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商店街の活性化への違和感

地方で良く聞くサビれた商店街の活性化の話。

「昔は賑わっていたんだよ」

「あのときみたいな賑わいをとり戻したい」

「閉まってしまったシャッターを再び開けたい」

「商店街に再び人がたくさん集まるようにしたい」

みたいな話。


自分はあんまり好きではないし、とても危険。

なぜか?

それは、懐古的な考え方だから。

「寂しいから人を呼びたい」

「シャッターが閉まってるからもったいない」

とか。

だいたいこんな理由。


特に町単位でのプロジェクトなどは特に危険。

主体者がなく、漠然とした想いだけで、話が進み、1.2回イベントを立ち上げてフェードアウト。

同等立場の複数人数の組織だと、責任が分散してしまう。

誰かがやってくれるだろうの人が少しずつ増え、「労力放棄」や「労力の押付け」などが出てきて、やり続けることが難しくなってくる。

町主体の町おこしプロジェクトでは、商店街問題の根本的な解決は難しい。



「街が生まれるとはどういうことか?」

何もないところに、強い想いの店が突然現れ、その事業のコンセプトや想いに共感し、同じ想いの人が少しずつ集まり、その連鎖で店舗や住居が増えていき、街が形成されていく。


「思いの強い店」とは、いったいどんな店舗か?

そして、どんな人がそういう店や場所をつくるのか?


今は、どんどん店舗が閉店し、空き物件が増えている。

今までは、大型店に押された個人店が閉店に追い込まれた。

しかし、2020年。コロナで、さらに閉店が進む。

今までは個人店の閉店が多かったが、今は大型チェーン店の閉店ラッシュ。

街にどんどん空き店舗が増える。


一般的な考え方だと、これは不幸な話だが、一部の人種は、まったく逆の発想をする。

「これは、新しいものが生まれるには絶好の機会だ!」と。

誰かが作った街のレールに乗っかることを嫌い、自分のレールを自ら敷き、自分のレールしか歩けない人種。

「何もない」というデメリットを、メリットと思える人種。

その人種が、突拍子もないアイディアや行動力で事業を起こし、人からの批判も蹴散らしながら、我が道を歩みながら新しいものを生んでいく。

それが「想いの強い店」をつくる人たちである。


街を作るということは、店舗などの事業が集まって生まれるもの。

集まる事業1つ1つが、自分たちの人生を賭けた事業でなければ、長くは続かない。

だからこそ、時間がかかるし、長期的なビジョンや町づくりの戦略が必要である。

覚悟がない「まちづくりプロジェクト」は、表面的なアクションでしかない。



では、どうするか?

まずは、原因を考える必要がある。

「なぜ商店街が衰退したか?」

簡単である。 必要ないから。

商店街は、高度成長期時代に生まれた商売システム。

近所の人をターゲットに、基本は歩きや自転車の方が対象である。


その後、時代が変わり、大型ショッピングモール時代に突入。

1人1台の「車時代」になり、駐車場が整備されていない、商店街は使いづらくなる。

無料の駐車場を完備し、ショッピング、食事、映画などの娯楽が1箇所で楽しめるショッピングモール。

商品も多様化になり、商店街では購入できなかったものがたくさ買えるようになる。

そして、インターネットの時代。

車で出かける必要もなくなり、自宅で深夜にパソコンのボタンをクリックするだけで、商品が届く。

出歩かなくても、車で出かけなくてもいい、という時代。

こんな時代に、地方の商店街が潰れていくのは、必然でしかない。


でも、まだ賑わっている商店街もある。

この理由も簡単。

その場所のニーズに合ってたり、時代に合わせて各事業者が変化したりしたから。


ようは、必要なものは残り、不必要なものは淘汰される。

寂れた商店街は、不必要になったから寂れたのである。

これは、時代の必然的な流れである。

こうやって、正しくサビれることにより、「特殊な人種から新しいビジネスの形が生まれる」のである。

だからこそ「寂しい」「もったいない」というだけで、商店街というものを捉えないでほしい。



今度は、商店街の立地を考えてみよう。

地方の商店街は、住宅街のメインの道路通りにあることが多い。

地図上で見ても、人の通りや車通りの多いエリア。昔の言い方なら一等地だ。

なのに、商店が潰れる。

あきらかに場所が悪いのでなく、商品やサービス内容がニーズにあっていないことは明確である。

不必要なになったのは、店舗物件ではなく、店舗内で売られているコンテンツだということだ。


話を立地の話に戻そう。

先ほど「1人1台の車時代」の話をしたが、逆に、都市に多い電車がメインの駅型の商店街はどうだろうか?

