0215なぜ_やる気_は長続きしないのか

「成功者=意志が強い人」はウソ!?『なぜ「やる気」は長続きしないのか』試し読み

勉強をしなければいけないことはわかっているのにTVを見てしまう。ダイエット中なのにお菓子に手を伸ばしてしまう……。そんなとき、ガマンのできない自分が嫌になったりします。でも、そもそもガマンが必要のない状態に自分を持っていくことができたら? 最新の心理学によると、ありふれた3つ感情には、ガマンや自制心を使わずに「やる気」を持続させる効果があるそうです。感情に秘められた驚くべき力にフォーカスした本書から「はじめに」をお届けします。

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0215なぜ「やる気」は長続きしないのか


はじめに 自制心と成功の関係

「ぼく、クッキーほしい……でもぼく我慢しなくちゃ」。過去四〇年のあいだに、自分が子供であったか、または子供といっしょに暮らしたことがある人ならほとんどが、このセリフの最初の部分を耳にして、おそらく青い、毛むくじゃらの、すこしたどたどしい話し方をする、憎めない食いしん坊のマペットの姿を思い浮かべることだろう。クッキーモンスター〔アメリカの教育番組「セサミストリート」の登場キャラクター〕だ。しかし、このセリフの後半部分を初めて聞いたとき、私は耳を疑った。その名前からわかるように、クッキーモンスターは本来、「欲しいものはすぐに手に入れる者」の代名詞である。たしかに、時代の要請に合わせて、多少は調整が加えられることもあった。例えば、世間で子供の食生活が問題にされると、クッキーモンスターの好きな甘いものには、クッキーだけでなく果物も含まれることになった。学校で食物アレルギーの危険性が問題視されたときには、彼はクッキーにナッツが入っていないことをしっかりと確認していた。しかし、一つの特徴は一貫して変わらなかった。それは衝動的な性格である。クッキーモンスターは欲しいものがあると「すぐに」それを手に入れようとしてきた。ところが二〇一三年、「セサミストリート」の第四四シーズンが始まると、この特徴は変わった。「でもぼく我慢しなくちゃ」という一言が、クッキーモンスターの決まり文句に加えられ、新しい世代の幼児教育の一部となったのである。

このような変化が生まれたのは、私たちの社会がつねに成功に取りつかれるようになった証拠だ。仕事、資産管理、健康増進、そして不可能に思える夢への挑戦など、目標が何であれ、それを成し遂げようとするには、自制心が鍵となることが数十年の研究の成果から明らかになった。つまり、将来、より多くの報酬を手に入れるためには、欲しいものをすぐに手に入れて満足したいという衝動に抵抗する能力が決め手になるということだ。

『意志力の科学』、『成功する子 失敗する子』、『やり抜く力』といったベストセラー書はすべて、根気や忍耐力を養うことがいかに人生にすばらしい影響を及ぼすかについての知見を並べている。さらには書籍に負けじと、アトランティックからピープルまでさまざまな雑誌で、自制心の効用やそれを養うための方法を扱った記事が定期的に特集されている。

私は、このように自制心を強調したり、未来を重んじたりすることを批判するつもりはまったくない。むしろ、必要なことだと考えている。また、自制心を身につけるとプラスになるという考え方自体は目新しいものではなく、何世紀も前から寓話や論文などで大いに称賛されているのを確認できる。しかしいま、何が新しくなったのかといえば、この考えが哲学と神学の領域を脱し、実験に基づいて裏付けられるようになったことなのである。自制心が利益になることはもはや議論の余地がなくなった。その成果は数字の上からも示されている。そしてこのように数量化できるということは、理論的には数値を最大限にまで大きくできるということだ。ところが、ここにおける難問は方法―つまり、どうすれば最大化できるかにある。いったい自制心はどうすれば高められるのだろう?

