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【即興短編】No4 呻く残響

 ゆらりゆらりと水面に映るのは何者の顔か。
 強さに溺れた鬼か、それとも娘を愛する父か、それとも――死神に取り憑かれた人斬りか。最早、自分の顔がどんな形をしているのかわからなかった。輪郭も、目も、鼻も――何もかもが人の形をしている。しかし、それは本当に人間の顔か。
 人を簡単に殺める自分は、人間なのだろうか。
 血に塗れて罪に汚れて、それでも殺す事を止められなかった。いや、止めるつもりなどないのだ。だからこそ悪鬼羅刹のように刃を振るう事が出来る。死神のように命を狩り取る事が出来る。そうする事が、まるで自分の役目だと言うように。
「皮肉なもんじゃねえか。守るために振るっていたはずが、いつの間にか娘に守られているなんて。なあ、そう思わねえか」
 隣に立つ着流し姿の男は呟くように告げる。視線の先にあるものは、無邪気な笑顔で駆け回る一人の少女――自分の娘だ。橋の上で知り合いの少女に笑顔を振り撒いている。愛らしく、尊く、それでいて無垢。この手で包めば壊してしまいそうなほどだ。
「……何が言いたい?」
「何、ただの世間話さ。どれほど罪に塗れようと、血で汚れようと、娘だけは守れると思っていやがるてめえが、可愛くてたまらねえって話だ」
「殺し合いならいつでも買うが」
「冗談じゃねえ。誰が人斬りとやるか」
「命は惜しいもんでね」と男は肩をすくめて軽く両手を広げ、呆れたような目を見せた。その発言こそ冗談だろうにと思いつつも言葉を喉の奥へ押し込める。
「奪えば奪われる。てめえに恨みを持つ人間は多いだろうよ」
「報復でもされると? ならば安心するがいい。我が負ける事はない。あの子に、指一本触れさせる事はない。どこぞの馬の骨が触れた途端、うっかり手が滑って相手の腕が吹っ飛ぶ可能性は一〇〇パーセントだが」
「はは、嫁に行く時は大変だな。てめえみたいな人斬りを相手にしなければならねえんだからよ。そんなに大切ならしっかり守ってろ。たとえ、血は繋がらずともてめえの大事な娘なんだろうが」
 言われずともそのつもりだ。男は喉を鳴らして小さく笑えば「羨ましい限りだな」と何処か小馬鹿にするように言葉を紡ぐ。
「ならばぬしは守るものは何もないと?」
 男は一言「ねえよ」と即答し否定する。相変わらず底の見えない男だ。
「守るものがあるから弱くなる。てめえのようにな」
「……いいや、知らないだけだ。ぬしは――」
「娘のために何かを守るのも結構。だが、忘れんじゃねえぞ。何かを持てば、止まらざるを得なくなる。てめえは娘のために、何処かで足を止めなきゃならなくなる」
「逆だ」
 間を空けず隣の男を見据え睨みつける。男は整った顔に仮面のような表情を漂わせていた。その顔の意味はわからない、理解したくもなかった。
「我もぬしも、守るものがあるから止まれないのだ。そうじゃないのか」
「世迷い言が上手くなったじゃねえか。だが、俺はてめえとは違うさ。持つのはこの刀一振で結構。ただ進むだけだ」
 踵を返し、男は背を向けて歩き出す。その後ろ姿はまるで鬼のようだった。鬼を背負い、血に塗れ――誰よりも悪鬼羅刹に憑かれている。けれど、その姿には見覚えがある。
 そう、言うならば――孤独。
 茨の道を歩む、一人の鬼に過ぎなかった。
「この残響が鳴り止むまでな」


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