ドラゴン、というあだ名の男
高校時代の数少ない友人にオオタゴウという人間がいた。
彼のあだ名はドラゴンであった。
しかし苗字にも名前にも龍の要素はない。
それどころか拳法の使い手でもなかった。
身長は170cmだから低くもなく高くもなく。
しかし彼はあだ名のおかげで恐れられていた。
なぜドラゴンだったのか。
本人に聞いてもわからない、という。
物心がついたころからドラゴンと呼ばれていたから疑うこともなかったらしい。
ドラゴンをもうひとつ、ミステリアスな存在にしているエピソードがあった。
それは当時、名古屋のロックシーンでは名の通った3ピースガールズバンド『麝香狐』のドラマー、シレーヌの弟だということだ。
ドラゴンの姉がシレーヌ。
世の中は思ったよりよくできている。
知り合ったばかりのころ、もうひとりの友人のマサルからそのことを聞いたぼくはドラゴンに「マジか!?」と聞くと照れながら「マジだ!」と返してきた。「お前、麝香狐知っとるんか?」「おう、当たり前だがや」このやりとりあたりから急速に仲良くなったような気がする。
しかし仲が良いといってもいわゆるアハハのウフフでベタベタするような関係ではない。
当時、ぼくが付き合っていた彼女が通う商業高校をからかいに行く時についてきて、当然校内で喧嘩になるのだがその際に先陣を切って相手に蹴りを入れに行ってくれる、という類の仲の良さだ。
ドラゴンの蹴りはスピードと重さがあった。蹴られたヤツは必死にこらえようとするが膝から落ちる。そこにぼくたちが「さすがドラゴン!」などと囃し立てるので相手はますますビビるわけだ。
自分の喧嘩相手は…ドラゴン?
もしぼくならその時点でおしっこを漏らすでしょう。そして白旗をあげるはず。
まあ、そんな感じで当時つるんで悪いことばっかりやっていた友人5人組のうちのひとりがドラゴンなのでありました。
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いまよりも狂ったような受験地獄が展開されていた当時の愛知県。高校3年生にとっての正月は4月だ!という数学や物理学でも証明できない理論を押し付けられた多くの受験生は暗い顔をして冬を過ごす。
しかしぼくやぼくの周りの人間は誰ひとりとして進学するものがいなかった。ぼくはこれといった目的もなく東京に、マサルは地元のカイロプラクティック専門学校に、ポン中のダリはとにかくシンナーから足を洗うためになぜか高知へ、カズオは家業を継ぐ、といった塩梅だ。
ただ、ドラゴンの進路については誰もしらなかったし、なぜか誰も聞こうとしなかった。
1月の寒い昼下がり。誰もいない視聴覚室のストーブに仲間とあたっているとどこからともなくドラゴンがあらわれた。
そして2月にライブがあるからよかったら来てくれないか、という。
ぼくは「おお、そりゃもちろん」と快諾した。ちょうどその前の年の秋に、ぼくは学園祭で生まれてはじめて大勢の人前でドラムを叩いたばかりでバンドのライブに興味を示しはじめていた。
そして春から東京で何しようか…とぼんやり考えるときに、もしかしたらドラムで喰っていくのも悪くないなとあらぬ妄想を抱いていたのだ。
ところが一緒にいたダリとカズオは「その日はちょっと用事が…」と珍しく腰が引けたようなことを言う。この手のイベントが大好物な連中で、いつもなら一にも二にもなく参加表明し、勝手に前後の飲み会まで企画するのに。
マサルは「こいつらは根性あらせんでよぉ」と言いながらニヤニヤしている。
なに?根性?ドラゴンのライブには根性が必要なのか?ちょっとばかりぼくはヒヤヒヤしてきた。快諾したこともやや後悔しはじめていた。
ドラゴンは特に落ち込むわけでもでもなく、じゃあマサルとハヤカワの分な、と言いながら明らかに手づくりのチケットを2枚渡してくれた。
そのチケットには下手くそな筆文字で「強烈ビートがあなたを悩殺!」と書いてある。
ぼくはそのとき、こういうチケットの文章を書くプロっているのかな、と思った。
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ライブ当日。開場30分前にマサルと待ち合わせしてライブハウスの近くの居酒屋でビールを呑んだ。
「ダリやカズオはなんで今日来んのかな?」
「あいつらはイモヒキだ」
「どういうことよ」
「まあ、お前もゴウの音楽を聴いたらわかる」
マサルは同い年で同じぐらいの背丈、おんなじように天然パーマに泣かされてきたにも関わらず時々妙に大人っぽい。なんでもかんでもストレートに回答を口にしないことがオトナである、ということを学んだのはマサルからである。
ライブがはじまった。
詳しいことを一切聞いていなかったのだが、なんとドラゴンのバンドは2ピースだった。ドラムとベースだけ。
しかしその演奏はふたりしかいないことを忘れさせるほど力強く、また厚い音をぶつけてきた。
ドラゴンの刻むビートはまさにコピーの通り、強烈そのもの。ベードラの一音一音が重く、音圧がハンパない。ぼくは商業高校で見たドラゴンの蹴りを思い出した。
さらにハットとスネアは聴いたこともないコンビネーションで複雑なリズムを刻む。セット全体でうねるようなグルーヴを生み出している。
ベースはディストーションで歪ませた上に4弦をまるでギターのようにストロークする、これまたはじめて聴くサウンドだった。ぼくの知っているベーシストの誰にも似ていない。
艶かしい化粧を施したベースが叫ぶ唄は何を言っているのかわからなかったが、魂の塊みたいなものはビンビン伝わってきた。
ぼくはそのとき、圧倒的なオリジナリティというものを体感した。圧倒的なオリジナリティというのは真似ごとじゃない。誰もやってないことをやる、ということだ。
それを目の当たりにして、俺はこの先ドラムや音楽で喰っていくことはしないでおこう、と決めたのであった。
そしてライブ終了後、軽い難聴になっていた。
「うるさいだろう?ゴウの音楽。だでシズオらは来んのだわ」
なるほどそういうことか、とマサルの話を聞いて納得した。
その後、千種駅近くのむらさきという居酒屋で呑んで地下鉄に乗った。途中の駅でマサルと別れた。ひとりになってジャンパーのポケットからクシャクシャになったチケットの半券がでてきた。
「強烈ビートがあなたを悩殺!」
なんとなく、こういう宣伝文句を書く仕事があるならやってみたいな、と思った。
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