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映画の話をしたくなって
映画が好きなひとは、世の中にたくさんいますね。さまざまなジャンルの映画、洋画邦画問わず観ているひと。すごいなあ、と思います。
ぼくは生まれつき2時間なり2時間半なりをじっと座って過ごすことがわりと苦手です。あと、大きな音や暗い場所もあまり好きではありません。
およそ映画向きの体質ではないのです。
だからといってこれまでに映画を一度も観たことがないか、というとそんなことはありません。それどころか、好きな作品だってあります。映画館で観て、おもしろくて、DVDを買って家でも繰り返し観ることだってある。
たくさん観てはいないけど、いいものはいいって言いたいです。
と、いうことで大して映画を観ていないぼくがそれでも好きになった映画作品をご紹介します。東京に来てから観たものに絞ります。
詳しいことはわかりませんが好きなものは好き!
ガープの世界
ジョン・アーヴィングの原作をジョージ・ロイ・ヒルが映像化した佳作。主演は映画出演2作品目のロビン・ウィリアムズ。母親役のグレン・クローズはこの作品がデビュー作になります。
なんといってもこの映画を印象づけているのは音楽だと思います。主題曲にビートルズの“When I'm Sixty-four”。挿入曲はナット・キング・コールの“There Will Never Be Another You”。
オープニング、赤ん坊のガープがぷかぷかと青空に浮かんでいます。バックで流れる“When I'm Sixty-four”の牧歌的な曲調がぴったり。一方、エンディングは瀕死のガープを運ぶドクターヘリが、オープニングと同じ青空を飛んでいくシーン。そこにキングの独特の声で“There Will Never Be Another You”のサビが重なります。
ぼくはこの映画を東京に来て最初の秋の日曜日の午後にテレビで観ました。はっきりと言葉になってませんでしたが、人生とは何か、というようなことをはじめて考えた気がします。
ギャルソン!
ぼくが上京したのはいまから35年前。1986年でした。その頃はなんだかフランス映画がやたらおしゃれな気がしていて。でも観るとたいがい難解だったり、恐ろしいほど暗かったりと「ううむ…」の連続でした。
しかし、クロード・ソーテ監督、イヴ・モンタン主演の『ギャルソン!』は違ってましたね。妻とも別れ、子どもも巣立っていったやもめ暮らしのアレックスが働くのはパリのブラッスリー。そこで織りなす人間模様はややこしくもあり、めんどくさくもあり、しかしどこか愛くるしい。
イヴ・モンタンの給仕姿がとにかくかっこよくて、ぼくはその後に居酒屋で働くことになるのですが、ホールを走り回っているときのセルフイメージはまさにアレックスでした。
あとアパートの電話機やアレックスが乗るルノーサンクも含めて本当によだれがでるほどオシャレ。フィリップ・サルドの音楽も粋です!
ニューシネマパラダイス
日比谷シャンテにひとりで観に行って、泣いた泣いた。翌日もう一度観に行ったというぼくにしては珍しい作品です。
なぜ泣けるのか。自分にも同じような人間関係があり、似たような境遇でもあったからです。もちろん多くの人が同じように、自分の生きざまに照らし合わせて重なる部分があるからこそ、大ヒットしたのだと思います。
映画の場合は映画に魅せられたトトとアルフレードの友情物語。ぼくの場合は特に何にも魅せられてなかったけれど、隣のレコード屋の店主との間に年の差15歳以上の友情があったんですね。
そして故郷を捨てて、出ていくぼくを応援してくれたのも、レコード屋店主でした。なんとなくストーリーに重なる部分があるんですよね。
監督はジュゼッペ・トルナトーレ。音楽は、これはもう映画音楽の大家ですよね、エンニオ・モリコーネです。イントロを耳にした瞬間に涙腺がゆるむおじさん、おばさんは全国各地にいることでしょう。
グッドモーニング・ベトナム
いまおもったけどロビン・ウイリアムズが好きなんでしょうか、わたし。でも他の作品にはあまり思い入れがありません。そもそも役者で観るタイプではないんでしょうね。
この映画は戦争映画です戦争映画っぽいシーンはありません。要はドンパチしないんですね。もちろん爆破テロなどの場面はありますが…交戦シーンなどなくても戦争のむなしさはひしひしと伝わってくる作品という点が気に入っています。
そしてなんといってもウィリアムズ演ずる人気DJ、エイドリアン・クロンナウアのマシンガントーク。当時、特にDJを目指していたわけではないのですが痺れました。
そんな型破りなラジオ放送は現場で大受け。でも頭の堅い上官は気に入りません。あれやこれやと横槍を入れてきます。この「頭の堅い正論」VS「型破りな破綻」の図式がぼくは大好きで、人生のひとつの指標、あるいは判断軸にまでしてしまいました。もちろん型破りのほうを指向したわけです。
おかげで仕事場という仕事場ではトラブルが尽きることなく…上役の言うことを素直に聞いて、おとなしく尻尾を巻くことをしなかったんですね。あるいはまったくパフォーマンスが上げられないかのどちらか。極端でした。
この映画でぼくは、人間にとって下品さやくだらなさ、バカな悪ふざけは本当に大切で、それがなくなったらおしまいだ、ということを学びました。そういう意味ではここ数年の世界はちょっと息苦しいですね。
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つらつら書いていたら、また観たくなってしまいました。そうなんです、たくさん映画を観ることはなくても、ひとつの作品を何度も何度も観るスタイルなんです。読書とおんなじです。
ほんとは『シャイニング』や『007私を愛したスパイ』『ゴッド・ファーザー(1・2・3)』あたりの話もしたかったんですが、それはまたネタがない水曜日にでも。
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