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しゃしん作家としての仕事

なかなか安定した仕事ではない。私がこの仕事だけで生きていこうとしたきっかけを書いてみようと思う。20代後半には自力で一眼レフを買い、もちろんその頃はフィルム時代。しかし、子供を一人で育てるのに仕事としては選択できなかったゾーンだった。ただ、多くの体験した仕事は全て自分の学びと財産になっているのは確かだ。

その頃、賞とかも興味なかったが、写真屋さんが勝手に応募してくれたものが フジの金賞に選ばれたのは覚えている。ネガがどこかにあるだろう。。そんな意識は低かった。

しゃしん作家として選択をしたのは、子供からお金がかからなくなって自分一人で生きのびるだけで良くなったから、もう好きなこと、ワクワクすること、人が喜んでくれることをしようと思ったのだ。個人事業主でやるにはそれなりの理由があった。初めの頃は企業の写真講師などもしていたが、それもやめた。初めの頃であったお客さんとの出会いがヒントだった。

お年寄りや、体が動かせない人が もう一度あの旅した桜を見たい。。。

その作品が欲しい。。。そんなことを言われたら、うん。。やるよ。。。

って言ってしまう自分がいた。そのために遠くまで桜が咲いたら現地まで撮りに行ったり。家族との日常を残したいの。。と言われたらそれを撮り。

自分の一年ごとの歴史を残したいのと言われたら、毎年撮影させていただき。

私の空気感で作品を撮影して欲しいと言われたら、そこまでいき撮り。

必ず、撮るものとの間には 人が関係しているのだ。それもオリジナルのその人がして欲しいと思うことをちゃんと聞いて作り上げていく。

こういう仕事は どこかの写真の企業に属するとなかなかできないものだ。

人が自分でできないことを、お互いの知恵で作り上げる仕事。私が大金持ちだったら 無報酬でやるだろうがそれはできない身分で。代価として金銭をいただく。生活もあり、何より機材は高額すぎる。。。自分が動けるうちにこの役割を続けるためには、大事なことだ。

よく何を撮られますか?と出会う人には聞かれる。。。しかし、この質問には答え難いのだ。今書いたことを読んでいただけると 人も撮る、景色も撮る、花も撮る、雪もとる。。。マクロの世界も。。。

こんな写真家が世の中にいてもいいのではないか? と思っている

写真といえど、初めからストーリーは全部作り上げるので出来上がりは楽しい。だから私はデーターだけで人に写真を仕事で渡すことはない。プリントしてやっと 作品の息吹が吹き込まれる気がするのだ。ちょっと頑固かもしれないな。。。笑

人がいて 私の撮る作品はできる

今は多くやり残したことを、整理してまとめる時期だと思っている。それまでは生きてないとね。。。世界中を旅したものを残さないとね。

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普段はカラーで撮ってきたが、あえてモノクロでしか撮れないカメラを相棒にした。ものすごい勇気が入ったが、そのおかげで何を表現したいのか?シンプルに我が心に落ちてくるようになった。その時の空気感、風、光、形、表情。。。モノクロのシンプルさの中にだけ 見る側も想いを膨らませるものもある。我が体がきついときは、このカメラだけで身軽に動くようにした。

ただ、カラーも好きだ。どうしてもこの色を見せたいって時にカラーのカメラは必要だ。

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今の時代iPhoneやAndroidでも素晴らしいものが撮れる時代だ。あえて一眼レフを買う必要はない。重いと結局使わなくなるのがオチなのだ。この仕事で大好きな自分ですら重い機材をずっと持ってると、いざ撮影の時に集中力が切れてしまう。だから私の写真教室 お外で歩きながらやるのは iPhoneでの参加もokなのだ。

しかし、振り返ると多くのお客さんと関わってきたな。それぞれみなさん 同じ要望はないところが、今思うと わくわくなのだ。

さあ、しゃしん作家としての道は まだまだ体が動いて 寝たきりでもベットでシャッター切れたらやっていくよ。お客さんって人がありきって ってことを忘れてはいけない。

そして自分の想像を越すアイデアを要求してくれるお客さんに感謝だ。hakuという人生を共に作っていってくれてるからだ。

ここに感謝を書いておこう

ありがとう。。。。そしてこれからもよろしく

−30度の船の上だって乗るよ。。。笑 逆に40度の炎天下の下でも撮るよ。  笑

ちょっと命懸けだけど。。。。


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