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【夏の読書感想文】あの日、選ばれなかった君へ

世の中に「これでもか!」と言わんばかりにあふれているもののひとつにビジネス書があります。自己啓発本も同様でまるで雨後の筍のよう。各出版社がしのぎを削るレッドオーシャンと化しています。

それもまあ、わかりますよね。

多くの人は20代前半から社会に出るわけで。そして60代、最近では70代ぐらいまでという長いスパンで仕事というものとなんらかの関係性を保っていくわけです。

つまり20代には20代の、30代には30代の、きりがないので間を飛ばして60代には60代の仕事やそれにまつわる人間関係の悩みが存在する。

こうなると出版社社長のカシオミニもピポパポうるさく電子音を奏でるようになります。そんな機能あったっけ?

ビジネス書は売れる。バリエーションがつくりやすい。年代別、お悩み別、手法別、漫画に学ぶもよし、映画に題材を求めるもよし。方法論、テクニックに走るものもあれば本質に迫るもの、思想、哲学、エトセトラ。

ジャンルと手法を掛け算し、ターゲットに細かくメッシュをかけていくことでニッチな青い鳥がまだどこかでチルチルミチル、と信じたくなるわけですね。

一方、読者側も切実な日々の悩みを解消してくれるかも、という淡い期待を胸にこれらの書物を手に取ります。心が疲れているときは癒やしを。壁にぶつかったときは思想を。スキルが伸びないときはテクニックを。それぞれのビジネス書・自己啓発本から得ようとします。

個人的にはやらないけど、気になるフレーズ、諳んじておきたい箇所なんかにペタペタ付箋を貼ったりしてね。

そういう意味からもビジネス書・自己啓発本の類と読者のつながりは微笑ましいというか、プロダクトとユーザーという関係に当てはめると実に理想的だなあ、などと青山ブックセンターの書棚を眺めながら思うわけです。


『あの日、選ばれなかった君へ』という、ある層にはグサッと刺さるタイトルの本がある。電通のコピーライターであり、連続講座「企画でメシを食っていく」主宰のほか多方面で活躍されているクリエイター、阿部広太郎さんの四冊目になる著作だ。

このタイトルがグサっと刺さる人で40代以上の人とは無条件で親友になれると思う。なぜならぼくがそうだから。選ばれなかったことに関していえばあの日なんてもんじゃない。この日もその日もあの日もどの日も選ばれないまま初期高齢者の仲間入りをしてしまった。

サブタイトルに「新しい自分に生まれ変わるための7枚のメモ」とあるのだが、残念ながらさすがにいまさら生まれ変わることはできないだろう、と思いつつ、ページをめくった。

ちなみに阿部さんの著作は、掛け値なしに役に立つ。

ご自身がひとつずつその手でつかんできた「言葉を探すメソッド」を惜しげもなく共有してくれるから、ウルトラ実践的なのである。

二冊目の著書で『あの日~』と同じダイヤモンド社から出ている『心をつかむ超言葉術』など、実際にある企業の行動指針リニューアルにおいて相当頼りになった。言葉探しの参考書と言ってもさしつかえないほどだ。

なので、本作品も「どれどれ、今回も広告太郎のワザをコソーリ盗んでやるぜヒヒヒ」とか思いながら読み始めたのだ。

ちなみに広告太郎というのは阿部さんが電通に入社したのち人事からクリエーティブへと見事転局を果たしたのち、自己紹介として自分のキャッチをつくれというお題に対して提出した数十本のコピーのうちのひとつ。

ぼくはこの広告太郎というキャッチともうひとつ、ボツになってはいるが「どんよくあべこう」というのが気に入っているのだ。


さて、右手に赤ペン、左手に付箋を持って獲物を狩らんとす体制で読み始めた『あの日~』だが、どういうわけか気づけば赤ペンも付箋もどっかにいっていた。

読み進めるうちに、物語の中にどっぷり没入していたのだ。

そう、この本はビジネス書のようで、自己啓発本のようで、もちろんその用途も果たすのだけれど、それを補ってあまりあるほどの私小説なのである。補ってあまりあるの使い方が間違っているような気もするが、ぼくの熱い想いと語彙力のなさを感じていただければ幸いです。

