白雲

白雲 (しらくも)の書くテーマは「近未来」「社会問題」「思考論」

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最近の記事

人間に変わる新たな「納税者」

先日、友人たちとの飲み会でも話していたのだが、これからの社会問題の中の1つに「少子化問題」がある。 どんな解決策があるだろうかと考えてみた。 1つ目は、単純に子供をたくさん産む 。 この多様化する生き方の中で「子供を産まない」という選択も選びやすくなった時代に、昭和のベビーブームみたいなミラクルはかなり難しい。 しかも、この現象は経済成長が背景にあったからなり得たブームだと思う。 2つ目は、移民の受け入れ。 単純に人口増加を考えれば、「移民受入れ」という選択肢も有り得る

    • 過疎化はネガティブな社会問題ではない

      中山間地域の問題といえば、過疎化問題は重要だ。 若者はもちろん、家族単位で村から出ていく。 そうなることで、大変になってくるのは、公共サービスの提供。 これが難しくなる。 街の住人と同じ公共サービスを受けられるようにすると、人件費や設備などのコストが多くかかってくる。 そして生まれる一般的な解決策は、 街に医療設備を完備した集合住宅的なものを用意し、そこに村に残っている住民に移住してもらう。 しかし、そう簡単にはいかない。 何十年と、そこに住み生きてきた人たち

      • 優秀な人は雇うのは「諸刃の剣」

        会社やお店などで、求人募集の広告はよく見る。 求人する側としては、できるだけ優秀な人を雇いたいと思っているはずだ。 「飲み込みが早く、1度説明すれば理解する人」 「言われる前に、気付いて行動する人」 などなど。 実際には、そんな優秀な人ほど、よくある求人募集に、滅多に来る事はない。 でも、もしそんな人が来たら!? 経歴も高く、前職も大手企業、資格やスキルも持っている。 喉から手が出るくらいの求人する側にとっては、理想の人である。 でも、絶対に雇う前に、自問自答

        • 人生のモヤモヤを紐解く方法

          人生の節目の時期が来ると、「今のままでいいのか?」「自分らしいとは何か?」など、人生のモヤモヤが生まれてくる人も少ないくないと思う。 そんなとき、友人や家族に相談しても「腑に落ちる答え」が返ってこない場合が多い。 それは、家族ゆえの心配からくる否定だったり、応援すると言ってくれる友人の言葉がどこか他人事っぽく感じられたり。 自分が欲しい答えでないと、このモヤモヤは晴れることはない。 だが、その答えは「外」にあることは、ほとんど無い。 基本的には「答えは自分の中」にあ

        人間に変わる新たな「納税者」

          大きく変わる教師の役目

          【 目次 】 1.今の教育の現状 2.歴史から考える新しい教育 -もう高学歴に意味はない- 3.生徒が生徒に教える授業 4.社会へ繋がる特別授業 5.テクノロジーを教育に受け入れる 6.部活は未来の教育システム 7.一律学習にしないことで時間をつくる 8.新しい教育の軸は人間力 9.大きく変わる教師の役目 10.更に未来の教育を妄想する 11.最後に 【 1.今の教育の現状 】 現代の授業の多くは、1人の教師が、30人40人の生徒に教えるという形が

          大きく変わる教師の役目

          商店街の活性化への違和感

          地方で良く聞くサビれた商店街の活性化の話。 「昔は賑わっていたんだよ」 「あのときみたいな賑わいをとり戻したい」 「閉まってしまったシャッターを再び開けたい」 「商店街に再び人がたくさん集まるようにしたい」 みたいな話。 自分はあんまり好きではないし、とても危険。 なぜか? それは、懐古的な考え方だから。 「寂しいから人を呼びたい」 「シャッターが閉まってるからもったいない」 とか。 だいたいこんな理由。 特に町単位でのプロジェクトなどは特に危険。

          商店街の活性化への違和感

          人によって変わる価値

          名も知らぬ油絵。 リサイクル店で数千円で売っていた。 名も知らぬ画家が描いた油絵の価値は、たったの数千円。 でも素敵な油絵だと思い購入。 モノは、興味のない人に渡ると、価値がなくなってしまう。 処分されるよりマシだけど。 世間から見放された素敵なものを見つけると嬉しい。 自分だけが、その価値に気付いた気がするから。 逆に、皆が良いと思う価値には、少し敬遠しがちな自分がいる。

          人によって変わる価値

          幸福と不幸は曖昧なもの

          幸福と不幸は表裏一体であり、基本的に、幸福と不幸は「比較」から生まれる気がする。 例えば、こんな状況になってしまった自分をイメージしてみてほしい。 ・バスに乗車していたら、対向車との衝突事故に巻き込まれる ・座席の間に腕が挟まれ、腕の骨を折る この2つの状況になった自分を考えると、「自分は不幸だ」と思う人は多いと思う。 「このバスにさえ乗らなければ... なぜ自分がこんな目に...」と。 ここで、1つ視点を増やして「比較」を加えてみる。 バスの座席。自分の一つ前

          幸福と不幸は曖昧なもの