この点について私たちはずっと間違っていたのではないだろうか。私が恐れているのはまさにこのことなのである。ほぼ半世紀にもわたり、私たちは科学に基づいて、未来の目標を達成するための戦略を開発してきた。ところが目の前の欲求を我慢する能力は、一九六〇年代と比べてさほど高くなったわけではない。それどころか、平均すると人々は我慢がきかなくなり、すぐに快楽を得ようとする欲望はかえって高くなっている。個人としても社会全体としても、人間は予期せぬ事態や老後の生活などに備えて貯蓄するより、衝動買いや便利さのためにお金を浪費してしまっている。大切なスキルを学び、磨くことに重点を置かずに、スマホのゲームやソーシャルメディアの方に気を逸らせている。私たちは甘いものを食べてたちまちウェストを太くし、目の前の快楽のために将来の健康をひどく損ねている。より大きな視点から見ると、いまは多少費用がかかったとしても、クリーンで再利用可能なエネルギーを使うことで未来に懸念される大きな問題を避けるという選択に、多くの人が抵抗を示している。ようするに、私たちは未来についての計画に熱心ではなく、将来訪れる恐れのある状況にあまり関心を払っていないのである。いま取り上げたような我慢の足りない、近視眼的な選択の裏には、さまざまな事情があるのは間違いがない。しかし、すべてに共通する理由として、目の前の快楽を優先する傾向がますます強まりつつあることが挙げられる。

たいていの人は、日々の簡単な目標に向かっているときでさえ、その時間の約二割は集中できないでいる。忙しかったり、疲れたり、ストレスがたまったりすることで、注意力がさらに散漫になれば、集中できない時間はますます増える。これはつまり、私たちが一生懸命に働いたり、バランスのよい食事をとったり、貯金をしたり、テストや業績評価のための準備をしようとしたりするとき、ほぼ五回に一回は、目先のもっと面白いほかのことに気をとられて失敗してしまうということだ。ましてや、決断が重要な目的、つまり自分にとって本当に大切な目的とかかわっているときには、成功率はさらに低くなってしまう。年の初めに誓いを立てても、一年間それを貫き通せる人間は全体の八パーセントにすぎない。誓いを立てた一週間後には二五パーセントの人間がそれを破っている。こうして、たいていの場合、私たちは目標を守れないと感じ、目の前の欲求に負けてしまった自分に腹を立て、さらに悪いことに、自暴自棄になってしまい、怠けたり、浪費をしたり、大食いしたりして結局、自分をさらに傷つけてしまう。

この事実からは、興味深くはあるがやっかいな疑問が生まれる。欲求を先送りにしたり未来を大切にする態度がこれほど重要であり、さらには数十年にわたってその実現の助けになる科学に裏付けられた戦略が利用されてきたというなら、ほとんどの人が相変わらずうまくいっていないのはなぜだろう? 衝動を抑えきれずに困難に陥ったとしても、それを乗り越える手段が人の心に備わっているはずではないのか。人間の心身は種の繁栄を後押しする特徴を維持しており、結局、それこそが人間が進化し、発展してきた証だからである。だとすれば、人類が誕生して以来、相も変わらず自制心がつねに必要とされているのは、人間の心の発達にぽっかりと穴があいているせいか、あるいは私たちの取り組みが間違っていたせいなのだろう。そして十年間にわたって人間が決断を下す方法を研究してきた科学者としての立場から、私はその答えが後者にあると断言できる。

人間の心が成功するのに不可欠な道具を備えているのは間違いないが、私たちはこの道具を無視しているのだ。人間は相変わらず、目先の欲求を抑え、集中力や忍耐力を養成するにあたって、大きな問題を抱えている。その原因は自制心の働きに対する考え方に欠陥があるせいだ。簡単にいえば、私たちは全体の半分しか真実を見ていないのである。成功のための戦略を選ばなくてはならない場合、人間は認知的戦略―つまり理性、熟慮、意志の力を特徴とする禁欲的な取り組み方を好む傾向がある。先ほど触れたベストセラー書を読んだり、一般向けの雑誌をぱらぱらめくったり、あるいは学術論文にじっくり目を通してみると、あなたはその根底に同じメッセージが流れているのに気づくだろう。すなわち、合理性が感情に勝る、という考えだ。われわれは試練や誘惑に対処するにあたって、心理学者が「実行機能(エグゼクティブ・ファンクション)」と呼ぶ、記憶、注意、感覚などの「下位」プロセスを管理し、制御する精神の領域を使うよう命じられる。ここで「エグゼクティブ」という言葉が使われているのは偶然ではない。心のこの領域は、会社でいえば上司にあたり、心のほかの部分が従うことになっている命令を与えているからだ。実行機能は人間に、計画を立てたり、推論したり、意志の力を利用させたりすることで、集中を持続させ、犠牲を受け入れ、長期的願望の実現の妨げとなりうる感情的な反応を無視したり、抑えたりしている。そして、このような認知的戦略―つまり、感情とは対極にある理性と分析に基づく戦略が、成功にとって必要な忍耐力を維持していると一般に信じられている。