『あの日~』には阿部さんが歩んできた人生の中で、ことごとく選ばれなかったトピックスとそこからの学びで構成されている。

一人ぼっちだった少年期、志望校全落ちした受験、キャプテンになれなかった部活動、そして就活。阿部さんの選ばれない歴史は続く。せっかく念願の代理店に入社しても志望の部署には入れず、自ら立候補してクリエーティブに移ったところで「向いてない」宣言。

これらひとつ一つの挫折譚が、実に赤裸々に描かれているのだ。

どれぐらい赤裸々かって、読んでるほうの胸が締め付けられるような描写の連続なのである。

「俺、こんなはずじゃなかったよな」
「不安なのは本気だからだ」
「本当に阿部に対して腹を割って何か話せる?」
「君さ、やめなよ。その独り言みたいなの」
「見つかりてぇ…」
「大手にいるのに大したことないね」

自分の心のつぶやき、叫び。あるいは先輩やOB、宣伝会議の同期から言われた言葉。どれも形は違えど、どこかで聞いたような、言われたような。思い出すだけで甘酸っぱい気持ちになる。

特に最後の章では若かりし頃に付き合っていた彼女とのやりとりまでリアルに描かれていて、もともと豪気な阿部さんだがここまで気前よく公開してくれるのか…と驚いた。

そのかわり、という表現が正しいかどうかわからないが、この本では「僕」とすべき箇所をすべて「君」に置き換えて書かれている。

この二人称単数で文章を書き進めていくことの難しさについては博覧強記で知られる田中泰延さんも出版記念イベントの場で言及していた。

二人称単数は難しい、だけど読後の一体感がすごいと。最前列で聞いていてなるほどなと思ったものだ。これだったのか、あの没入感の理由は。

このイベントで阿部さんも「僕」だと自分語り色が強くなるから「君」にした、とおっしゃっているが、まあ、つまり、それぐらい正直に、あけっぴろげに、大胆に、愛のままにわがままに、なのである。

さらにもうひとつ特筆すべき点として阿部さんが選ぶ立場に変容した後に味わう、選ぶ側の辛酸にも触れている。

が、その章については選ばれなかったオカモトカズマさんがカッコよすぎて、眩しすぎて、なんか勇気がもらえたし、ちょっと泣けたので今回の感想には組み込まないことにする。

とにかく、これからの可能性にあふれるヤングはもちろん、選ばれなかった経験を心のどこかにひきずって自分をなぐさめるような言い訳を続けてきたロートル衆(ミートゥよ、ミートゥ)にもぜひ読んでもらいたい。

これを読んで目が醒めればまだ諦めなくていいかもしれないし、もし何も感じなくてもそれはそれで変わらぬ日常が続くだけのことだから。


と、いつも通りツラツラと感想を述べてきましたが、この壮大な私小説はおおよそ実践向きではないかもしれません。

実践向きではないかもしれませんが、だからこそ、得られるものは大きい。

以下は徹頭徹尾ぼくの個人的な、この本から得たことであります。読後にiPhoneのメモに書き殴ったもののコピペです。

■ ■ ■

その選択が正しいかどうかは誰にもわからない。だけどその選択を正しいものにするための努力はできる。

もしかしたら選ばれなかったという結果は単に選ばれていないだけではなく、選ばれない方に選ばれているのかもしれない。

と、いうことは選ばれなかった後の努力がいかに大切か。

選ばれなかったことに落ち込むよりも、選ばれない方に選ばれたと意識を切り替えて、その場所で高みを目指した方が人生は豊かになる。

ただし、常に自分に正直であること。自分の気持ちを偽ったり、言い訳を並べて見なかったことにしないこと。そのため、時に選ばれなかったことに抗うことは大切。その場合は本気で挑む覚悟がいる。

選ばれなかったことに抗うのは、壮絶だ。選ばれなかった場所で努力する方が容易いと思えるほど。下手したら報われない努力かもしれない。そもそも選ばれていないわけだから。

でも、それをやった人しか見えない景色はある。それは確実に、ある。

どうせならやってみようか。諦めるのはまだ早い。それでもまだ遅くない。


阿部さんもこう言ってくれていることだし。

そうか、まだ間に合うのか

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