とあるサラリーマン部長

サラリーマン歴24年。仕事の中で起きる不条理なあれこれをエッセイで書き記す

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この世は理不尽で、面倒なものという前提で生きる

自分の仕事をよ〜く振り返ってみると、なにかを「生産」しているというよりは、関係者間の認識を合わせて、「調整」していることのほうが圧倒的に多い。 でも、調整事のない世の中ってありえるのか? それは、たぶん、自分しか居ない世界ということになる。 たしかに、この世に自分しかいなければ、すべては自分の思い通りになる。 ただし、一人では、めちゃくちゃ不便である。加工された食品も食べれないし、誰かが発信してはじめて成り立つインターネットも楽しめない。もちろん演者が居ないわけだから

    • 「人」は立場や環境が変われば、簡単に意見や考え方が変わる生き物である

      今年度に入ってから、週に1回〜2回は会社に出勤しているので、その度に朝の満員電車に乗らなくてはいけない。 ほとんどコロナ前の混雑具合に戻っている車内はすし詰め状態で、さらにこの時期に他人と密着するのは何にも耐え難き苦行である。 今日、そんな状況の満員電車に乗り込む際に、自分の頭の中での考え方がリアルタイムで変わっていくことに気づき、思わずニヤリとしてしまった。 自分が乗る前は 「おいおい、もっと奥に詰められるだろう。もっと奥に詰めてくれよ。もうすぐドア閉まるじゃないか

      • 仕事とは、だれかの「不○」を解消すること

        自分の子供を育てている中で、気がついたこと。 それは、もっと子供に理解しやすい仕事に就いていればよかったなあということ。 例えば、医者、ミュージシャン、パン屋、警察官、先生、、、など。 自分のいまの仕事(企業の業績管理して、戦略練って、予算つくって)みたいな 巨大企業における一歯車の仕事は、非常に分かりづらいし、伝えにくい。 そこで、ぼくは自分の仕事を子供に伝える際はこういう説明をする。 この「不」の解消という考えたは、リクルートのビジネスモデルの骨子でもあるのだけ

        • 理想的な物語の展開はand,but,therefore→そして、しかし、したがって

          あなたは大学生だとして、いまつまらない授業が行われている教室の最後尾に座っているとする。 さあ、ここで突然、食欲をそそるスパイシーな香りとともに、20人分のカレーが入った大鍋が教室に運ばれてきた。 この後、すごい勢いで手があがったのは言うまでもない。 ただのカレーライスに「ストーリー」を付け加えるだけで、一気に「食べたい」という気持ちが頂点に達するという、「ストーリー」の重要さをわかりやすく教えてくれる逸話だとおもう。 この話に出会ったのが約20年前。それ以来、「スト

        この世は理不尽で、面倒なものという前提で生きる

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          朝出かけるとき、自分が気に入る服を着るように、、、文章も書けばよい

          他人や世の中を気にする前に、まずは「自分」が気に入る文章を書いてみなさい、というこのメッセージが、ぼくは好きだ。 文書、写真、洋服、料理、働き方、生き方、、、ジャンルはなんだってよいけれど、こういう考えた方で物事にアプローチしていくのはすごく良いなあとおもう。 もちろん、ここまではあくまで自分が心地よく、機嫌よくいるためのコツである。その後、他人は社会が気に入ってくれるか、評価してくれるかはまた別のお話だ。 その冷酷な現実を認識したうえで・・・・ 本書でも引用されてい

          朝出かけるとき、自分が気に入る服を着るように、、、文章も書けばよい

          当たり前ことのことを、当たり前じゃないぐらいにやれば、きっと・・・・

          特に、楽天や三木谷さんのファンではないが、三木谷さんが数年前につぶやいていたこの言葉が印象に残っている。 「思えば遠くへ来たもんだ」。 ぼくはこの言葉の響きが好きだ。人生の節目で、自分の過去をふりかえったとき、この言葉を言えるということは、コツコツとなにかひとつのことをやりつづけてきたからだとおもう。 三木谷さんは13年前に出版した自著でこんなことを書いている。 冒頭のつぶやきと重ねて見ると、三木谷さんは愚直にこの一節を実践していたのかもしれない。 ちなみに、「1日

          当たり前ことのことを、当たり前じゃないぐらいにやれば、きっと・・・・

          ほとんどすべての仕事は 「合作」であり「協業」である。

          老犬介護のため、長期外出ができない状態の我が家。娘の夏休みの思い出を「行ける範囲」で作ろうと、近所で行われた花火大会に行ってきた。 花火大会と言えば、蒸し風呂のような環境で、激コミ、行列という最悪な状態を想定し、覚悟していた。ところが、想像以上に人波の整理がうまくされており、みなさんもお行儀よく振る舞っていたため、非常に楽しむことができた。 後で聞いた話によると、この手の大規模花火大会は運営費の半分以上が「警備費用」だそうだ。たしかに、要所には必ず警備員、警察が立っており

          ほとんどすべての仕事は 「合作」であり「協業」である。

          人生を楽しむコツは、ちょっとした「ギャップ」にある

          束の間の夏休み。実家に帰省し、親戚が集まり、スーパーの買い出し品と鉄板焼きで肉を焼いて食べた。 材料自体はいつも自分の家でたべているものだったが、いつもと違う場所、いつもと異なるメンバーというだけ、すごく美味しく感じる。 これは、普段と異なる「ギャップ」がもたらす恩恵である。 人生の折り返し地点に来て、様々な人を見てきておもうことは、人は恵まれた環境にいるから人生が楽しくなるのではなく、自分の日常に対して「ギャップ」を作り、その瞬間を味わうことができる人が人生を楽しんで