しかし、この与えられた道具一式は、役に立つ場合はあるものの、つねにそれが有効であるとは限らないし、ましてや仕事をするための最高の道具ともいえない。意志の力のような認知力を活用する手段だけを頼りにしてしまうと、やがて困った事態を招くことになる、と私は考えている。ときには有効であったとしても、結局、非効率で壊れやすい道具だからだ。さらに困ったことに、認知的戦略は、ある環境のもとでは人間にとってかえって害になってしまう恐れもある。長い目で見れば、この戦略を利用していると、結局、失敗へとつながりやすく、心身の健康を損なう確率を高めてしまうのである。

誤った選択

何世紀にもわたって、哲学者、心理学者そして世間一般の人も、どのような決断を下そうか判断する際には、次の二つを競わせていた。「認知」―建前としては合理的かつ論理的で、人を導く役割を果たすと思われている心のメカニズム―と、「感情」―不合理で、気まぐれな要素とみなされ、招いてもいないのに姿を現すように思えるもの―である。そしてほとんどの場合、人間は感情を非難して、認識を称賛する傾向にあった。

しかし、理性は善で、感情は悪といった一面的な考えは、現実を反映しているとはいえず、誤った選択につながりかねない。これからの章で見ていくように、心には感情も含まれているし、たいていの場合、感情は私たちを救ってくれる。心理学の用語でいえば、感情には「適応性」があり、目標の邪魔をするのではなく、達成に役立つ決断を、ときにはさりげなく、ときには強引に導いてくれる。人間の意思決定の仕組みが非常に複雑であることを忘れていると、この本質的な事実を見失ってしまいがちだ。人間の心はしばしば、現在の目標に意識を集中しながら、未来の目標にもたえず目配りをするというような、競合する目標を切り盛りしなくてはならない状況に直面する。大多数の心理学者は、感情が進化してこのような適応性を身につけるようになったと考えている。これが真実であるとするなら、感情は当然のことながら、計画に沿うことで未来にかかる費用や、そこから生まれる利益をきちんと分析しながら、目の前の欲望や願望にも適切に対応しているに違いない。ところがどういうわけか自制心がテーマになると、感情に関する研究のほとんどは、怒り、性欲、欲望といった短期的な目的と関連する感情ばかりに目を向けてしまうのである。

心理学者のあいだでさえ、自制心、勤勉さ、根気などを養う手段ということになると、一般に広まっているのは、結局、「認知機能は善で、感情は悪」といった非常に単純な考えだ。チョコレートケーキをおかわりしたり、給料を衝動買いに使ったり、仕事をさぼって映画を見に行ったりといった行為を我慢するのにもっとも有効な方法は、心のなかのエグゼクティブ(実行機能)が認知手段の軍隊を整列させて、感情から生まれてくる欲望を克服することだと大多数の人は思い込んでいる。その結果、専門家も友人たちも、理性を働かせて、貯金をしたり、スポーツジムで体を動かしたりすることこそに価値があると私たちに助言する。自分や子供がクッキー缶のなかに手を突っ込まないようにするため、それ以外のことに気を逸らすテクニックを使うように助言したり、必要ならば、意志の力によって計画を忠実に実行するよういってくるのだ。

