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万引きをつかまえるとどうなるか

突然ですが、あなたは万引きをつかまえたことがありますか?

ぼくはあります。

万引き犯をつかまえるとどんな気分になるんだろう、というようなことはふだんあまり考えませんよね。ミートゥよ、ミートゥ。

しかしそれはある日突然ガバチョとやってきたのです。

東十条という東京は北区に存在する小さな町で下宿生活をはじめた18歳の春。とりあえず飯を食う金をなんとかせんと、とバイト先を探します。

こういうとき、村上春樹の小説だとレコード屋ということになりますよね。

主人公が週3で入るレコード屋はたいてい店長が放任主義で、店で流すレコードは「好きなのかけていいよ」と言われます。そしてスタン・ゲッツやコルトレーンなど春樹好きのする輸入盤を流しつつ、新聞紙が焦げたような味のコーヒーを飲みながらタバコを吸うのです。やれやれ。

そんな店ねえよ。

あとどんな味だよ新聞紙が焦げたようなコーヒーって。

アルバイトが勝手にレコードかけたり店番しながらタバコ吸えるかよ。さすがのぼくも18歳ですからそれぐらいの分別はあるわけです。

そしてぼくは駅前商店街のまんなかにある、小さなレコード店ではたらくことを決めました。

そこは“ミュージックショップ”と銘打ってはいるものの、メインで扱うジャンルがなんと演歌。続いて歌謡曲とニューミュージック。日本語のロック。洋楽はロバータフラックとビリージョエルが少々。クラシックは置いていない。という陣容。

当然、スタン・ゲッツもコルトレーンもありません。輸入盤なんてとんでもない。就業中はタバコどころかコーヒーも飲めません。入店初日、商品棚のアーティスト名に『電気グループ』と書いてあるのを見て、涙が込み上げてきました。

しかし、そんなことばかりいってられません。ぼくは見よう見まねで先輩アルバイターの仕事を盗んでいきます。

もともと接客は商売人の息子なのでお手のもの。レジ回りや荷ほどき、不良返品も難なくマスターします。ただひとつ苦手だったのがPOP作り。そのお店は新譜や推しの演歌歌手をアピールするためにアルバイトが手書きでPOPを作るのです。

ぼくはお世辞にも字がうまいとはいえません。しかも絵心もこれっぽっちも持っていません。

一方、先輩アルバイターの中には手先が異様に器用な人がいて、サラ、サラリと素晴らしい手書きポスターを作ってしまいます。ぼくは先輩から手ほどきを受けて何枚か作ってみるのですが、これがうまくいかないのです。

そのときはすでに広告の世界にいきたいなあとぼんやりおもっていて、入店祝いの席でも広告の勉強をしています、と自己紹介していただけに、周囲の期待を鮮やかに裏切ることとなりました。

「広告の世界で働きたいって、これじゃ…」
「ぼくは看板屋になりたいわけではなく…」
「にしてももう少しセンスのようなものが…」
「いえ、センスなんて努力と才能の前には…」

ああ言えばこう言う、なまいきざかりの18歳だったわけです。

■ ■ ■

お店ではかねてから万引きに悩まされており、商品にタグをつけるタイプの万引き防止システムを導入していました。出入口に設置したセンサーがタグに反応してビーとなるヤツです。

ある日の店番はぼくと大妻女子大学に通う先輩女子。水曜日の午後で、そんなにお店も混んでいません。初老の紳士と、小さい子を連れたおかあさん、あとうつむきがちな少年がひとり。

ぼくは大妻女子とたわいもない話をしていました。社長の話、店長の話。広島出身の手先が器用な先輩の話。

特に器用な先輩が「広島の出前一丁は味が違うんだよ」と帰省時にインスタントラーメンを買ってきてくれて試食したはいいがまったく同じ味だった話は彼女が大好きなレパートリー。ぼくは器用な先輩のモノマネをしながら大妻女子が笑うところをなんども繰り返していました。

そのときです。

ブー!ブー!ブー!ブー!