          人生を楽しむコツは、ちょっとした「ギャップ」にある

          仕事の「渋滞」を回避するためには、車間距離(スケジュール)を空けておくこと

          極たまに、余裕を持って仕事ができる日がある。 そのような状態になるときの特徴は ・その日、上司への報告会議がない(気が楽) ・会議のスケジュールが連続していない この2つが重なる時だ。 特に後者=連続した会議がない、というのは重要だ。 人や役職にもよるとおもうが、僕の場合、基本的に次の会議の15分ぐらい前からは、次の会議のモードに入り、資料の準備、議論すべきこと、落とし所をシュミレーションできている状態がベストである。 それが、会議が連続しているときは、やっつけ、その

          仕事の「渋滞」を回避するためには、車間距離(スケジュール)を空けておくこと

          世界は自分が望んだ分だけ見せてくれるのだということ

          ブログにしろ、noteにしろ、カメラ/写真にしろ、とりあえず興味は持つものの、長続きしないのか我が人生だ。 飽きて放り出すのではなく、取り扱いたいネタ、対象物がなくなり、自然消滅していく。でも、またしばらくすると一旦夢中になるが、上っ面だけなぞって、また意欲が失せていくの繰り返しである。 例えば、カメラ/写真。 毎回、SNSやYouTubeで目にする他人の写真に触発され、スマホでは満足できなくなり、購入に踏み切る。 写したいものがフォーカスされ、背景がボケた写真は、自

          世界は自分が望んだ分だけ見せてくれるのだということ

          やがて一つ、また一つ、自分の身にも起き始める現象、それが・・・・

          近視のひとは老眼が来るのが遅い、という話を聞いていたし、周りが近くの物を見るときにメガネをはずしたり、頭の上にかけたりする光景を見ても、他人事だと思っていた。 しかし、最近、ついに自分の身にもそれが起き始めた。 スマホの文字が見づらい、寝転がって本を読むと文字が見づらい、そんなときメガネを取って見ると、、、、ああ、見える、見える。 これが、老眼というものか。残りの人生、これで過ごすのか。 老眼以外にも、脂っこい物が食べられない、体調が不調の日のほうが多いなど、いわゆる

          やがて一つ、また一つ、自分の身にも起き始める現象、それが・・・・

          上司はみなシンプルなものを好むけれど、現実はやっぱり複雑じゃない?

           我が子はもう夏休み気分だ。夏休みにはあれしよう、これしようと楽しそうに語る。  一方、ぼくのスケジュールには、夏休みも普通に仕事のスケジュールが組まれていく。今月も気がつけば、上層部への報告=月次報告会の時期だ。  もう何年も同じことを繰り返してきているので、いつか優秀な資料作成社になって、「すばらしい!、文句なしだよ」と言われるときが来るかとおもっていたが、相変わらず、真逆の言葉をいただく。  よくわからないなあ〜  もっとシンプルにならないの  どういうこと?  

          上司はみなシンプルなものを好むけれど、現実はやっぱり複雑じゃない?

          仕事の課題が解決していく瞬間には、必ず「他人の言葉、知恵」がある

           在宅勤務におけるメリットの一つとして、「誰からも話しかけられない」ため、作業が中断されず、集中して仕事を片付けることができるところにある。  会社だと、そばに上司や同僚、部下から    「おい、ちょっとこれさ〜」  「ねえ、ちょっといい?」  「ちょっと良いでしょうか?」 といった具合に、しょっちゅう話しかけられて仕事が中断されていたが、在宅ではこれがないのだ。  でも、そういう「ちょっとした割り込み会話」にも  ・ちょっとした疑問や確認は、その場ですぐに解決できる

          仕事の課題が解決していく瞬間には、必ず「他人の言葉、知恵」がある

          “健康寿命の長い人”は体に良いものを食べているからではなさそう

           「厄年」を実感したのは、自分が42歳ぐらいのころ。再度の転勤、新たなポジションでの大きな仕事を任されたそのころのぼくは、体調が絶不調だった。  もともと太っていないぼくが、10キロ痩せたのだから、周囲からは心配されるし、やつれていく姿をみるのはなにより自分自身が一番イヤだった。  日々のクライアントからの重圧、度重なる苦手な酒の場、接待。次第に会社に行くのが辛くなり、気がつけば食欲が減退し、ご飯は喉を通らず、朝起きればいきなり下痢というのと繰り返された。  明日は良く

          “健康寿命の長い人”は体に良いものを食べているからではなさそう

          遠くにあるものほど良く見える、ものだ。

           やりたかったことが実現したり、欲しかったものが手に入ると、たいてい想像していなかったマイナス面があることに気がつく。  この現象を一文で言い表すと、「遠くのものほど良く見える」ということになる。  どれだけ歳を重ねても、未体験のことや、手に入れられない物に対しては、それらの「いい面」ばかりに注目してしまい、同時にやってくるマイナス部分について盲目的になってしまう(もしくは、非常に楽観視する)。  たとえば、「犬を飼う」場合。  我が家には17歳(人間だと80歳ぐらい

          遠くにあるものほど良く見える、ものだ。

          人はそれぞれ違う:ある島に、三人の兄弟が流れ着いた話。

          最近、社内で転職者が増えている中で感じたこと。 「仕事」に関する価値観は人それぞれだ。  滅私奉公してまで、仕事に従事し、出世して上位役職者を目指す人。 仕事はほどほどにして、給料は普通に暮らせるぐらい貰えればよい。 仕事は言われたことを最低限やって、なにより趣味が大事という人。 みんな露骨に本音は漏らさないが、各自、仕事に対する価値観はバラバラだ。 そして、これは同じ人間の中でも、年を経ることで、変化していく。 例えば、ぼくの場合。 若い頃はとにかく年収1千

          人はそれぞれ違う:ある島に、三人の兄弟が流れ着いた話。