気候変動は生物をどう変えたのか?『温暖化に負けない生き物たち』試し読み
3月4日発売予定の『温暖化に負けない生き物たち――気候変動を生き抜くしたたかな戦略』の試し読みをお届けします。
著者は保全生物学者のソーア・ハンソン。『羽』『種子』『ハナバチがつくった美味しい食卓』など、自然について軽やかに語る著書は高い評価を受け、数々の賞を受賞しています。
今回、ハンソンがテーマに選んだのは「気候変動と生物」。ただし、従来の気候変動関連の本とはひと味違う角度から、この問題に取り組んでいます。
地球温暖化のせいで多くの生き物が苦しめられ、絶滅の危機にさらされています。二酸化炭素の排出量を減らし、気候変動対策に取り組むことは絶対に必要ですが、「自然は無防備ではない」とハンソンは言います。生物はただ傷つけられているわけではないのだ、と。
ハリケーンをやり過ごせるように体を変化させたトカゲ、小さなサイズで成熟するようになったイカ、サケを食べるのをやめたクマなど、生物はさまざまな戦略を駆使して生き延びているのです。
「気候変動は憂慮すべき問題であると同時に、好奇心をかきたてる事象でもある」――ストーリーテラーとして名高いハンソンの物語る気候変動と生物の世界とは? トカゲが登場する9章の抜粋をお楽しみください。
第9章 進化する
コリン・ドナヒューは順調な人生を歩んでいたと言ってよいだろう。イェール大学とハーバード大学で研究したのち、誰もがうらやむパリのフランス国立自然史博物館でポスドク研究員の地位を得たからだ。大好きなトカゲを研究対象にしただけでなく、調査地はカリブ海に浮かぶタークス・カイコス諸島という人気の観光地だった。二〇一七年の秋にドナヒューは調査チームとともに、その諸島の中心にある二つの小島に赴いた。その島では、侵略的外来種のネズミの駆除が行なわれているところだった。ネズミはいろいろと悪さをしていたが、そのひとつがアノール科に属する固有種のトカゲの捕食である(アノール科は、イグアナやカメレオンに近縁の、新世界の小型トカゲのグループだ)。ドナヒューらは、この小さな爬虫類を捕獲し、計測してから解放した。そして、ネズミの駆除が終了した翌年に再び島を訪れ、トカゲの個体群の動向を見極める予定だった(ちなみに、トカゲにとっては誠にありがたいことに、似たようなネズミの駆除はカリブ海の他の島でも行なわれていた)。しかし、ドナヒューが調査を終えた四日後に、猛烈なハリケーンが調査地を直撃したために、入念に練り上げた計画が水泡に帰してしまったのだ。
その話を聞こうと思って電話をかけたところ、ドナヒューは「実際は、ハリケーンは二つ来たんだ」と答えた。まずハリケーン・イルマが来て、カリブ海東部は豪雨と高潮、秒速八〇メートル近い最大級の暴風に見舞われた。その二週間後に、今度はマリアというイルマと同じくらい強いハリケーンがやってきた。この二つのハリケーンでドナヒューのトカゲの生息地のような平坦な島では、木は吹き倒され、建物は倒壊して、自然も人間社会も壊滅的な被害を受けた。ネズミの駆除事業が無期限の延期になったのはいうまでもないが、この頓挫でドナヒューはある機会を手に入れた。トカゲとネズミ駆除の影響に関する調査は棚上げになったが、ハリケーンの影響を研究するのには打ってつけの立場になったのだ。生き延びたトカゲはいるだろうか? もし生き延びたトカゲがいて、その個体群と以前に計測した個体群とに異なる点があるとすれば、現在進行中の自然選択を記録できるかもしれない。
「ほとんど賭けみたいなものだったよ」とドナヒューは率直に言った。しかし、理論的には、相次ぐハリケーンの襲来は強力な進化の試練をもたらしたはずだ。そこでドナヒューは次のように考えた。トカゲが暴風を乗り切るのに役立った特定の形質があったか? そんな形質がなかったならば、生き延びたのは単に運が良かっただけなので、個体群の調査を行なうのは時間の無駄だろう。しかし、役立つ形質があったのなら、そうした形質を特定して、それがハリケーン後の個体群に広がるのを確認できるかもしれない。「まったく予測はつかなかったよ。でも、そんなデータを手に入れるチャンスが二度とないことはわかっていた」とドナヒューは言った。そこで、彼は急いで調査費を工面すると、再びカリブの島へ赴いた。それから、六週間前に終えたばかりの調査とまったく同じことを繰り返したので、デジャヴュのようだった。
