夏至と夕暮れと父の思い出
夏至の、陽も傾いた頃、急に海に行きたくなって車を出しました。海が近づくと潮風の匂いが車内に入ってきます。窓を開けて夕暮れの涼しさを楽しむ。
遠目に見ているとき、5人組のバンドかなと思っていました。
後ろを見ると月。
だだっ広い砂浜には皆が思い思いに夕陽に向かっていました。
多くの人はカメラや携帯電話を夕陽に向けておりました。私も何枚かブロニカで夕陽を撮って、思ったように映っているといいなとファインダを閉じました。
いろんな人のやわらかな足跡をたどって、また帰っていきました。
陽もすっかり沈んだ暗い河川敷を走っていると、開けた窓の向こうから夜の湿った匂いと草の青い匂い、虫の鳴き声が入り混じってひどく記憶と感情のガワのようなものが揺さぶられたのでした。
小さいころ(まだ小学校に上がっていない頃だと思います)、よく父の仕事に連れていかれて軽トラックの助手席に座っていましたが、ある時客先からの帰りが遅くなってあたりは真っ暗、そして舗装はされているものの山道を走っていた記憶があります。家からひどく離れた場所に連れていかれ、帰れるのかわからないような不安に襲われた私はとても心細くなり、落ち着かなかったことを覚えています。
この夕暮れの匂いと風のひんやりとした湿気、虫の声はそのときの記憶に強く結びついています。
このとき「私はこのまま帰れないのではないか」と思っていて、それでいてここで駄々をこねて降りてもどうしようもないことは理解していたようでした。ただ乗っているしかない、強い焦燥感。
当時は携帯電話などない時代ですから、途中の公衆電話から父が家に遅くなることを電話していたのは覚えています。そこから自宅についたときの記憶はないので、疲れて寝てしまったのかもしれません。
さほど遠いところではなかったんじゃないかと思います。きっと県境あたりで、1時間程度で帰り着いたのではないか。しかし当時の私にとってなにも手元に夢中になれるものもなく、ただ暗闇を揺られていくだけの時間は、30分でさえも無限の時間のように思われたのでした。
この一見ネガティブな思い出は、今の私にとっては強いマイナスのイメージが和らぎ、ただ時間と空間と父とのエピソードとなって、一篇の詩のように頭の抽斗に収納されています。その経験がなかったならば、私はこの夕暮れの河川敷を走っていてもひとつの情感を取りこぼしていたように思えるのです。
そういった理由から、私はネガティブな思い出たちに対し、その多くを捨て去りたいとは思っていません。自分が耐えきれないほどの心傷は忘れた方がいいでしょうし、私も一部は蓋をしていますが。不思議と、いま生きているのだという感覚を味わえるのが、こういうひと時なのでした。