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約束の入賞

自分にとって感情の中で恥ずかしいという思いほどやっかいなものはない。時間が経てば濃淡はあれど薄まっていく怒りや悲しみに比べて、恥の感情はいつまでも心の奥底に澱のように溜まる。

だから、できるだけ恥ずかしいことにならないよう慎重に生きているのに。生来のおっちょこちょいが時々悪さをする。

■ ■ ■

あれは忘れもしない、2020年12月24日。

その年、ぼくはnote主催の『#読書の秋2020投稿コンテスト』にエントリーして、あろうことか入賞してしまった。

その一報を受けたのが12月中旬。幼いころから賞罰の罰のほうにしか縁がなかったせいか、異常に舞い上がり、目の前がまっしろになった。

note上での公式発表は12月24日とのこと。なんてすてきなクリスマスプレゼントなんだ。ぼくは発表の日を指折り数えてまちかねた。

まちかねた、うちは、まだよかった。
公式発表を目にして興奮し、まちがえた。

何を?

受賞作品を。

ぼくは発表直後、受賞のうれしさのあまりTwitterに投稿した。

「コピーライター阿部広太郎さんの著作『コピーライターでなくても知っておきたい心をつかむ超言葉術』の感想文がnote主催の読書の秋2020に入賞しました!」

すると時をおかずに阿部さんご本人から「おお!やった!素晴らしい!おめでとうございます!」のコメントが。

ぼくはすかさず阿部さんにお礼のコメントを書きかけて、ふっとわれに還った。一瞬で全身の毛が逆立ち、脂汗が毛穴中の毛穴から吹き出した。

「本が違った…」

ぼくがコンテストに投稿し、受賞した書籍は阿部さんの著作ではなく『毎日読みたい365日の広告コピー』だったのだ。

いったいなぜ?どうしたらそんな間違えをするのか。確かに当時、阿部さんの『心に残る超言葉術』の読書感想文をnoteに書いたことは事実だ。そして、それを知った阿部さんからTwitterでコメントとフォローまでいただいた。

だからといって間違うか?普通。

あわ、わ、あわわわわ、わ、あわあわ、

あわてて阿部さんにお詫びのDMを送る。もちろん時すでに遅しだが、それでも土下座する気持ちで送信ボタンを押した。

このときのぼくの顔はおそらく真っ青と真っ赤が交互に点滅していただろう。

そしてその夜はクリスマスイブなのに、悪い酒の飲み方をしてしまった。自らのおっちょこちょいな性格を呪い、軽率な行動を恨み、時間を戻したいと心の底から悔いた。本来喜ばしいはずの入賞も、なんとなく薄味になってしまった。

ただ、このとき、ひとつだけ心に強く誓ったことがあった。

次回、阿部さんの著作が対象作品になったら、絶対に感想文を書く。そしてエントリーして、絶対に受賞してみせる。ぜったいにだ。

ふだん無言実行を旨としているぼくが、珍しく阿部さんへのDMに宣言しているあたりに、当時の砂を噛むような思いがうかがえる。

■ ■ ■

今年、阿部さんは2年目となるコロナ禍においても精力的に活動を続け、5月下旬には新刊『それ、勝手な決めつけかもよ? だれかの正解にしばられない「解釈」の練習』を刊行した。

こんなぼくに阿部さんはDMをくださり、よかったら手にとってほしい、感想も聞かせてほしい、とおっしゃる。

ぼくは、よし今度こそ阿部さんの本で入賞するぞ…と思い、ページをめくり、グイグイと読み進めた。想像以上の面白さと発見。そしてコピーライターの仕事の領域がひとつ、広がったような感覚を覚えた。

コピーライターは、何も企業の代弁者として商品やサービスを広告するだけの仕事じゃない。もっと個人に寄り添って、その人の悩みを「解釈」してあげることも仕事にできるのではないか。

そんな、最初に感じたことをテーマに、感想文を書きはじめた。

でも、できあがった感想文はどこかよそいきというか、狙いのようなものが見え透いていた。なんだかコンテストがあったら賞を獲るぞ、という野心のような。野心、悪くないんだけど。

さらに読み返すと、なんだか阿部さんに失礼な感じがしてきた。もっとこう、感想文って本音というか、読者の素直な心で書くもんじゃないか。そんなふうに思って削除した。

それから何度も何度も書き直した。

でも、なぜかしっくりくるものが書けなかった。もしかしたら俺、読者としてこの本に向き合ってないのか?ちゃんと「解釈」を欲しているか?「解釈」を必要としているか?この本はそういうときに読むべきじゃないのか。

ぼくは、感想文を書くことを止めた。

■ ■ ■

それから半年ほど。

ぼくは極度のスランプに陥っていた。具体的な内容に言及するのは控えるが、とにかくぬかるみに足をとられて前にも後にも動きが取れない状態。

それまで普通にできていた、いやむしろ得意な領域の仕事がことごとく上手くいかない。何が課題なのかわかればまだ手も打てるが、解決の糸口も見つからない。 

いつも威勢のいいことばかり言っているせいか、ちょっとしたほころびでも尻尾を巻いてしまう。生来の気の小ささが顔をだす。

しばらく憂鬱で、よく眠れず、目が覚めた瞬間から嫌な気持ちが頭をもたげる日々が続いた。

そんなときである。たまたま『それ、勝手な決めつけかもよ?』を開いたのは。たまたま、本当にたまたまだった。

すると、どうだろう。

前回読んだときには感じなかった、解釈の効能がじわじわと伝わってくるではないか。

たいていのしんどいことは経験してきたはずの、50過ぎのおっさんの、カチコチに固まった心がゆっくりと、やわらかくほぐされていく。

気づけばすっかりもとの自分を取り戻していた。スランプに陥っている今こそ、解釈の力で前に向いて一歩踏み出そうじゃないか。そんなふうに阿部さんから声をかけられているような気がして。

いまは決してスランプなんかじゃない。自分がやるべきではない領域の仕事を見極めるための試験期間なんだ。

文字通り、解釈に救われた。

そうだ、解釈で解放されたいまなら、素直な気持ちで感想文が書けるかもしれない。

あわててnoteを見ると既に『#読書の秋2021投稿コンテスト』は始まっていて、阿部さんのこの本がディスカバー・トゥエンティワン社の課題図書に選ばれていることを知る。

ぼくは、まだ間に合うことを確認して、感想文を書きあげた。

文章はガタガタ、内容は支離滅裂。全体を通して何がいいたいのかよくわからない。でもぼく自身は納得できたし、これをエントリーして選ばれなくても阿部さんにDMを送ってなぐさめてもらおう、なんて図々しく思えるほど心の健康を取り戻していた。

そして、2021年の12月24日。

やった。
受賞できた。

生まれてはじめての有言実行。

まさかの、賞をいただけました。

阿部さん、ありがとうございました。
本当に本当に、ありがとうございました。
はなはだ一方的な約束でしたが、果たすことができました。
この経験は、ぼくに何かをくれるはずです。
何かはわかりませんが、きっといいことだと
思います。

そして課題図書を出してくれて選出に関わってくださったディスカバー・トゥエンティワンのみなさま、ありがとうございました。

このような機会をつくってくれたnoteにも感謝しかありません。
こんなに「ありがとう」の5文字を書いたクリスマス・イブは、はじめてかもしれません。ありがとう。メリークリスマス。

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