「時間がなかったので、一日中、トカゲを捕まえては計測していたよ」とドナヒューは当時を思い出して言った。熱帯の島で誰もがうらやむような過ごし方をしてきたかのような口ぶりから、ドナヒューがその調査旅行を楽しんでいたのは明らかだった。会話からは、ドナヒューの科学に対するあふれんばかりの情熱が感じられた。普通の人なら、その日の仕事を切り上げたら、プールサイドのバーでくつろぐだろうと思われるのに、ドナヒューはその後もずっと仕事や考えごとをし続けるタイプのようだ。すぐに島に戻ってトカゲを再調査するのが重要だと気づいたのは、そのためかもしれない。ましてや、リーフブロアーを持って行くことを思いついたのもそのために違いない。
「税関の検査官は面食らっていたよ」とドナヒューは言うと、科学者が大きな庭師の道具を持って旅行するわけを説明しようとしたときのことを思い出して、大笑いした。「トカゲがハリケーンレベルの強風に対してどのように行動するのかを知る必要があったんだ。十中八九、急いで逃げ出したり、木の根元にうずくまったりするだろうと思っていた」。本物のハリケーンの最中にトカゲを観察するのは無理な話なので、ドナヒューはホテルの部屋でハリケーンのかわりにリーフブロアーを使った。
捕獲したトカゲを棒につかまらせて、リーフブロアーで吹きつける風を徐々に強くしていくことで、さまざまな状況下でトカゲの反応を観察することができた。普通の強風ではトカゲは棒の風下側へ回り込んでしがみついた。風速が増すにつれて後肢が滑るようになり、ブロアーの風がハリケーン並みの強さになると前肢だけでしがみついたので、体は風と平行になり、旗のように風にはためいた。この実験のビデオはユーチューブで公開され、大勢のネット民が興味深い科学的発見の世界を垣間見ることができた。ドナヒューは、このトカゲが風に吹かれる様子を観察して、ハリケーン後のデータにみられた注目すべきパターンを明確に説明できることに気づいた。
ドナヒューらが調査旅行の最後の晩にデータ解析を始めたところ、何かが起きていることがすぐにわかった。高木や低木にしがみついて二つの嵐を切り抜けることができたトカゲは、指球のある足裏部が有意に大きく、前肢が長かった。それはまさに、リーフブロアー実験で明らかになった強い握力を生み出す形質だ。一方、後肢は短くなっていた。それによって、風が非常に強いときに体を後ろになびかせて、抗力を減らしやすくするようだ。のちにドナヒューの研究チームはさまざまな統計検定を行ない、その結果が信頼できることを確認した。調査地のトカゲの個体群はわずか六週間の間に、役立つ形質を備えた個体が有利になるという自然選択によって、明らかに変化を遂げていたのである。つまり、適者生存である。
ドナヒューはハリケーンが原因になって進化が促されると知って驚いたが、本当に驚いたのはその次に発見したことだった。それが発見できたのは、ドナヒューが好奇心旺盛で、いくら注目に値する発見でも、一つだけで満足するような人間ではなかったからだ。優れた科学の例に漏れず、ドナヒューの研究も、疑問が疑問を生み、発見が新たな発見につながるので、完了することなくずっと続いている。まず、ドナヒューが知りたかったのは変化が遺伝するかどうかということだった。握力の形質が遺伝しないものなら、大した話ではない。そこでドナヒューは、その翌年と、さらに半年後の二度にわたって再び調査地に赴き、トカゲを捕獲して計測し、放すという一連の作業を行なった。ドナヒューはほとんどのトカゲとファーストネームで呼び合うほど親しくなったに違いない。この二度の調査で、若いトカゲが前肢の指球部が大きいなどのハリケーンに役立つ形質を、間違いなく親から受け継いでいることが明らかになった。すると、今度はさらに次の疑問が湧いてきた。今回の出来事はたまたま生じた一時的な現象だったのか、それとも頻発するハリケーンによって、長期にわたる進化が引き起こされたのだろうか?