そういう商店街は、駅と住宅街の間に位置している場合が多い。

この場合、まだ多くの商店街が機能してることが多い。

なぜか?

このエリアに合った商売方法だからだ。

駅からの帰り道に、買い物したり、コーヒーを飲んだり。

会社、学校などの通勤通学のシステムがある限り、駅型商店街のシステムは有効であると思う。

例えば。

商店街を歩いていたら、良い匂いがしてきて、思わずコロッケを買ってしまったり。

会社帰りに喫茶店に寄って、のマスターに悩みを聞いてもらったり。


このような、体験を伴う販売方法は、今のインターネット販売では、逆にできない。

商店街という販売システムだからこそできることである。


「商店街の販売方法」「インターネットの販売方法」どちらが良くてどちらが悪いということではなく、両方を両立できる「コンテンツや商品」に変換する必要がある。

(今後、テレワークが進むと、また新しいビジネス形態を模索する必要がある)



全国には、商店街の活性化プロジェクトの成功している例は、いくつもある。

その成功例を、外からフォーマットとして、そのまま持ってくるのではなく、自分たちのエリアや、対象とするターゲットを明確にし、そこを踏まえながら、自分たちのコンセプトにあった商品づくりや販売方法などを構築する必要があると思う。


だが、どこの地域でも出来るということではない。

やはり、地方の車社会の地域では、商店街を再活性化するということは、非常に難しい。


ならどうすればいいか?

最終的な根本の解決方法。

それは「シャッターの撤去」である。


どういうことかというと、最初に話をした

「寂れた商店街を活性化したい理由」を思い出してほしい。

それは「寂しい」と「もったいない」である。

これを解決すれば、根本的な解決になるということ。


実用性な面で商店街を考えてみる。

サビれた理由が「不必要」ということは、この場所に商店がなくても極端な問題はない。

あと、残るのは「懐古的な想い」のみ。

この寂しい気持ちの原因を考える。

それは、目の前シャッターが閉まっているから。

閉まったシャッターがなければ、寂しい気持ちも生まれない。


そして、もう1つの問題。

なぜ閉店して空き物件になっているのに、借り手がつかないのか?

先ほどの、ショッピングモールやインターネットの問題以外にも理由がある。

それは、まだ住んでいるから。

昔の商店街は、住居兼店舗が多いのだ。

住居に住んでいるから、賃貸にもならない。


ではどうするか?

「シャッターを撤去」する。そして「住居の玄関」を設置する。


閉ざされたシャッターを、すべて「住居の玄関」にすれば、ただの住宅街に変わるのである。

住宅街を見て、寂しいと思う人はほとんどいないと思う。

この「住居玄関工事」に町が補助金を出せれば、寂れた商店街の問題は解決になっていくのではないかと思う。

「賃貸できる物件」と「出来ない物件」を明確にし、出来ない物件は、早々にシャッター撤去する必要がある。

開かないシャッターは、寂しさしか生まないから。



今、地方の車社会での店舗立地のニーズは、どんどん郊外へ移行している。

あえて、中心にある商店街に出さなくても、自分たちのコンセプトにあった、郊外の立地を見つけ出している。

しかも、1時間くらいの車移動は、それほど苦にはならない。

逆に、小旅行的な効果や、緑のある中山間地域の方が、魅力的なコンテンツになりやすい。


日常的な生活の中から生まれた、日常を売る「商店街」の店舗。

今、新しく生まれている店舗は「非日常」や「癒し」「特別感」を売る場所になっている。

「店舗」という概念が、昔と今ではまったく違うのである。

「街の中心街の賑わいを取り戻す」という考え方自体が、もう古い気がする。











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