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上京したときはじめて目にしたもの

ひとによっては「上野の西郷どん」とか「東京タワー」とか「浅草寺」とか「西新宿の高層ビル」とかあるでしょう。また中には「私の志集」とか「いけふくろう」とか「オノデンボーヤ」とか「十仁病院」なんていうマニアックな意見もあるかもしれない。

しかしわたしにとって、いまだにくっきりと瞼の奥に焼き付いているのは

「ビビンパハウス」

これ一択です。

あなたはビビンパハウスをご存知だろうか。ネットで検索すると御徒町で営業を続けているようであるが、それはわたしのビビンパハウス(あえてそう言おう)ではない。わたしが東京ではじめて目にした思い出のビビンパハウスは上野駅前、昭和通りにあったのだ。

あれはぼんやりと高校卒業後は家を出よう、とおもっていた頃。東京の大学を受験するというハイカラな野望を持つ同級生と連れ立ってある初冬の日、夜行列車にのってはじめての上京をはたした。同級生とは違い、特にやることのないわたしは目的もなく早朝五時の上野駅にいた。そんなわたしを迎えてくれたのが極彩色のネオン管で描かれた『ビビンパハウス』の七文字である。

「なに?ビビンパハウスって…」

当時わたしはビビンパもしくはビビンバなる食べ物を知らなかった。高校三年生にして車校(名古屋では皆、自動車学校を車校と呼ぶ)通いだったとき、一緒に学科を受けていたマリコのお気に入りサンリオキャラが『ビビンバ』だった。あとひょうきんディレクターズの中に『ビビンバ荻野』ってのがいたな。それぐらいの認識。

そんなわたしに強烈にアピールしてくるビビンパハウスのケバケバしいネオンサイン。上野の、その場所だけがサイバーパンクな地方都市と化していた。あまりにも強すぎるビビンパハウスの印象のおかげで、東京生活をはじめてしばらくは丸井のことを「オイオイ」と誤読していたほどだ。どうみてもオイオイだろう、OIOIって。

もちろん持ち金がほとんどなかったわたしはビビンパハウスなどに入ることもできず、同級生が用事が終わるであろう夕方五時まで上野をふらふらしていたのでした。寒かったし、おなかもすいていたよ。

翌日、自動車学校でマリコに「東京にはな、ビビンパハウスってのがあるんだぞ」と自慢気に教えてやった。するとマリコは教習本の余白に“ビビンバ-”と落書きした。そして休憩中に上目遣いで聞いてきた。

「おまえホントに東京いくのかよー?」
「おお」

それがマリコと交わした最後の言葉である。名古屋のヤンキー女は男のことを平気でおまえ呼ばわりするのだ。それでいいのだ。

この話にとくにオチはない。この話に限らずわたしの話にはオチがないのだが、それもそのはず、毎回noteを更新するたびに瞬間的に思いつく単語をきっかけとしてなんとか文章をこしらえているわけだから、オチのことなど考える余裕はありません。

ただ、これを読んだ方がこんどビビンパを食するとき、わたしのことを不意に思い出してくれることがあれば、それは愉快だなというだけのことである。あと三つ子の魂百までとはほんとよくいったもんです。

BGMはREBECCAの『ガールズ ブラボー!』でした。

(おしまい)

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