「その点についてはずっと研究を続けているんだ」とドナヒューは言うものの、すぐに答えが出せる簡単な問題ではなかった。自然選択は形質に「ゆらぎ」をもたらすことがよくある。形質がいわば機能的平均値の上下にわずかに揺れ動くのだ。たとえば、足の指球部が大きいことは風が強いときには役立つとしても、普段は意味がないどころか、邪魔にさえなるだろう。もしそうならば、またハリケーンの発生もさほど頻繁でないのであれば、進化圧によって、数世代のうちに足の指球部の大きさは「普通」に戻るだろう。ドナヒューは、ハリケーンが持続的な変化を引き起こすことができるかどうか、つまり、何世代にもわたって一貫して形質を一方向へ推し進め、恒久的な結果をもたらすことができるかどうかを明らかにしたいのだ。しかし、この疑問を解くためには、三つの要因についてもっと多く調べることが必要だった。それはトカゲとハリケーンと時間である。
解決策にたどり着くために、ドナヒューは別のスケールから考え始めた結果、科学の別の分野に足を踏み入れることになった。気象学者の協力を得て、カリブ海一帯のハリケーンの歴史地図を作成し、ハリケーンが発生した場所と頻度を定量化したのである。同じ地域に生息しているさまざまなアノールトカゲの種や個体群とその地図を比較してみると、一つの顕著なパターンが見えてきた。ハリケーンの頻度が高い地域では、トカゲの足の指球部が大きいのだ。握力に対する選択圧には確かに方向性が認められた。それは長期にわたって働き、頻繁に強風に晒される地域で、トカゲの足の形質を決定づけているようだ。ということは、ドナヒューがタークス・カイコス諸島で行なった調査の結果は、もっと大きな現象の一部分を示すものであり、またドナヒューの研究は気候変動生物学の最先端でもある。「確かにそれが一番重要な点だね」とドナヒューも賛同した。ドナヒューは気候に応答して進行しているリアルタイムの進化を確認することで、気候変動は種の行動だけでなく、種の形質も変えていることを明らかにした最初の人物の一人になった。
コリン・ドナヒューはハリケーンと進化を対象にして長期研究をする計画があると話してくれた。ハリケーン・イルマとマリアのあとに観察した他の応答もぜひとも研究したいと思っているそうだ。たとえば、被害を受けた高木や低木は不思議なほど速く再生している。自然選択は強風に適応した植物にも有利に働くのか? 昆虫や鳥類、哺乳類はどうなのか? ドナヒューの研究に触発されてクモの調査を始めた研究者が、ハリケーンが原因で自然選択が生じたという証拠を見つけている。ハリケーン後に、クモの個体群に攻撃的な遺伝形質が急速に広まっていたのだ(どうやら友好的なクモよりも意地の悪いやつの方が逆境に強いらしい)。若い研究者はこうした問題に取り組んでいると、安定した良い仕事に就くことができる。というのも、ハリケーンが起きるのは地球温暖化のせいだと主張する気象学者はいないだろうが、最大級の暴風の発生頻度が増えているという点については、気候学者の意見は一致しているからだ。同じことが異常気象全般について言える。あるシステム(系)に加わるエネルギー(たとえば、熱)の量が増えると、その結果の激しさが増すのだ。強火で米飯を炊いてみれば、自分の台所でこのことを実感できるだろう。
進化の過程を知るうえで、気象の極端な変化は珍しくリアルタイムの洞察をもたらしてくれる。異常気象は個別に起こり、影響力が大きいので、研究者がちょうど良いタイミングで出くわせば、数週間、いや数日のうちに個体群への影響を測定することが可能なのだ。しかし、気候変動はもっと長い期間にわたる応答も引き起こすので、こうした影響のなかにはすぐには現れず、ここに来てようやく明らかになったものもある。たとえば、フィンランドに生息するモリフクロウの体色には、灰色と赤褐色のタイプがある。以前は自然選択が灰色型に有利に働いていた。深い雪に覆われている長い冬の間は、灰色は隠蔽色になるからだ。しかし、温暖化に伴って積雪が減り始めたために、灰色の隠蔽効果が徐々に低下して、過去五〇年間に褐色型の頻度が二〇〇%近くも増えた。スコットランドでは、キマダラジャノメというチョウも計測できるほど進化している。分布域の先端部にいる個体は翅を動かす筋肉がより発達していて、温暖化に伴って新たに生息に適するようになった北方まで長距離飛行ができるのだ。こうした事例研究は人目を引くが、生物学者はこうした研究はまだ不完全だと考えている。進化の立証基準を満たすためには、野生下で観察された変化が、それを引き起こした遺伝子の変化と合致していなくてはならない。これを成し遂げるのは生易しいことではないが、DNA分析の技術が進歩したおかげで、成功する可能性が高まっている。
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著訳者紹介
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