レキップ保坂さんの思い出②
せんだっての回で「つづきます」と書きましたが、よく考えると特段続きの話ではありませんでした。お詫びして訂正します。
あ、でもぼくの二社目の会社、レキップの社長であった保坂さんの思い出ではありますので、まんざら続かないわけでもありません。こういう、とるに足らないことを結構ウジウジと気にしてしまう性格を成人するまでに『ブルワーカー2』で直したかったのですが、おそらく手遅れでしょう。
『ブルワーカー』で思い出したのですが、昔の漫画雑誌の裏表紙って怪しい通販のカタログで各社しのぎを削っていましたよね。懐かしさもあってちょっとググったらでるわでるわ。
ダンベルやパワーリストを扱っていた硬派な「日武会」。アイドルやスーパーカーのポスター、ステッカーなどの在庫が狂ったほどあった「岩下レーシング」。フライングVに代表されるエレキやトランペットがヤングのハートをガッチリつかんでいた「二光通販」などなど…
基本、どの会社も男子の「モテ」を刺激する商品をラインナップしていたな、といまにしてそのマーケティングの泥臭さに目眩がします。
あの手の会社っていまどうなっているんでしょうね。当時の通販はどう見ても「広告に偽りあり」な商品だったり、まがい物が送りつけられたり、何かと怪しいトラブルの温床というイメージでしたが。令和のいまならネット通販は完全に市民権を得てますもんね。
実はZOZOは前身がアイデア商品通販大手「まつみ商会」だった!とかね。絶対ないけど。
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さて本題。その①でも書きましたが保坂さんは毎晩お酒を飲みに連れていってくれました。会社が神楽坂にあったことが、その飲みを加速していたのは間違いありません。だって本当に良いお店がたくさんあったのですから。
ぼくはある日、保坂さんに聞いてみました。どうしてレキップを神楽坂に開いたんですか?広告制作プロダクションなら銀座や六本木のほうが、いわゆる“気分”じゃないですか?
すると保坂さん、ここは旨い飲み屋が多いからねえ、とのんびりした声で答えてくれました。さらに、昔はこのあたりは出版社が多くて印刷関係の会社がたくさんあったんだよ、編集プロダクションもね、と付け加えます。
ぼくは心のなかで(編プロか…だからなんとなくレキップって垢抜けないのかな…)とひそかにおもっていました。もちろん編プロに対する勝手な偏見でしかないのですが。
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昨日はイタリアン、今日はビアホール、明日は…という美酒美食ざんまいの日々。しかも話題は保坂さんおすすめ本の内容や作家について。楽しくて、知的な刺激にもあふれていて、つい二軒、三軒とハシゴしてしまいます。
これ自腹だったら大変な金額。保坂さんがぜんぶ持ってくれていました。
あまりにもごちそうになり続けたある日、さすがのぼくも申し訳ないとおもい、保坂さんがトイレに行ってる間にお会計を済ませたんですね。
保坂さんは一軒目では極力トイレに立たないことを美学としていました。そして店を出る直前にはじめて用をたして「さあハヤカワくん、もう一軒行こうか」というのがお決まりのコース。
だから保坂さんが「ちょっとトイレ行ってくるよ」と席を立った瞬間、こっそりママに(おあいそ…)と目配せ。ママも手慣れたもので、すでに計算してある紙をチラッと見せてくれます。なのでサクッとお支払い。
なにごともなかったような顔をして飲み続けるぼくのもとに保坂さんが帰ってきます。そしていつものように「さあ、早川くん、もう一軒いこうか!ママ、おあいそ…」と手をあげます。
「保坂さん、今日はいいのよ」
「ええーっ!?ママのおごりー?もしかしてオレに惚れたぁ?」
保坂さんは酔いもまわって赤ら顔です。
「いいえ、今日はかわいいお弟子さんからいただきましたよ」
ママはニッコリ。ぼくはなんとなく照れくさくなって、苦笑いしながら、さ、保坂さん次いきましょう、と腰を上げました。
