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Googleは「答え」は教えてくれるが、「どう検索すればよいか」は教えてくれない

10日間の夏季休暇もあっという間に過ぎ去った。

本当は沖縄へ行くつもりが、コロナのためにキャンセルしたので、近場に出かけてちょっと豪勢な外食をする程度のおとなしい夏休みとなった。

それにしても、相変わらずTwitterみている時間が長かったなあと「スクリーンタイム」をチェックしてみると、毎日ほぼ1時間~1時間半はTwitterをながめていることがわかった。

さらに、Twitter以外でも、タブレットで雑誌を読み、パソコンでブログを書いたり、Youtube見たり、株式相場をチェックしたりと1日の中で、スマホやパソコンに接していない時間はほぼない。

つまり、目や耳からあらゆる情報の流入をシャットダウンし、ただただ「考える」という時間は、ぼくの生活において皆無なのである。

インプットがなければ、アウトプットはない。
良質なインプットが、良質なアウトプットにつながる。

などという誰の格言を真に受け、ひたすら良いと思いこんでいた情報を入れ続けてきたが、もはやこれは単なる惰性としてのインプットになり、情報過多(デブ)になっているのではないだろうか。

そういえば、この本に「情報量が増えれば増えるほど人は思考しなくなる」と書かれていたな・・・。

本書はそのタイトルだけに、安易なHowto本に思われるが、中身は骨太の「思考論」という大きなGAPによって、今年読んだ本の中でも強く印象に残っている。

今日はこの本から「思考」について、まとめてみよう。

◆20世紀VS21世紀

Googleは「答え」は教えてくれるが
「どう検索すればよいか」は教えてくれない

これが、20世紀と21世紀の顕著な違いを的確に言い表している表現だとすれば、両世紀で何がどうちがうのだろうか? 

<20世紀>

■「解を問う」時代
■「頭がよい」=記憶力、情報を多く持ったハードディスクの容量が大きい人
■ハードディスク(情報・知識)主体の時代
■お金を生むのは知識

<21世紀>

■「問いを問う」時代
■そのために「つながりを見出す力」、「物事をイメージする力」が必要
■検索して答えを引き出せる「うろ覚え力」が大切
■短期記憶力よりも、人に何でも聞ける「愛嬌力」のほうが必要
■CPU(思考力・想像力)が主体になる時代
■知識は誰でも手に入る。お金を生むのは社会的関係(信用)
■知識はあらゆるコストを下げるために使われる

ITの発達により、ハードディスクから解をもってくることは誰にでもできる。そこで、21世紀は「問いそのものを問い直す」という行為に価値が出てくるというのだ。

ただし、目の前のものごとに対して「問う」ためには、普段から「考える」という行為が求められるため、脳みその訓練をしていかなければならない。

では、「考える」ことを行うためにはなにが必要なのだろうか?

情報量が増えると人は考えなくなる

まずは余計な情報を減らし、脳が「思考」できる余裕を与えなくてはならないという。そのためにまず「情報のデトックス」を行い、強制的に思考する時間を確保することが重要。

■情報はあくまでも思考のための〝潤滑油〟である。
■情報はあくまでも思考の素材であり、目的ではないのだ。
情報量が増えれば増えるほど人は思考しなくなる。
思考を鍛えたいのであれば、情報を減らし、思考の割合を増やすことだ。
痩せたいのなら筋トレ(思考)の前に炭水化物(情報)を控えろ。
情報はスポンジのように意識を吸い尽くす「毒」でもある。
毒となる情報に意識が囚われると、頭がカチコチに固まってしまうのだ。
賢い人というのは頭が柔らかい人であり、それは意識が自由な状態の人を指す。
だからこそ自由に意識を漂わせ、前提を疑い、問いを改めることができるのだ。

本書を読んでいると、「考える力」を身につけるのは、ダイエットと筋トレの関係に同じプロセスだということがわかる。ストイックな生活習慣を脳みそに覚えさせる必要があるのだ。

無駄な情報を自分の意識が引き寄せないように部屋と生活をシンプルにし、新聞やテレビなどを見ない。
頭の回転を維持するための食事(特に料理に使う油に気を遣う)、無駄な情報に吸着されてしまった意識をひき剥がすための呼吸やヨガなどもする。

偏見や固定観念を日々ひき剥がすには、筋トレのように練習が必要だ。

決して楽な道のりではないし、この時代を生き延びる最適解とまではいかないかもしれないが、私は「考えること」は、一つの有力な解ではないかと思っている。考える力を鍛えることは、一生食べていける力をつけることと同じくらい重要だと信じているのだ。

本当の意味で「考える」とは何か?

本書では「考える」という言葉をこう定義している

概念の海に意識を漂わせ、情報と知識を分離・結合させ、整理する行為
意識を使って情報を整理すること

そして、「考える」ことについて、ここまで深堀りするようになった著者の体験談が興味深いので引用する。

ある企業買収のプロジェクトに関わっているときだった。

クライアントのトップが私たちコンサルタントの用意した膨大なレポートを前に、こう言ったのだ。

「我々がほしいのは情報や分析ではない。この会社の最もコア(本質的)な価値の源泉は何か?ただその一つだけだ」と。

投資銀行トップの言葉をきっかけに、私は「考えること」について深く考えるようになった。そしてそれは、私が今でも思考の軸に置く一つの信念につながった。

つまり「すべてのものは一見、分かれているように見えるが、実は有機的につながっている。そしてそのつながりの中に潜む本質を問い続けることこそ、最も有効な解を見つける手段である」ということである。

と、なにやら難しい表現になってきたが、「考える」とは情報を整理して、その本質を追求していくことだと解釈した。

そして、物事の本質を追求していくために必要な思考方法が「メタ思考」というものだ。 

物事の本質を突く「メタ思考」を身につける

ビジネスのノウハウ本を読んで、それをそのまま真似して上手くいくことはまずない。それは、著者と読み手の前提条件がまったく異なるからだ。

なので、読み手はそのノウハウの本質を探り、自分の環境や能力にアレンジしなければならない。でも、それが出来る人はそういない。だから、ほとんどの人はノウハウ本をただ読んでも仕事ができるようにならないのだ。

では、どうやって本質を探って、アレンジするのか?

その方法が「メタ思考」だという。

メタ思考とは、対象を一度抽象化して本質に迫り、再度各論に落とす思考のことである。

思考の幅をできるだけ広く取り、因果・上下関係を整理することで対象を立体化し、最終的にどれだけ本質まで結晶化できたかが勝負となる。

メタ思考における結晶化とは、言葉を再定義することである。言葉を再定義していくことで物事の本質を突く。メタ思考の最終的な目的は本質を見抜き、核心を突く代替案を見つけることである。

では「本質的」とは何かと言うと、3つの共通する要素があることがわかる。

それは
「普遍性(応用がきくこと)」
「不変性(時が経っても変わらないこと)」
「単純性(シンプルであること)」だ。

こういった本質を押さえると、その後応用できる可能性が高くなる。考えたことが本質的かどうかについては、この3点を検証してみるとはっきりするだろう。

というわけで、「メタ思考」をもった筋肉質な脳みそにしていくためには、まずは情報ダイエットをして、筋トレ(脳トレ)する時間を確保することからだ

明日からTwitterは1日30分と制限することにしよう。

今日もありがとうございました。

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