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ランディとよばれた男

ここ数日、急にカシオペアが来ている。カシオペアといっても寝台特急でもなければ星座でもない。バンドの『Casiopea』である。

しかもピンポイントでベスト・アルバム『The Soundgraphyをヘビロテで。いったんヘビロテになるとしばらくそればっかになり、ある日ふっと糸が切れたかのように聴かなくなるんだけど、いまは絶賛お祭り中である。

で、そのことをボソッとTwitterにしたためてみる。

おそらくこんな投稿にほとんどの人は反応しないだろうとおもいつつ、でもこの人は絶対にリプ返してくれる、と信じていたらまさにその通りになった。

そう、ミチュルルさんである。あれ?いま気づいたけど©ついてるぞ!

ミチュルルさんは料理人かつ接客のプロでありながらミュージシャンとしての腕もプロ並。聴いたことはないけど話せばわかるのだ。なんたってピアノから楽器演奏のキャリアをスタートさせているんだから間違いない。

俺が「このさ、この曲の1分半ぐらいのところのさ、コードがグッとくるかんじのね、あの、あの…」とあたふた説明するところを「ああ、Bメロ16小節目のセカンダリードミナントコードのG#7(III7)ね」みたいにサラリと解説してくれる。

あとわたしも尊敬するドラマーのひとり、故・村上ポンタさんとの交流もあったりして、いやあ東京はひろい、すごい人が街中にごろごろしてるよおかあさん、という気分にさせられる方なのだ。

わたしはあくまで一方的にミチュルル©さんのことを同好の士、とおもっていて、きっとカシオペアの投稿にはなんらかのリアクションをしてくれるんじゃないかな、とほのかに期待していたわけです。
ミチュルル©さんいつもありがとうございます。勝手にとりあげてごめんなさい。

そして話はいきなり本題に戻りますが、このカシオペアのベスト・アルバムの中でも特に『ミッド・マンハッタン』という曲が大好きで鬼リピしていたんですが、

あれ?この曲ってなんか、構成というか展開、ジョン・スコフィールドのTrimって曲に似てるなあ、とおもったんです。

そしてジョン・スコのTrimといえば、そうです、デニス・チェンバースです。なにがそうですなのかわかりませんが。

すごい迫力ですよね、デニス・チェンバース。迫力もすごいけどきっと握力もすごいとおもう。ついでにデニス・チェンバースという表記とデニス・チェインバースという表記がある。ジャガーとジャグワーみたいなもんか。こち亀に出てくる絵崎教授に聞いてみたい。

そんなことより。

わたしはデニス・チェンバースの名前を聞くといつもある一人の男をおもいだす。ランディ、とよばれた男のことを。


「女性voとB求む!当方g、Key、drs。完全プロ志向。はじめは洋楽コピーから。ジャニス、Jガイルズなどブルースロック好き」

『Player』誌のメン募を掲載した男と連絡を取り、顔合わせ兼ねて高田馬場のスタジオに入る、と彼女が言い出したとき、俺は止めた。

レイプされるとおもったからだ。

俺は嫌がる彼女をものともせず、バンドメンバーとの待ち合わせ場所である高田馬場駅早稲田口に同行した。

そこにあらわれたのがランディだった。

ランディはその風貌が阪神タイガースのランディ・バースにそっくりである、というところから名付けられたあだなで、本名は……本名は…

本名は知らない。

リクルートに勤めるサラリーマン、と聞いたときは驚いた。こんなサラリーマンがいるのかと。さすがリクルート人種の坩堝だね、と口にしたことを憶えている。リクルートで何をやっていたのかは知らない。

