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『女帝 小池百合子』を読んで

挽き肉の腐ったにおいを嗅いだことはあるだろうか。あれは実に、くさい。読んでいる間、何度となく私は腐った挽き肉を口に突っ込まれるような思いになって、手を止めた。

小池百合子というひとに格別の興味もなかったのだが、石井妙子さんの新作というそれだけの理由で読んだ。石井さんは素晴らしいノンフィクション作家で、上羽秀の人生を描いた『おそめ』、そして『原節子の真実』には魅了された。ルポタージュを読む楽しさと興奮を存分に味わった。彼女が題材とするからにはそれなりの理由があるのだろう、と。

実際、『女帝 小池百合子』も石井さんならではのドラマティックで鮮やかな筆致と構成、圧巻の取材力で読むものを飽きさせない。読んでいるうちに小池氏の声や表情が再現されてくるようで、映画を見ているような気持ちにたびたびなった。描かれる人間ドラマは濃密この上なく、彼女に関わった人々の後悔や怨嗟が音を立てて迫ってくるようだったが、どうにも空疎で空虚で読むのが億劫になる箇所がいくつかあった。それらはすべて、小池氏が自身の政治ビジョンを語っている部分なのだった。

こわい本である。
負の連鎖というのか……ひとつの嘘が膨らみ続けるような話、どこかで読んだことあるでしょう。しまいには嘘をついていることも分からなくなってしまう。嘘がなんだと開き直る。自尊心と虚栄心が強くて、ガッツもあり、精神的にタフそのもの。運がものすごく強くて、異様な上昇志向。そういうひとの、嘘。後戻りはできない。「身の丈を知る」なんて、とんでもない。私がつく嘘は嘘じゃない、必要なこと、私なら許される。それに、騙されるほうが悪い。もし信じたのならばそれはそのひとにとっては真実よ……!

そんなことは一行も書かれていないが、私は読んでいるうち、「あの声」でそう囁かれているように思えてならなくなってきた。ときに腐臭を感じ、ときに渋抜きをしてない栗を無理やり噛ませられているような気持ちにも。テネシー・ウィリアムズが描く女性人物のような。いや、いくぶんの松本清張テイストもあり、有吉佐和子ならどう作劇するだろうか、とも思ったり。

カイロ大学主席卒業疑惑、語学能力の捏造、環境大臣時代のアスベストや水俣病当事者への冷淡極まりない対応、築地豊洲問題での不誠実さなどなど、これでもかと並ぶ百合子トピック。

一貫して思うのは彼女の「意思の不在さ」である。すべてを成功のための「道具」として生きるその姿。義理や情、恩などという言葉はその辞書にはない。だがなりふり構わず、恨みを買ってまで地位を得て、彼女は何がしたいのか? そこがさっぱり見えてこない。

池坊保子氏の「小池さんには別に政治家として、やりたいことはなくて、ただ政治家がやりたいんだと思う」という証言が印象的(208ページ)。そう、そうなのだ。成功したい、有名になりたいという気持ちは多くの人が持つ気持ちだろうが、その先に何をしたいのか。分からない。

有名になって、地位を得て、何をするのか? そういうビジョンや理念がないのに成功したってしょうがないではないか。成功したその先には? そして何をもって成功と感じているのか。一切そういうものが見えてこない。そして人間、金と地位と共に「人からの尊敬」を欲するものではないのか。そういう気持ちが全くもって無さそうな姿が、たまらなく不気味なのである。

ただ総理になりたい、歴史に名を残したい、という思いだけなのだろうか。小池氏に限らず、私は最近の政治家を見ていて「ああ、このひとは『私は選ばれる人間なのだ』ということを体験したい、証明したいだけなんだろうな」と思うことが少なからずある。権力欲というのもちょっと違う……非常に浅い意識。小池氏には「野心と空虚の不思議な同在」を感じる。あまりにも、あまりにも、うつろな。石井さんは彼女の両親とその育ちに遠因があると見ているようだが、そこはぜひ本作を読んでみてほしい。

石井さんはあとがきに「ノンフィクション作家は、常に二つの罪を背負うという。ひとつは書くことの罪である。もうひとつは書かぬことの罪である。後者の罪をより重く考え、私は本書を執筆した」と記されている。

ともかく、来月は都知事選挙だ。私は都民じゃないけれど、よりよい政治がなされることを祈る。有名だから、知ってるから、テレビによく出てるから、なんて理由でもうリーダーを選んじゃ、いけないよね。「だって、他にいる?」という理由で総理や都知事が選ばれるのは、もうごめんだ。

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