残念ながら、このような戦略を多用したり、厳密にやりすぎたりしてしまうと、失敗することが多くなる。例えば、誘惑に負けないようにするため、頻繁に意志の力や実行機能を使っていると、その効果は徐々に薄れていく。同様に、すぐに手に入れたいという欲求から気を逸らすことに基づいた戦略を利用しても、欲しいものが目の前にちらついてくればくるほど、誘惑に立ち向かうのは困難となる。こうした状況こそが、まさに自制心がもっとも必要とされるときであるはずなのは、なんとも皮肉である。一方、私たちが困難な目標を達成するために、感情を利用するよう助言されることはまったくない。これは不幸であるばかりか、悲劇とさえいえるだろう。なぜなら感情は自制心を維持するための非常に有効な道具になりうるからだ。全体としていえば、一般に目標を実現するために勧められている認知ツールよりも、感情は扱いやすく、しかも強固な手段なのである。

たしかに、感情は人を誤った方向に導く可能性がある。困難な課題に立ち向かうとき、私たちの誰もが快楽の方向に目を向けたくなるものだ。気が滅入ると無力感に襲われ、一時しのぎの解決策やうしろめたい楽しみに熱中してしまうこともある。他人にも自分にとってもよくないことであると知りながら、人に怒ってみたり、言葉で攻撃したくなったりする。しかし、一部の感情によってこのような誘惑に駆られることがあるからといって、すべての感情を悪だと思い込むのは、大きな間違いである。もし感情がつねに決断を誤った方向に導くものだとするなら、進化の過程でとうの昔にゴミ箱のなかに捨てられていたはずである。

実際には感情は、優れた決断を下すためのもっとも強力で有効なメカニズムの一部である。そしてこのシステムは人間が発達させた最初のメカニズムでもある。感情的反応は、人間が未来の計画を立てるための認知能力―すなわち人間の脳の前頭葉に存在している能力―を人類が獲得する、はるか前から存在していた。たしかに最初の段階では、人間は、食物を仲間と分けあうよりも独り占めしたいというような短期的願望からもたらされる困難と向き合っていた。しかしのちに、感情が「偶然の産物ではない(つまり、目標を達成する助けになるものである)」と自覚することが成功につながることを理解した。ただ、そのためには、適切な感情を呼び起こして、目下の試練を克服する英知を身につける必要がある。

長期的な成功に関していえば、そこで必要となる正しい感情として、次のものが挙げられる。すなわち、感謝(gratitude)、思いやり(compassion)、誇り(pride)である。このような感情は、幸福、悲しさ、怒り、恐怖などの単純な感情とは違って、社会生活と本質的に結びついていて、社会をうまく機能させるための鍵になる。ようするに社会生活においては、よりすばらしい未来を手に入れるために、いまこの瞬間、進んで犠牲を受け入れる心構えをつねに持っておく必要があるのである。もともと人類が自制心を発達させたのは、なにも試験のために勉強したり、老後に備えて貯金をしたり、健康のためにスポーツクラブに通ったりするためではない。人類の進化の歴史のほとんどで、こうしたことは重要ではないか、あるいは存在すらしていなかった。生命を維持し、繁栄していくために重要だったのは、強い社会的な絆―困った人を支えることを奨励する一方で、将来自分が困ったときには助けてもらえることが十分にわかっているような人間関係を築くことだった。そして、このような関係を築き上げ、維持していくためには、道徳的な振る舞いが必要とされた。公平で、正直で、寛大で、勤勉で、誠実に人に対処するということだ。ようするに道徳性とは、それ自体が適応力の証なのである。つまり、身勝手な欲望を抑えることができ、それゆえ手を組んでも安全な人物であるといえる、よい性格の持ち主だと認められることだ。そして、あとで取り上げるが、こうした評価を受けられるような振る舞いを促してくれるのが、まさしく感謝、思いやり、誇りといった感情なのである。

