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一流のひとは「引用力」が優れている

これまで数ある映画でどのジャンルにも当てはまらない映画などない。
だからひねりが必要。
典型的なものにひねりをくわえる。
同じものだけど、ちがったヤツを作るためには歴史や伝統を良く知る必要がある。

「SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術」

これは、アメリカで脚本家を目指す人は必ず読むと言われている脚本の傑作指南書の一節です。つまり、よい脚本を書くためには、クラッシックといわれる映画や、メガヒット作品がなぜそうなったのか?という理由や背景をしておくべきだと。

その要因を知らなければ、そこにひねりを加えることなどできない。だから、きちんと過去の作品を観て、基礎知識を築いておくべきだと。

ここで、ちょっとぼくの20代のころの話をする。

ぼくの20代〜30代前半(独身)のころは、 とにかく目や耳の入った映画なら、かならず観なければ気が済まなかった。だから、休みの日は朝から晩までぶっ通しで、 レンタルしてきた映画を何本も見まくるような生活を送っていた。

そんな映画狂だったぼくは、20代前半にアメリカ、 ニューヨークの映画学校に通っていたことがある。 毎日午前中は理論を中心に座学、午後はシューティングという感じのカリキュラムが組まれ、 ゴールは卒業する日に自身が監督した作品を仕上げ、上映することだった。

異国の地で多様な人種の仲間たちと短編映画を作り上げる、 という非日常はとても刺激的だったのだが、 同時にこの中でやっていけるかという不安と自分の力不足( 英語力、映画知識)に打ちのめされた。

午前中に行われる座学では、毎日毎日、現役で活躍するプロが講師として呼ばれ、脚本、撮影、 編集の原論にはじまり、スキルなどを教えてくれた。日々の授業の中で一番驚かされたのは彼ら講師陣の口から出てくる「映画知識」の豊富さだった。

彼らは次から次へと「XXXXという作品の、 XXXXというシーンは・・・」というサンプルを引用しながら自論を展開し、クラスメイトはそれに対して、即レスで該当シーンのセリフを返したり、 そのシーンが持つ意味や仕掛けについて熱いディスカッションが始まるのだ。もちろん、 ぼくはついていけず、英語もしゃべれず、 黙って眺めているしかなかった。

自分も相当数の映画を観てきたと思っていたが、 どれも流行りのハリウッド映画ばかりで、 古典的名作やちょっと古い60年、 70年台の傑作品についてはほとんど網羅できていないということに対し、なんだかひどく落ち込んだのを覚えている。

冒頭で引用した「SAVE THE CATの法則」にも、「名監督はみんな引用ができる」という話が書かれている。

スピルバーグやスコセッシが映画について語る時、 何百本という作品からさまざまな引用をする。引用といっても「 台詞がそっくりそのまま言える」ってことじゃない。 その映画がどう機能しているか?仕組みを説明できるってことだ。

映画というのは、 感情を引き起こすために作られた複雑な機械みたいなもの。 いくつもの歯車が噛み合ってチクタク動いている。 これを部品に分解し、 しかも組み立て直せるようにならなきゃいけない。

そのためには、 いろいろな映画の種類を知り、どんな系統にはどんな作品があり、 どう発展してきたかを理解しなければならないのだ。

当時は、そんな彼らの映画知識や「引用力」のすごさに対して、単純に「 みんな究極の映画オタクだなあ~、勝てねえ~」 という感想しかもたなかった。

しかし、普通のサラリーマンとして20年以上過ごしたいま、この言葉は映画界だけでなく、普通の仕事でも通用する法則であることに気づいた。

すばらしい監督たちは「その映画がどう機能しているか?仕組みを説明できる」能力があるというが、仕事でも優秀なひとは同じよう脳の動きをしている。

彼らは、過去の成功したビジネスはもちろん、経済、心理学、歴史などさまざまな分野において知見をもち、仕組みを説明できるのだ。

どんな仕事でも、既存のカテゴリに当てはまらないものなどないし、大抵はむかしからあるビジネスを基本として、時代に合わせてアップデートしたものだ。

だから、ひねりが必要になる。

そして、ひねりをきかせて今の時代合わせた新しいものを生み出すには、「引用力」=「仕組みを説明できる力」が必要になるのではないか。

今日もありがとうございました。

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