関西出身の大男、ランディはキーボーディストだった。

いうまでもなく阪神ファンである。

実家は数店舗を経営する美容チェーン。

ランディとよばれる男について俺が知っているのは、それだけだ。


高田馬場での待ち合わせにメン募主の友人だったドラムがやってこなかったことで、なぜか俺がドラマーとしてメンバー入りすることになってしまった。

単なるお父さんは心配症なだけだったのに。

それからというもの毎週末ともなるとギター、ベース、そしてランディがうちのアパートにやってくる。

彼女と俺は半同棲だったし、なにしろ歩いて5分の場所にスタジオがあったからだ。

土曜日の夜、安いオールナイトパックで朝まで練習し、ぼろぼろになって部屋に帰り、みんなで昼まで雑魚寝。起きたら麻雀か、銭湯に一番風呂を浴びにいくか。夜は次回練習に向けての打ち合わせ。

金はない。夢はある。そんな日々であった。

レパートリーはメン募に書いてあった通り、ジャニス・ジョップリンの『MOVE OVER』。

あと『Me & Bobby McGee』。

そしてJ. Geils Bandの『Homework』である。

来る週も来る週もひたすらこの三曲を練習しつづけた。くるしゅうない。

こんな曲ばかりひたすら練習して、メジャーデビューできる日はいつ来るのだろうか。


そのうちギターが自分のオリジナルを演りたい、と言い出した。断る理由もないので「ほな、曲を書いて持ってきなさい」と言った。しかしギターはなかなか曲を持ってこない。

「歌詞が浮かばないんだよ」

ギターは歌詞に悩んでいた。ボーカルである俺の彼女がせっつくと次第にイライラするようになった。そして八つ当たりはメンバーの中でもっとも初心者である俺に向けられるように。

「ドラム走りすぎ」
「ドラムうるさいよ」
「下手なオカズいらないから」
「セカンドライン叩けんの?」

だんだん俺もイライラしてきた。スタジオに沈黙が流れる。しかしランディだけはあくまでもおおらかだった。そしていつだってムードメーカーだった。

バンド内の空気が悪くなると俺も彼女もベースもみんなランディの顔をうかがうようになる。そんなときランディはいつもちょっとしたギャグや小咄で笑わせてくれた。

彼女はランディがいるからこのバンドを続けている、というようなことを言うようになった。俺も本当にそうだなあ、とおもった。


バンドを組んで半年ほど経った頃。

いつものように練習終わり、ウチのアパートに来るものだとおもっていたら、珍しくギターがそそくさと帰っていった。

するとランディが「今日はハスラーに行かないか」と提案した。ハスラーというのは朝8時まで営業している居酒屋である。

俺たちはハスラーでランディから驚愕の事実を知らされた。どうやらギターはボーカルとランディだけを引き抜いて新しいバンドを組もうとしている、というのだ。

俺は怒りに震えた。しかしそれ以上に驚いたのは明日ランディが東京の住まいを畳んで大阪に帰るということだった。

大阪に帰って実家の手伝いをする、もともと東京での生活やリクルートに入社したのも期間限定の武者修行だった、ギターとはバイト先で知り合った仲間でヤツがこういう形でバンドを潰すのはこれでもう3回目で自分もほとほと愛想が尽きた。ちょうどいい潮時なので洗いざらいみんなに話して、きれいサッパリ大阪に帰ることにした。

だからと言って明日?明日帰るなんて。ハスラーでお別れなんて。東京で知り合った友人の中でいちばんいいヤツなのに。バンドなんかやらなくたってずっと遊んでいたかったのに。

「ハヤカワにはこのテープあげる。これは俺が去年NYに行った時、フラッと入ったライブハウスであわてて録音したテープだ。ドラムがすごい。リズムマシンみたいに正確で手数が鬼なんだけど音が重いぞ。ハヤカワもがんばってこんなドラムが叩けるようになってよ」

そういって渡してくれた一本のカセットテープに入っていたのがデニス・チェンバースの生演奏だった。

家に帰り、カセットを聴いてぶっ飛んだ。

ランディ、こんなドラムは叩けないよ。さすがにこれは無理。

しかしそれを伝える術を当時は持っていなかったし、なんならいまも持っていない。

そのかわりといってはなんだがいまでもデニス・チェンバースを聴くとランディを思い出すようにしている。あんなドラムは叩けないけどそれぐらいのことは俺にもできる。

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