この三つの感情のいずれかを心から感じたもっとも最近の出来事について考えてもらいたい。おそらく、あなたはその瞬間には、一時的にある種の犠牲を受け入れなくてはならなかっただろう。私の場合、感謝の念に駆られて、恩に報いたり借りを返したりするためにかなりの時間を使った。友人のために長椅子を移動するのを手伝ったり、お土産を渡したり、思いのほか時間をかけたものである。そのような行為はすべて、自分にとって大切な友人に、それまで自分のためにしてもらったことに感謝しているのをしっかりとわかってもらうために行ったものだった。これによって、互いの絆は途切れることなく、将来も続いていくのである。思いやりも同じだ。この感情は、他人にかけた労力が、自分が困った事態に陥ったときには親切な行為として必ず戻ってくることを保証する、利他的な行為を促してくれる。思いやりを抱くことで、多くの人は困っている人に経済的に援助したり、時間を割いて手助けをしたり、心の支えになってあげたりしようとする。誇りも同じく、将来に利益を得るために、いまを捧げるような方向に私たちを誘導してくれる。私の学生の一人は、毎朝五時に起きて、凍てつくコロンビア川でボートを漕ぐ練習ができたのは、自分がチームの一員だという誇りがあったからにほかならない、と語っていた。私はこの言葉を忘れることはないだろう。こうした感情は私たちを、短期的な報酬や富を犠牲にしても、未来にもたらされるもっと大きな報酬を獲得する方向に向かわせることで、社会生活の潤滑油になっている。ようするに、私たちに自制心を与えてくれるのである。

類似点を持つこれらの感情―社会的な成功を促すために未来を尊重する方向に働く感情は、学問、職業、経済、健康など人生のあらゆる分野における成功追求のために取り入れることができる。こうした感情は、人間関係をよくするために短期的犠牲を払うよう促すのと同じように、希望や夢を実現するのに重要な役割を果たす、ある人物との関係も良好にしてくれる。その人物とはつまり、未来の自分のことだ。あとで見ていく通り、理性や意志の力だけを頼りにするよりもこの三つの感情を養う方が、自分の願望や目標を、より効果的に、苦労のすくない形で追求できる。

「やり抜く力」の恐ろしい副作用

目標達成のために、本質的なもろさを持つ認知戦略に頼ることは、成功の確率を下げるだけでなく、さらに目立たない形で、私たちに害を及ぼす恐れがある。私が巻き添え被害と呼んでいるこの損害には、大まかにいって二つの種類がある。一つはストレスを中心としたものだ。認知のテクニックの大半は元来、矯正的な手段であるがゆえに、快楽への根源的な欲求に対して、それを起こさないように予防するのではなく、無視したり抑圧しようとする方法をとる。そのため、通常、かなりの努力を必要とする。目標を追求している最中に、自分自身と格闘しているような気分に襲われる可能性も高くなる。そして、このように多大な努力と大きなリスクが重なることほど、ストレスをためやすい状況はない。そのため、緊張を感じ、一時的な燃え尽き症候群を起こしかねない。さらに、こうしたストレスは不快であるだけでなく、学習能力まで妨げてしまうことがわかっている。つまり、認知スキルの使用は、ある意味で二歩進んで一歩後退するようなやり方なのである。しかも、時間が経つにつれて、このようなやり方から生まれるマイナスの影響は、致命的にもなりうる。つまり、健康を損なう恐れがあるのだ。

ここから、二つ目の種類の巻き添え被害が現れてくる。一つ目の損害に比べると、多少、曖昧なものになってしまうが、やっかいであるという点では変わりない。現代社会では多くの人にとって、成功のためにますます専門的な能力が要求されるようになっている。一流のヴァイオリン奏者になりたいなら、長時間練習して技を磨き、ライバルの一歩先を行かなくてはならない。ハーバード大学のメディカル・スクールやイェール大学のロー・スクール、シリコンバレーの有名企業に入りたい場合も、状況はだいたい同じである。競争は熾烈であり、知識や技能を獲得するための努力が不可欠だ。しかし、自分自身をやる気にさせるためにどのような方法を選ぶかによって、世界は大きく変わる。

