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とんでもねえこととなんでもねえこと

 月日はとんでもねえ速さで過ぎ去っていく。しかし、悲しいかな、私の記憶が追い付かない。昨日食べた夕飯は高確率で思い出せないし、教科書は一度見ただけでは絶対覚えられない。

 本当は色々なことを記憶しておきたいし、アルバムのようにあとでこっそり見返したいのに。

 人は忘れる生き物である。忘れることにより、学んできた。いや、忘れるから、ノートに書きつけたり、目につくところに貼ったり、何度も口に出してきたのかもしれない。

 忘れることは人類の敵。でも、昨日の敵は今日の友、忘れることが救いになることがある。

 本日の朝は穏やかだ。テレビを消したので、部屋の中はエアコンとキーボードの音しか聞こえない。必要最低限の音を響かせて、音というのはその人が生きている証だと思う。あとしばらくすれば、色々な音が私を取り囲んで、そこでようやく私は他人の生を感じられる。生きるとは何か。副業や兼業、部活と学業、家族と仕事、私と恋人、私たちは色々なものと両立して(しなければ)生きていけないのに、どうして生と死は両立出来ないのか。まるで「おやつは1つまでね」と言われているよう。何かを選ぶことは何かを捨てること。選んだあとは、拾いに行ってはいけない。でないと、公平じゃないから。この世で生と死を両立している人なんていないから。みんなどちらか一つを選んで、そうか、今ここにいる人は、本日「生」を選んだ人たちなんだな。生きるというのは、選び続けることなのかもしれない。

と、思った風でした。

おしまい。

*この記事は2年前に途中まで書いて保存してあったものです。

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