【50代限定】爆音列島名古屋1984-87
はじめて乗った原付はホンダ『カレン』でした。中3の夏。
住んでいた公団の一階に放置されていたカレンのキーを、なぜか友人が持っていたんです。彼とはタバコを吸ったり、学生ズボンをボンタンに履き替えたり、居酒屋で飲んだりと、とにかく悪いことは全て一緒にやってきた仲だったので、原付に乗ろうという誘いに一も二もなく飛びつきました。
そのカレンは、どうやら子供会会長のオッサンの持ち物らしい。そんなシロモノのキーをなぜ彼が持っていたか、いまとなっては思い出せませんが、とにかくふたりでドキドキしながらエンジンをかけてみました。
カレンはセルがついていなくて、キックでエンジンスタートさせるタイプ。それまで人生でキックスターターに触る機会なんかなかったわけです。
交代で一生懸命キックするのですが、一向にエンジンがかからない。
「ガソリン入ってないんじゃない?」
「バッテリーあがってんじゃない?」
「オイル交換してないんじゃない?」
いろいろと外的要因にエンジンがかからない理由を見つけようとします。このときからすでに他責傾向が芽生えていたんですね。やれやれ。
すると後ろから野太い声で「それではエンジンかからんなあ」と笑いながら浅黒い顔の大人が現れます。それがカレンの持ち主の子供会会長です。
あわてて「あっ、す、すいません…」といきなり謝るふたりに「キックはこうやってかけるんだ」と勢いよくレバーを蹴り落とす会長。するとパランパランパンパン…と2スト特有の排気音を立ててカレンが震えだしました。
「おお!」「すごい!」うっとりするふたりに「ほれ、公団の敷地なら大丈夫だから走ってこい」と肩をたたく会長。「いいんですか?」って、いいもなにも、ハナっから走ろうと思っていた中3ボーイズ。
おそるおそるアクセルを開けると、ちょっとなにこれヤバくない?とおもうぐらいのスピードで体がもってかれます。それまで経験したことなかった風圧に顔をさらしていくと、徐々に慣れてきて、なんですかこの解放感。
そこから交代で何周も何周もしました。会長は「ガソリン満タンにしとけよ」といってどっかに行ってしまいました。
■ ■ ■
すっかり原付の虜になってしまったぼくは、16歳の誕生日にソッコーで免許をとり、その足で知り合いのバイクショップに頼んでおいたヤマハ『ジョグ』を引き取りにいきました。
それからというもの、ぼくの生活は『ジョグ』一色。バイトに行くときも、彼女に会いに行くときも、バンドの練習スタジオに行くときも、栄でナンパするときも、学校に通うときまで『ジョグ』と一緒。
もちろん愛知県の高校は免許を「とらない、とらせない」バイクに「乗らない」みたいなくだらない校則を掲げていましたから、こっそりです。いつも本山駅近くの喫茶店の裏に停めて、そこからバスで通っていました。
名古屋の街という街を走り倒したその『ジョグ』ですが、ある日、公団の駐輪場のいつも停めていた場所からこつ然と姿を消します。
警察に…行こうにも学ランだし、もとより高校生が原付とはいえバイクを、となるとソッコー学バレ決定だし。まいったなあ。ぼくは3時限目までの授業をフケて、街中を探してまわります。
しかし見つからない『ジョグ』。仕方がないので地元で幅をきかせていた幼馴染の酒屋の息子のところへいき、事情を話します。すると「おお、それはいかんな、わかった!ジョグに乗っとるヤツがおったら片っ端から捕まえてヒロミチんとこ電話するわ」と頼もしい返答が。
やはり持つべきものは不良の幼馴染ですね。
しかし不良の幼馴染からは電話はなく、それどころか翌週に凶器準備集合罪で逮捕され、鑑別所に入ってしまいました。さすが不良です。
あまりに意気消沈しているぼくに、バイクショップのおねえさんは不憫に思ったのか、店で使っていたホンダ『ビート』を貸してくれました。
最初はいかにもダサくて嫌だったビートでしたが走りがあまりに素晴らしく、いっきに惹き込まれてしまいました。すごい速いの。MBX50とかガンマ50を余裕でぶっちぎれた。リミッター切ってたんじゃないかな。
どうやらボアアップした上にハイスピードキットも装着していた族車だったらしく、ある日おねえさんのヒモみたいな鬼ゾリに「いつまでも乗ってんじゃね-よ」と強制的に没収というか返却させられました。
そしておねえさんは「気の弱いあんたにはこれがお似合いよ」と、こんどはホンダ『フラッシュ』を貸してくれました。下の画像を見てください。あなたもきっと「なにこのカモノハシみたいな原付」とおもうことでしょう。そうなんです、ダサさの極致。
それでもぼくはこの『フラッシュ』に跨って、上京するまで地元を流していました。季節は高3の秋から冬へ。『ジョグ』のときのように警察におっかけられたり、『ビート』のときのようにゾッキーから「いきっとんなよ!」とお声がけいただくことはありませんでしたが、おかげで残り少ない名古屋ライフを穏やかに過ごすことができました。
ぼくの最終学歴である「東名自動車学校」にもこの『フラッシュ』で通ったものです。車校で仲良くなったマリコにも「ダッセー!なにこの原チャ!ペンギンかよー」とケラケラ笑われました。
「ねえねえ、辞書ひいたらフラッシュって変態って意味もあるんだって。似合ってんじゃん」とも言われました。マリコが通っていた高校、偏差値30ぐらいなのに辞書なんか引くんだ…とおもいましたが黙っていました。
二段階右折もなく、ヘルメットも強制でない時代。パトカーを振り切るために歩道を走ったり、彼女をシートに座らせて自分はステップにしゃがんだまま運転したり、めちゃくちゃでしたが事故もなく、生きていてよかった。ほんとうによかった。
この話に特にオチはないんですが、テレビを見ていると悲惨な交通事故が減らないようです。みなさん交通ルールは守りましょうね。あとハンドル握る人は走っててイラッとしてもあおり運転とかしないようにね。もしぼくの知り合いであおり運転でつかまったヤツがいたらそいつのこと「ふみお」って呼ぶからね。
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BGMはjamiroquaiで『Cosmic Girl』でした。
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