現在、意欲を起こすのに勧められている方法―つまり実行機能や理性などに頼る方法には、あるテーマが共有されている。それが「合理的反社会性」だ。ようするに、心を社会から隔離された場所に置かれた機械のように扱え、ということだ。この機械を扱うエンジニアはさらなる効率性を追及するため、装置に調整を加える。成功したいなら、もっと一生懸命に、素早く、長い時間、効率的に働きなさいといった具合の考えだ。これはいうならばコンピュータやロボットにあてはまるやり方である。だから、あなたがこのような機械とは違う、さまざまな欲求に誘惑される人間であるなら、欲望を抑えるためにあらゆる手段を講じなければならない。意志の力を用いて、人を迷わせかねない非合理な感情的反応を阻止せよ。それがうまくいかないなら、誘惑から気を逸らし、習慣を形成し、目標の見直しをするといったテクニックを使うべし。だが、人の心はコンピュータではない。そこには社会的存在である主がいる。つまり心は、社会的欲求―認知のメカニズムでは、無視されるかあるいは禁じられている欲求―を持つ肉体の面倒を見るために進化してきたのである。さらに社会的欲求は本質的に成功とも結びついている。あとで見るように、他者とのつながりは、忍耐力を高め、成功を促すばかりでなく、より深い充実感を味わったり、失敗してもめげない回復力を養ったりもするのである。

これまで、やり抜く力という能力―すなわち自制心を働かせて、未来の長期的目標の実現につねに意識を集中しておく能力が、願望の達成と関連づけられてきた。当面の労力をいとわず、長い時間をかけて技術を磨く習慣が身についている人間の方が、目標達成の確率が高い傾向にあるため、これは大いに頷けることだ。しかし、この能力には大きな「但し書き」がついている。やり抜く力は危険と隣り合わせなのアプローチなのである。

やり抜く力の研究のなかでももっとも広く知られている初期の調査結果の一つは、スクリップス全米スペリング大会という、とりわけプレッシャーのかかる状況での研究から生まれた。やり抜く力はそれ自体が明らかに成功に結びつく要素であり、やり抜く力の強い子供の方がこの大会の予選を通過する確率が高かった。しかしそれ以外にも、いくつかの注目すべき調査結果が現れた。例えば、大会が決勝に入って、言語性IQ(知能指数の一種)と年齢の違いという要素が考慮に加えられると、個々の子供同士のやり抜く力の差は実質的に意味を持たなくなったのである。言い換えると、決勝進出者のなかでは、優勝やそれに近い成績を残せるかを左右する要素として、やり抜く力よりも、子供たちの知性とその年齢なりの経験の組み合わせの方が、影響が大きかった、ということだ。つまり、成績優秀者に関していえば、ほかの人より長い時間ドリルを解いて語彙の勉強をしていることがよい結果にはつながらず、むしろ人と触れ合う機会を奪う可能性が高いという事実が示されたのである。孤独や社会的孤立ほど不幸につながりやすく、健康に悪い要素はない。やり抜く力が大切なことは間違いないが、その力をどのような手段や戦略を使って磨き上げるかが問題なのである。

頑張って勉強をするという目的で、認知手段を厳格に適用したときに起こりうる危険については、心理学者クリストファー・ボイルとその同僚が実施した研究がさらに多くの証拠を提供している。ボイルの研究チームは、失業のような挫折をする恐れのある状況に直面した九〇〇〇人以上の人物を、四年間にわたって調査した。その結果、わかったのは、目標の追求にあたって強い自制心を働かせ、成功のために論理的な分析や意志の力によるセルフコントロールに頼る傾向のある人物ほど、失敗に直面したときに強く苦しむという事実だった。失業は誰にとっても辛いことだが、自制心だけを頼りに成功を目指していた人たちの幸福度の下がり方は、それ以外の人に比べて一二〇パーセントも大きかった。つまり勤勉な人間は、失敗することは少なくても、いざというときの安全策をきちんと準備していないため、失敗するとより大きな痛手を被ってしまうのである。

このような罠から抜け出すには―つまり、失敗にめげない力を築きながら、成功を実現する可能性を増やすには、ただ、私たちに与えられた感情を使えばいいだけなのだ。あとで見るように、目標の追求に際して、感謝、思いやり、誇りという感情を使えば、人間は忍耐強く、誘惑にも負けないようになり、同時に自制心ややり抜く力も強化できる。さらに、その途中に待ち受ける、失敗、ストレス、孤独の苦しみから自分を守ってくれる社会的な絆をほとんど苦も無く築き上げるのを助けてくれる。

