大日本製本の夜は更けて
隣に住む職業不詳、年齢不明のスズキさんがぼくの留守中に勝手に部屋に上がり込んでは食べ物や飲み物を窃盗するようになって3ヶ月。大家さんの計らいで南京錠を3つに増やしたり、大家さんの便所掃除の回数を増やすなど警戒体制を強化したりしたものの、一向に状況は改善しなかった。
「困ったわね…」
人の良さそうな大家さんは心の底から困ったような声を絞り出しつつそう言った。ぼくとしてはスズキさんに出ていけと言ってくれさえすればすむ問題なのに、と思っていた。しかし大家さんの口からスズキさんへの最後通告はなされることなく時間がすぎていった。
かくなるうえは自分から出ていくしかない。社会に出てから何度も耳にする「相手を変えようとする前にまず自分が変わるべき」というビジネス格言をぼくはこの時すでに体現しようとしていた。
となると、先立つものは金である。
「なんか手っ取り早く稼げるバイトないか?」
ぼくが頼ったのは東京駅八重洲口にある『アリーズバー』でバーテンをやっているシゲミという男だった。静岡出身の映画フリークで、上中里のアパートにはうず高くビデオテープが積み上げられていた。天井には戦国自衛隊のポスター。まるで宮崎某の部屋である。
「あるよ。大日本製本の夜勤。ひと晩8,000円」
悪くない。一週間で56,000円、一ヶ月休まずやれば248,000円だ。敷1、礼2、前家賃に手数料を払っても4万円台の部屋に越せる。ちょい頑張れば5万円台も夢じゃない。
ちなみに当時住んでいたアパートは家賃2万4000円。風呂トイレなしの6畳一間であった。駅前の不動産屋を覗いてみると、この町の相場として5万出せばユニットバスにフローリング、ロフト付き新築物件もいけそうだとわかった。
そうと決まれば話は早い。ぼくは翌日から大日本製本の夜勤をはじめることにした。
紙に描いた目の集団
シゲミの話によると仕事は夜7時から翌朝6時まで。途中1時間の休憩が3回入る。8時間労働である。時給にすると1000円なのでさほど美味しくもないのだが、何せ面接は不要。いつ来ても、逆に来なくてもいい。日当は翌日の夕方にシャチハタを持って事務所にいけば払ってくれるという気軽さ。しかも当時のアパートから仕事場までは歩いて5分である。
特に服装規程などもないというので夕方6時に事務所に行ってみると、だだっ広い空間にずらりとパイプ椅子が並べられている。
受付っぽい窓口で挨拶すると暗い目をした中年から「履歴書、持って来てないなら用意してあるから記入して」とつっけんどんに言われた。ぼくは一応持参していたので提出すると、おっ、優秀だね、じゃここで待ってて、とカウンターの椅子を促された。
ぼうっと待っていると前日のギャラを受け取りに続々と人が集まってくる。一体どこから湧いて来たのか、というぐらいいちどきにフロアがいっぱいになる。さっきの受付の男は手際よくシャチハタと茶封筒を交換していく。
金をもらってその場から去る者もいれば今日も働くという者もいて、並べられていたパイプ椅子はなるほど後者が座るためのものだということがわかる。さながら運転免許試験場のようだ。
痩せて土気色したおっさんや髪の毛がカラフルなバンドマン風、メガネをかけた苦学生っぽいニキビヅラ、仙人のような髭を生やした年齢不詳、などなど実にバラエティに富んだ人々だった。
ただ、全員に共通しているのは、みんな目が死んでいるということ。まるで輝きがない。紙に書いたような、ペタンとした目なのである。しかも全員が。これはなかなか異様な光景であった。
その後、号令のようなものがかかると死んだ目の集団は一斉に立ち上がり、上の階に向けてゾロゾロと行進が始まった。みんな慣れきっている様子で目を瞑っていても動けるぜ、というゾンビ的な余裕を感じられた。
999の機械化人は実在した
ぼくは初日ということで制服を着た人に案内してもらうことになった。多分大日本製本の社員なのだろう。階段を登りながら「どんな仕事が向いてるかなあ」「体使うのがいいかな、それとも手先の器用な方かな」などなかなかフレンドリーに接してくれた。
アルバイトが集まって輪になっているところに連れて行かれると、今日から入るハヤカワくんですと紹介された。ぼくはよろしくお願いします、最初は色々ご迷惑をおかけします、と挨拶した。誰も興味を示すものはいなかった。彼らは何にも興味がないようだった。
じゃあ今日はこっちで、と社員の人に連れて行かれた持ち場はベルトコンベアの前だった。
「右からレーンに乗って本が流れてくるからひっくり返して。それをひたすら終わるまでね。じゃあ頑張って」
仕事はまさしくその通りだった。ベルトコンベアのレーンに乗って右から本が流れてくる。それをひっくり返して、左に流していく。それだけだ。ときどき上流のホットメルトの工程でミスがあるとブザーがなってレーンが止まる。