すると保坂さんの顔つきから赤みがさーっとひいていきます。
あれ?おかしいな。ぼくは「いや、いつもいつもごちそうになってばかりなので、今夜ぐらいは…お給料日ですし」と事の次第を説明します。
すると保坂さんはふだん見せたことのない硬い口調で「座りなさい」と言い放ちます。「や、次のお店で…」というぼくに「座れ」と。そこからぼくにひと言も挟ませる余地なく堰を切ったように語りはじめます。
いいかハヤカワくん、僕はお返ししてほしくて毎晩お酒をごちそうしているんじゃない。僕も駆け出しの頃、給料が安かった。飲みになんてそうそう行けなかった。でも読広の先輩が連れていってくれたんだよ。そこではいろんなことを学んだ。そして先輩は「保坂、お前もいずれ部下を持つ。そのときはお前が奢ってやるんだ。コピーライターにとって酒の席ほど勉強になる場はない。それが金がないからって得られないんじゃ不公平だろう。だからお前も下のヤツらには気前よく奢ってやるんだ。それがコピーライターのDNAを引き継いでいくってことなんだ」ってね。ハヤカワくんもいつかきっと人の上に立つことになる。だからいま、僕の奢りがありがたいと思うなら、将来の君の部下たちに旨い酒をごちそうしてやってくれ。それがコピーライターのDNAを継ぐことになるんだから。
ぼくは(いやそんな、ぼくなんて人の上に立つわけないじゃないですか…)と心の中でつぶやいていました。と、同時になんだかいてもたってもいられないような、その場から消えたい気分に包まれていました。
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ぼくが保坂さんが止めるにも関わらず、六本木のアウシュビッツと異名をとるプロダクションに移るのはそれからほどなくしてから。その社長は若手を潰すことで有名だ、と現役読広社員の方たちまで連れてきて、みんなでぼくをなんとか説き伏せようとしてくれました。
それなのにぼくは「ぼくはそんなことでは潰れません」という101回目のプロポーズにおける武田鉄矢みたいなセリフを吐き、謎の全能感というか、根拠のない自信で振り切ってしまいます。
そして、保坂さんはじめ広告業界の先輩方がおっしゃる通り、あっけなく挫折し、あっけなくコピーライターの道からリタイアします。
保坂さんの予言は当たっていました。
居酒屋の店長として再スタートを切るも、5年ほどでどうしても飽きてしまい、同時に不義理もあってクビになったぼくは、紆余曲折を経て15人ぐらいのネットベンチャーに職を得ます。
そこで実力はともかく経験者だったということだけで、チーフコピーライターというポジションに就き、たまたま運よく神風が吹いてその会社が大きく成長し、ぼく自身は何の苦労もせず茫漠と日々を過ごしていただけなのに、気づけば結構な数の人の上に立っていました。
保坂さんの予言は当たっていたんです。
早川くんもいつかきっと人の上に立つことになる。だからいま、僕に奢ってもらって嬉しいと思ってくれるなら、将来の君の部下たちに旨い酒をごちそうしてやってくれ。それがコピーライターのDNAを継ぐことになるんだから。
しかし。
とはいえ。
そうはいっても。
その部下の数、最大ピーク時で全国に170人。コピーライターを正社員で170人も雇う会社って、アタマおかしいんじゃないか。電通でもそんなにおらんわ(おるかもしらんけど)と当時おもっていました。
いくらなんでもそんなに奢れませんよ、保坂さん。
それでもぼくが酒をごちそうさせていただいた人は、数こそ少ないですが、います。いまもコピーライターでがんばっている人もいるし、まったく別の世界で活躍している人もいます。みんな、いまのところ元気なはず。
どんな仕事も、専業主婦や主夫も。アルバイトでも。すべての仕事は尊く、すべての仕事はクリエイティブです。クリエイティブにできます。
彼らは果たしてコピーライターのDNAを受け継いでくれたでしょうか。昭和の読売広告社から脈々と流れる遺伝子を。
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