本書の構成

これから本書ではこれら三つの感情の起源とその働きについて説明し、自制心や「立ち直る力(回復力)」との関係、さらには私たちひとりひとりや社会全体の長期的な成功の確率を上げる可能性について検討していく。そのため、私は本書を三つに分けた。第1部「まずは問題を認識しよう」では、問題を提示し、その解決法に関する根本的な誤解を解消していく。第1章では、人間の心が長期的な報酬より短期的な目先の報酬を好んでしまう理由と、このような傾向から生じる問題、そしてある状況において大半の人が目先の誘惑に負けてしまう理由について簡単に説明していく。次の第2章では、目標の実現にあたって、理性、意志の力、実行機能に頼ってしまうことの本質的な弱点を示し、自制心を養う唯一の手段が認知能力であるという誤った考えを正していく。

第2部「感情の道具箱」では、感謝、思いやり、誇りを適切に養い、利用することで、失敗の原因になりがちな享楽や衝動に対するもっとも有効な抵抗力をつけることができることを証明していく。感謝と思いやりは受け身の感情ではなく、そこには静かなパワーがみなぎっている。誇りの感情は意識を未来に向けてくれるため、適切に使えば、害ではなく利益をもたらす。これらの三つの感情を第3章から第5章まで一つずつ順番に見ていくことで、それぞれが私たちの行動を形づくる過程や理由だけでなく、その効果的な利用法も検討していくことにしよう。

第3部「広がっていく感情の力」では、このような感情に基づく戦略の採用が、個人ばかりでなく社会全体をも確実に前進させる様子を説明する。第6章では、感謝、思いやり、誇りの感情がその本来の目的である人間関係をいかに築き上げ、その恩恵を倍増するのかをお見せしよう。このような感情はそれ自体が、やり抜く力や自制心を鍛えてくれるばかりでなく、社会的な関係を通じて、孤独や孤独が持つあらゆる害を心身に及ぼさないようにする役割を果たしている。

第7章では、これらの感情が人のつながりを通じてどのように広がっていくかを示すことで、本書の考えをいまの社会の常識の域にまで押し広げたい。これによって、あなた自身だけでなく周りの人々の成果も増やしていくことができる。ここでの思いがけないメリットは、ほかの人がこの三つ感情を抱きはじめると、あなたにも利益が生まれてくるという事実である。第8章ではさらに視野を広げて、社会規模の視点から考えていく。多くの人からなる集団のなかで、このような感情を利用し、育てることが、未来に投資する意欲を高め、結果として社会自体の回復力の確保に役立つ様子を見ていくことにしよう。

最終章では、本書が提示する新たな知見が従来の成功追求に関する考え方をいかに変えるかを見たあと、三つの感情を利用する戦略をより上手に活用する方法をじっくりと考えていく。私たちは思考を変えることについて、次の二点を認識しておくことが重要である。まず、一つは科学的視点からいって、感謝、思いやり、誇りの感情はそれぞれ別々の美徳ではなく、実際にはほかの多くの美徳を生み出す要素であるという点である。そしてもう一つは、感情はたんに勝手に湧き上がるものではないということだ。私たちは、いつ、どのような感情を感じるかについて、かなりコントロールすることができる。この二つの真実を組み合わせれば、一部の感情を私たちの繁栄に役立てる方法について、まったく新たな知見が生まれる。しかし現時点では、教育者、指導者、経営者、カウンセラーのいずれにおいても、このような見方を採用する専門家はほとんど皆無だ。つまり、自分の目標をもっとも効果的に追及するのに必要なテクニックを身につけている人物は、ほとんどいないのである。いまこそこの状況を変えるときだ。仕事や生活は私たちに難題を投げかけてきて、その多くは乗り越えるのに忍耐、献身、不屈の精神を必要とする。問題に立ち向かおうとするなら、私たちは自分のなかにある武器を総動員しなくてはいけないのである。


『なぜ「やる気」は長続きしないのか』紹介ページ

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