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2024年の如月を振り返る

会社員の社会でコスられ倒されている表現として「2月は逃げる」があります。営業系の朝礼などで月初に部長からドヤられてイヤな思いをしているヤングリーマン&ウーマンもいることでしょう。

大丈夫です、あと数年もすれば今度はあなたがドヤ顔で「えー、1月は行く、2月は逃げる…」なんて訓示をたれる番です。

と、いうわけで2月に感じたり、考えたことをつらつら振り返ります。


55歳にして池林房がわかる

東京の酒飲みで年季が入っている人ならみんな大好きなチェーン店があります。椎名誠さん一派の太田トクヤさんが経営する『房チェーン』です。

房チェーンは池林房、陶玄房、浪漫房といった渋い居酒屋を新宿に数店舗展開。いずれもオープン当初からひと味違う家庭料理とこだわりの酒、そして妙に客慣れした店員の心温まる接客に多くの文化人が集う名店ばかりです。

わたしも椎名さんの書籍で池林房を知り、沢野ひとし画伯のエッセイで太田トクヤさんを知る、といった東日本なんでもケトばす的薫陶を受けた者として、新宿で働きはじめて3年目、多少金まわりがよくなってきた頃からいそいそと足を向けるようになりました。

しかし、しかしです。

実をいうと、正直、わたしと房チェーンのお店は相性があまりよろしくありませんでした。接客はともかく、そして酒もともかく、料理が決定的にあわなかったんです。あと店の雰囲気からどことなく拒まれている感もあり落ち着けなかった。ほんと、すんません。

とはいえことあるごとに利用はしていました。あるときは主宰する求人広告コピー塾の打ち上げに、あるときは可愛がっているお弟子ちゃんの父上が上京してきた際のおもてなしに。

しかしそれらは周囲の世話役のような人たちが(ハヤカワはきっとあの店が好きだろう)と気をきかせて店を選んでくれていたわけで。

その頃のわたしは、自分から率先して房チェーンに足を運ぶことはありませんでした。ほんと、すんません。シーナファン失格です。

ぐるっとまわって池林房

ところが、ついせんだって、かつて西新宿の高層オフィスで辛酸をともに舐めた後輩が東京を離れて福岡に行くという。そのあと一年ほどしたらネパールに移住するので飲みませんか、というではないですか。

これは今生の別れになるに違いない、とふんだわたしは快諾し、では新宿三丁目で飲もう、かつて一緒に痛飲した『どん底』でも…と思った瞬間、なぜか脳裏に池林房が浮かんだのであります。

こういうときは直感に頼るべしと思い、彼に池林房で落ち合おうと伝えました。なんとなく最後に池林房っていいんじゃないか、と思ったんですね。あとお互い年とってそんなに飯食うわけじゃなし、と。

で、当日。30分ほど先に入店し、ビールでひとり、後輩とのあれこれに思いを馳せていました。不思議なことに、なんとなくそれまでよそよそしかった店の空気が今日は妙に馴染むな、なんて思いながら。

ここの生はうまい

そうして軽いつまみを、と2~3品頼んだのですが、これがどうしたことか、しみじみ美味しい。しみじみと旨いのです。

いや、どうしたことか、とは大変失礼なのですが、あれほど惹かれなかった池林房の料理一品一品が、めちゃくちゃ美味に感じられたのです。

人間、あまりにも不意に美味しいものに出会うとスマホでの撮影など忘れてしまうもの。わたしも一枚も料理の写真は撮っておりません。それぐらい全部美味しかった。

なんでもないまぐろの刺身、タコのマリネ、もやし炒め、厚揚げ。ほんとうにどれもなんでもない料理ばかり。だけど旨い。なぜか旨い。

中でも若鶏と季節野菜の味噌マヨネーズ炒めは絶品中の絶品。そうそう、こういうのが喰いたかったんだよ、と思わず膝を叩いたら店員の兄さんに不思議な顔をされたぐらいです。

同時に、無骨なカウンターの造りやお世辞にも座り心地の良いとはいえない椅子にも、最近の豪華風だけど実はハリボテなインチキインテリアにはない味わいを感じられるように。

きっと、年を取って、わたしもようやく新宿三丁目で飲む資格を得られたのだと思います。55歳にして池林房がわかった。後輩とのお別れの夜が、三丁目とのはじまりの夜になったわけです。

後輩に幸あれ。お前のぶんまで池林房に通っとくわ。死ぬなよ。


落語、すごい、やばい

さる2月24日の土曜日。わたしは生まれてはじめて生の落語を体験した。小口とはいえ株主として応援している出版社『ひろのぶと株式会社』主催のイベント『立川談笑 立川吉笑 親子会』に参加したのである。

なぜ出版社が落語を?なんて野暮なこたぁ聞いちゃいけやせんぜ。だが知らざぁ言って聞かせやしょう(かぶれています)。昨年談笑師匠がひろのぶと株式会社から『令和版現代落語論〜私を落語に連れてって〜』を出版された。