「ま、万引きっ!!!」

大妻女子が叫びます。ぼくは無意識のうちにカウンターを飛び越え、ダッシュで店を出て犯人を追います。迷いはありません、店にいたあの少年に間違いない。

少年は駅に向かって走っていきます。しかしびっくりするぐらい足が遅い。小5のときスポーツテストで50m7.9秒だったぼくはすぐに追いつき、前田不動産の前で肩をつかみます。

あまりに強くつかみすぎたのか、それとも走り疲れたのか、少年はその場でへたりこみ抵抗しようともしません。

商店からわらわらと大人たちがやってきて、どうしたどうした、と騒ぎになりました。ぼくはただ息を荒くして「な、お前やったろ、な、いいから店までこい!」と少年を連れていきました。

店では大妻女子が震えていたので、社長と店長に連絡してください、とお願いしました。ほどなく社長がやってきて盗んだ事実を確認し、すぐに警察に連絡。あっという間におまわりさんがやってきて、少年はパトカーで王子署につれていかれました。社長もカブで追いかけていきます。

びっくりしましたねとかハヤカワくんお手柄だよね、なんて大妻女子と話していると店長もやってきて「この機械はじめて役に立ったな…」と他人事のような感想を述べました。やれやれ。

■ ■ ■

その晩、部屋でテレビを見ていると社長から電話が。どうも昼間につかまえた万引犯が急にやっていないと言い張っている。いまから一緒に警察にいって犯行現場についてあらためて説明してくれないか、とのこと。

10分後には半キャップを被って社長のカブの後ろに跨っていました。

王子署まではバイクで10分ぐらいです。社長は運転しながら犯人の妹さんが身元引受にやってきたこと、犯人の実家は秋田だということ、妹さんの顔を見た途端にやってないと言い出したことを教えてくれました。

ぼくはなんだか喉が乾いてきました。俺は果たして妹さんに向かってあなたのお兄さんは万引き犯ですよなんていえるだろうか。ほら、ここにあるジュン・スカイ・ウォーカーズのシングルCD。これをポケットに入れて逃げたんですよ。どんな顔をして言えばいいんだろうか。

王子署では取り調べ担当のおじさんが手招きして小さな会議室に迎え入れてくれました。そこではあらためて事件が起きたときの様子をできるだけ細かく正確に話してほしい、と言われました。

ぼくは大妻女子との会話からすべて再現しました。器用な先輩の物真似のくだりでは同席していた社長だけでなく取り調べ担当のおじさんまで笑ってくれました。

結局、30分ぐらい取り調べを受けて、最後にマジックミラーのある部屋に連れていかれて、中にいる少年が犯人に間違いないね、と念を押され、書類に拇印を押して解放となりました。

よかった。妹さんに会わずにすんだ。ほっとした瞬間に足の力が抜けて、王子署の階段でしゃがみこんでしまいました。

アパートまではパトカーで送ってもらいました。車中、誰もひと言も口を聞きませんでした。警察無線だけがどこかで起きている事故や犯罪をひとりごとのようにつぶやいていました。

長い一日だったなあ、と布団に入ったものの、犯人の少年が同い年だったこと、実家のある秋田から家出して妹のアパートに転がりこんでいたことなど警察署で聞いたことを思い出しているとなかなか寝付けません。

もしなにかひとつでもボタンの掛け違えがあったら、ぼくと奴は反対の立場だったかも知れない。

なぜかそんなことを思いつつ、もう一度布団をあたまからかぶりました。その夜は目が冴えて長いこと眠りにつけませんでした。

その月のお給料には、夜勤手当として5000円、上乗せされていました。

結論。万引きをつかまえるとどういうことになるか。特段、日々の生活になにか変化があらわれるわけではありませんでした。ひとついえるのは30年以上経ったのち、こうした雑文になるのが関の山といったところでしょうか。

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