に説得力はない、と。とはいえ、『ネイチャー』誌は二〇一六年に一五〇〇人以上の科学者を調査し、よく似た結果を得た。回答した科学者の七〇パーセント以上が実験を再現しようとして失敗し、約半数が再現性の「重大な危機」があるということに同意したのだ。

鈍化する新薬の開発

 これらの懸念が、ないがしろにされているわけではない。アメリカ国立衛生研究所(NIH)の一号館にある所長室から、所長のフランシス・コリンズと副所長のローレンス・タバックは二〇一四年、『ネイチャー』誌にコメント記事を書き、再現性に関する「この懸念をわれわれも抱いている」と表明した。長い目で見れば科学は自己修正システムだが、二人はこう警告している。「短期的に見れば、かつては科学の厳密性を守っていた抑制と均衡がぐらついている」。アメリカ食品医薬品局(FDA)のジャネット・ウッドコックは、さらにずばりと言った。「科学界は全面的にめちゃくちゃだと思います」。ウッドコックの話では、アムジェンなどの製薬企業は、たいてい創薬プロセスの早い段階で問題に気づき、お粗末な科学研究の排除に取り組む。だが、たとえば希少疾患の治療薬を研究している大学の科学者による実験など、「学術研究機関でなされた実験をわれわれ(規制当局のFDA)が利用しなくてはならないこともあります」。「すると、ひどい問題にしょっちゅう突き当たります」とのことだ。新薬候補の開発が、より厳密な薬物試験体制が整っている段階に進むと、九割は脱落する。ウッドコックはその理由として、基礎となる科学研究が厳密でないことを挙げた。「それは、設計した航空機の一〇機に九機が空から落ちたというようなものです。あるいは、建設した橋の一〇本に九本が崩れたという言い方もできます」。ウッドコックは、この思いつきの荒唐無稽さに頭をのけぞらせて笑った。ただ、ひとしきり笑ったあと、まじめな口調に戻ってこう言った。「信頼できる厳密な科学が必要です」

 ジョンズ・ホプキンス大学ブルームバーグ公衆衛生学部のアルトゥーロ・カサデヴォールも、同じ懸念を抱いている。「人類が迎えるこれからの数百年は、本当に厳しいものとなります。これはどうしようもありません」。カサデヴォールは、急増する人口によって食料や水などの基本的な資源に重圧がかかる将来を見据えていた。過去数百年にわたり、驚くほどの人口増加にもかかわらず、人類はなんとか着実に生活を向上させてきた。「科学革命のおかげで、人類はマルサスが唱えた人口増加の危機を幾度も回避してきました」とカサデヴォールは述べた。これからの数百年を切り抜けるためには、「科学が最大限、力を発揮することが求められます。ですが基本的に言って、今はそうなっていないと思います」。

 進歩の鈍化は、特に生物医学ですでに現れている。カサデヴォールの推測によれば、一九五〇年から一九八〇年までの医学の進展は、それ以降の三〇年間よりはるかに大きかった。血圧降下剤や抗がん剤、臓器移植、そのほか世の中を変える数々の技術を考えてみるといい。それらはすべて、一九八〇年以前に登場した。カサデヴォールには九二歳の母親がいる。彼女は、先進国で健康が着実に改善してきたことを示す「歩くあかし」だ。彼女は六種類の薬を服用している。そのうち五種類は「私がベルヴュー病院で研修医をしていた一九八〇年代はじめにも使われていました」。では、もう一種類の新しい薬は? 胸やけ用の薬だ。「現在わかっていることからすれば、医療はもっと進んでいてよいはずだと思うでしょう。なぜそうではないのでしょうか?」

 新薬の承認率は一九五〇年代から下がり続けている。二〇一二年、ジャック・スキャネルらは、新薬開発状況が悪化の一途をたどっていることを表現するため「イールームの法則(Eroom’s law)」という言葉を作った。「イールーム(Eroom)」は「ムーア(Moore)」の綴りを逆にしたものだと彼らは説明した。ムーアの法則は、コンピューター・チップの性能が指数関数的に向上することを示しているが、製薬産業は逆行している。その傾向を一九五〇年を起点として延長すると、新薬開発は基本的に二〇四〇年で止まることになる。それ以降は、開発費が果てしなく増大するのだ(そうした予測は間違いなく悲観的すぎるとはいえ、印象的な点を突いている)。一九九〇年代なかばに起きた唯一の注目すべき進展は、エイズ治療薬の開発がなかなかうまく進んだことだ(創薬状況は、スキャネルらの分析が二〇一〇年に終了したのちにささやかながら改善した)。彼らによれば、イールームの法則が生まれたのは、経済と歴史と科学の傾向の組み合わせにあるという。スキャネルは、生物医学研究における厳密性の欠如が重要な根本要因だと私に語った。

『生命科学クライシス』紹介ページ

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