あっという間に飽きた。そして立っているのがしんどくなってきた。少し慣れて周りを見渡すとぼくの他にも数人がこの本をひっくり返す作業に就いていた。みんな一様に無我の極致を追い求める求道者のようだった。
ブーッとブザーがなってレーンが止まった時、脇を見るとみんな同時にしゃがみ込んでいた。しかし連帯のようなものはいっさい生まれない。
この時、ぼくは確実に機械と一体化していた。銀河鉄道999に出てくる機械化人は永遠の命を手に入れた成功者の象徴だったが、どう考えても成功とはほど遠い機械化人もいるのだなと思った。
どんな集団にも主(ぬし)はいる
夜勤をはじめて一週間が過ぎた。肉体も精神もすっかり夜勤仕様にチューニングされた。若いだけあって適応力はG並みだ。新人の多くは3日目で挫折するらしく、5日目には何人かから声をかけられた。6日目には正社員からも「この調子で頑張ってよ」と激励された。うれしくはなかった。
7日目。今日の持ち場はパレットに並べた本にラップをかける仕事だ。フォークがパレットを運んでくるので、そこに完成した本を所定通りに並べていく。決められた冊数が終わるとサランラップの親玉のような透明のビニールを二人がかりでパレットごと巻きつける。するとフォークがやってきてどこかへ持っていく。戻ってきたフォークには新しいパレットが乗っている。これの繰り返しだ。初日から続いていた本をひっくり返す仕事に比べるとかなりクリエイティブだと思った。
ぼくは角刈りで小柄な男とコンビになった。角刈りはこのアルバイトをはじめて3ヶ月目らしく、実にいろんなことを教えてくれた。0時の休憩時にカップラーメンを買うふりをしてビルの外に抜け出し、コンビニで好きなものを手にいれるやり方。断裁に失敗したエロ本をくすねる方法。パレットラップの仕事の手の抜き方。ホットメルトの係は社員なんだけど、下っ端で機嫌が悪いことが多いからあまり近づかないほうがいいこと。
教えてくれたことの中でもいちばんびっくりしたのは、夜勤バイトの中にも「主」がいて、彼の気に入られることが長く仕事を続ける上で避けて通れない、という裏レギュレーションだった。
ぼくはこんな閉塞的な空間にもそんなヒエラルキーが存在するのか、と驚くと同時に、いやまてよ閉塞的だからこそ人間関係も濃密になり、結果として上下関係のようなものが生まれるのかもしれない、と思い返した。
「今日、0時の休憩のときに一緒に主のところに行こうぜ」
主の存在を教えてくれた火曜日の夜、角刈りはぼくにそう耳打ちしてきた。ぼくはなんだかめんどうくさくなり、いいよ俺は別に、と吐き捨てるように答えた。角刈りはダメダメそんなこといって目を付けられたらいじめの的にされるよ、と言いながらラップを器用に巻きつける。
その日の0時の休憩で、ぼくは角刈りに連れていかれるような形で主のところに挨拶に行った。主は30代半ばぐらいの痩せたロン毛で、髪の色はグレー。断裁ミスの紙の山に隠れるようにして取り巻きとトランプかウノのようなカードゲームに興じていた。もしかしたら始業直後からこうして遊んでいたのかもしれない。
「いくつ?いつから?」目もあわせずに聞いてきた主に、ぼくが黙っていると角刈りが「19です、先週からです、すみませんちょっとこいつ慣れてなくてビビってるんです」と余計な解説を入れる。どうやら角刈りはこの職場で新人を主に案内する係を仰せつかっているようだ。
主は顔を上げてぼくを一瞥すると、ふん、とつまらなそうに鼻をならしてカードゲームに戻っていった。
結局、挨拶はそれでおしまい。ぼくは持ち場に帰ると角刈りからお前あぶねえよ、主が機嫌良かったからいいものの、タイミングはずすとキレられるよ、と忠告された。うっすらとめんどくさい気分がみぞおちのあたりから登ってきた。
帰り際、角刈りが走ってきて「おい、なんか主のヤツお前のこと気に入ったみたいだぞ。明日、秘密のエロ本の断裁ミス置き場連れてってくれるってよ。よかったな」とぼくの肩を叩いた。
礼金に届かず挫折…
翌日、ぼくは前日の手当をもらった足でそのまま赤羽に行き、まるます屋という大衆酒場で酒を呑んだ。そして二度と大日本製本のアルバイトに行くことはなかった。
結局2週間しか働かなかったが、なかなかおもしろい経験ができたと思う。最後はめんどくさい人間関係に巻き込まれるのが嫌で逃げてしまったが、社員の人も概ねやさしかったし、角刈りをはじめ何人かにはよくしてもらった。それをおもうとちょっとだけ申し訳ないような気がする。
そのことを八重洲口アリーズバーでウィスキーを飲みながらシゲミにこぼすと「じゃあこんどはその隣の大日本印刷で夜勤すればいいだよ」と言う。奴は大日本グループからいくばくかの金子を受け取っていたのではないだろうか。35年経ったいまでも疑っている。
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