今回はその出版を記念しつつ、株主優待企画、さらに一番弟子たる吉笑さんの真打昇進祝いも兼ねてのイベントである(だと思う)。

そしてわたしは恥ずかしながら、いや、別に恥ずべきことではないのだが、それまで一度も落語を生で聴いたことがなかった。

だから若干、びびっていたのだ。

途中で寝ちゃったらどうしよう、と。面白いと感じなかったらどうしたらいいんだろう、と。

しかし開演すぐ、そんな憂いはふっとんだ。談笑師匠はもちろん吉笑さんもすごかった。小学生並みのボキャブラリーを晒すようで申し訳ないが、本当にすごかったのだ。

まず枕でグイグイ引き込まれて爆笑の連続。なのに気がつくと本編がはじまっている。枕の笑いの温度を保ったまま、実になめらかに屋台のそば屋に連れて行かれるのだ。謎の難病を治療する医者に会うことになるのだ。唇を膠でくっつけたおっちょこちょいを見るのだ。矢が飛び交う戦場に向かうのだ。

ぶっとんだ。わたしは正直ぶっとんだ。すごいぜ、生の落語。

そして談笑師匠はもちろんだが、わたしの心は吉笑さんにグッと掴まれた。

帰り道で誓った。
必ず『渋谷らくご』に行くぞ、と。

こんな近くに落語ライブが楽しめる場所があるんだから、行かないなんてバチがあたらあ。

生まれてはじめての生の落語が談笑師匠、吉笑さんで本当によかった。俺はついている。どこまでもついているなあ、と思った。

ぷるぷるはヤバい

会の最後にひろのぶと株式会社の社長、田中泰延さん司会でのトークショーも楽しめた。

談笑師匠の「落語を海外に、という話もあるが、その必要はないと思う」という意見に深くうなづく。わたしは何でもかんでもグローバル化しようとする風潮に疑問を感じている。

ふだんなら冗談の散弾銃をぶっぱなすひろのぶさんも、談笑師匠や吉笑さんの前では抑制をきかせたトークだった。わたしもあらためて人との距離のとり方に細心の意識を向けなければと思った。

左から吉笑さん、談笑師匠、ひろのぶ社長

みなさん、落語は生で味わいましょう。生とそうじゃないものとは談笑師匠曰く、アレとナニぐらい違うそうです。談笑師匠曰くですよ。


サクラサク

わたしには子どもがいない。
だが、たくさんの子どもに恵まれている。

コピーライターという仕事を長くやっていると、一度くらいは頼まれるのが名付けである。名付けといっても商品や店舗のネーミングではない。人の名前だ。つまり名付け親になるということである。責任重大である。

かくいうわたしも今から18年前、当時の部下から生まれてくる子の名前を考えて欲しい、と頼まれた。そのときはまだ男の子か女の子かわかっていない時期だったが、要望としては「すべてお任せします」とのことだった。

とんでもなく力不足だ、と思ったがこういう頼みは断るものではない。個人的にも目にかけていた部下だったので表面上は喜んでひきうけたが心の中は震えていた。

ただ、流石にその頃にはわたしもそれなりの技術を会得しており、焦りながらも冷静に、部下とそのパートナーに関して知りうる限りの情報を集め、整理するところからはじめた。

それぞれの性格、長所短所、結婚式でのスピーチ、どんな未来を夢描いているか…一つひとつの情報を精査し、残すもの、外すものを吟味した結果、自分としてはこれしかない、という名前ができた。

できたのだが、それはやや男性寄りの名前でもあった。

生まれてくる子が女の子だったらどうしよう。だけどこういう名前の女の子がいたらそれはそれで惹かれるな。そしてその子が大人になる頃にはきっと性差についての捉え方も変わっているんじゃないか。

そんなふうに思い込み、プレゼンテーションした。

結果としてクライアント(部下とその伴侶)は喜んで提案を受け入れてくれた。しかし彼らの両親や祖父母の反応はどうだっただろうか。

生まれてきた子は女の子であった。

わたしは、もちろん自信を持ってつけた名前だったので一点の後悔もない。だが、いざ当の本人にとってはどうだろうか、本当によかったのだろうか。弱気の虫が蠢いてもいた。

その部下にふたり目の子どもが生まれたとき、名付け親に、という話は来なかった。

やはり周囲からの反対があったのではないか。それに対して部下や彼女の伴侶が追い込まれたりしていないだろうか。名前を考えたとき、自分はそこまでの配慮ができていたか。

わたしにできることは、わたしが名付けた子の成長を遠くから見守り続けることだけだった。実際に何度か会う機会もあった。いつだって彼女の名前を呼ぶときは、ほんの少しだけ鉄を舐めるような感覚に襲われつつ、そのぶん愛情を込めて口にするように意識してきた。

そして2月下旬のある日。ついせんだって。

例の部下からLINEで、長女が受験で第一志望の学校に合格した、との報告を受けた。受験?高校だっけ?と思いつつ確かめると、京都大学の経済学部だという。すてきな名前をいただき、名前負けしないように育ててきました。いつも見守っていただきありがとうございます。

おめでとう、と何回も書いた。
書いては消して、また書いた。

わたしには子どもがいない。
でもたくさんの子どもに恵まれていると思っている。


2月は他にもじわりと嬉しいできごとの多い1ヶ月でした。

大切なクライアントといい仕事ができた(ここから5年ほど続く物語のはじまり)。なくしたと思った部屋の鍵がなぜか冷蔵庫から見つかった(その話はまた別の機会に)。友人との談義をきっかけに『PERFECT DAYS』の2回目を観に行った(隣の婦人の涙には辟易したが)。

なんとなく、静かに逃げていったな、と思う1ヶ月でありました。

3月も好きなことだけ好きなだけ楽しんでいきましょう。

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