見出し画像

【フィールドワーク】『たけくらべ』の街の祭りに参加してきました

『たけくらべ』と言えば、樋口一葉の代表作です。

廻れば大門(おおもん)の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火(ともしび)うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行きゝに はかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前へと名は仏くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋さまの角をまがりてより これぞと見ゆる大厦(いへ)もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長屋、商ひはかつふつ利かぬ所とて 半さしたる雨戸の外に、あやしき形(なり)に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田樂みるやう、裏にはりたる串のさまも をかし、一軒ならず二軒ならず、朝日に干して夕日に仕舞ふ手當ことごとしく、一家内これにかゝりて それは何ぞと問ふに、知らずや霜月酉の日 例の神社に欲深樣のかつぎ給ふ是れぞ熊手の下ごしらへといふ、正月門松とりすつるよりかゝりて、一年うち通しの夫れは誠の商賣人、片手わざにも夏より手足を色どりて、新年着はるぎの支度もこれをば當てぞかし、南無や大鳥大明神、買ふ人にさへ大福をあたへ給へば製造もとの我等萬倍の利益をと人ごとに言ふめれど、さりとは思ひのほかなるもの、このあたりに大長者のうわさも聞かざりき、住む人の多くは廓者(くるわもの)にて良人は小格子の何とやら……

何が書いてあるのかさっぱりわからないけれど、読んでいるとぐんぐんと先へ進みたくなる調子(ノリ)の良い文章です。同じような土地で書かれた池波正太郎の、一文が短くて歯切れの良い文章も好きなのですが、樋口一葉の『たけくらべ』も名文だなぁと感じてしまいます。

太字にした場所は、どこも数回から数十回は前を通り過ぎたり、境内の中に入ったことのある場所ばかり。樋口一葉記念館が近くにあるのは知っていましたし、なんなら選挙で投票所として指定されているのが樋口一葉記念館というのも、同じ千束稲荷の氏子だからなのかもしれません。と言いつつ、わたしは毎回の選挙では、池波正太郎記念館へ期日前投票をしに行くのと似ていますが、毎年のお祭りは、千束稲荷ではなく隣の小野照崎神社へ行っています。というのも引っ越してからの20年、千束稲荷のお祭りの5月の第4土曜・日曜日は、仕事が思いっきり忙しい時期で、自宅を不在にしていることも珍しくなかったからです。

そんな千束稲荷のお祭りに、昨年と今年は参加させていただきました。徒歩2-3分のところにある神酒所(みきしょ)に、借りておいた町会の法被(はっぴ)を着て、18:00だったかに家族と出かけました。

渡御するルートやら、担ぐ棒の位置を確認したあとに、木遣(きやり)を聞きつつ「おいさぁ〜!」という威勢の良い掛け声とともに神輿が担ぎ上げられます。そこまで30分くらいかかったでしょうか。ちなみに神輿を担ぐ際の掛け声と言えば「ワッショイ! ワッショイ!」と書くのが定番で、たしか『たけくらべ』にも、そんなような掛け声が書いてありましたが、このあたりだと「ワッショイ!」の掛け声で神輿を担ぐのは子供神輿だけ…あと、深川の富岡八幡宮の神輿もですが…ここらへんでは…言葉にするのは難しいのですが「えっさ…ほいやさ」とか「ヤァ! ホィ!」みたいな…まぁテキトーな感じです。

神酒所(みきしょ)を出た神輿は、吉原からの送迎車が通り抜ける一方通行の狭い道を少し入って、今は浅草から続く大通りである、国際通りを目指して練り歩きます。国際通りに出ると、通りの向こうには「霜月酉の日例の神社」である大鳥大明神…鷲神社が見えるのですが、今回は町会神輿なので、その通りは渡らずに三ノ輪方面へ北上します。曲がってすぐの左側には真宗佛光寺派の光照山の西徳寺があり、わたしはここが『たけくらべ』の主人公、美登利の幼馴染、藤本信如の実家である龍華寺のモデルだと思っているのですが、一般的にはさらに先へ進んだ大音寺がモデルだということになっています。ちなみにどちらも境内がググッと小さくなったとはいえ江戸期から同じ場所にあるお寺です。西徳寺さんは、何代かの中村勘三郎さんのお墓があるので、足を踏み入れにくい由緒正しすぎるお寺なのかと思いきや、かなりフレンドリーなお寺さんで、色んなイベントを行っている…この辺りでは当たり前ですが…無料で境内に入れるお寺です。

神輿は、その門前で少し休憩した後に、さらに国際通り沿いを北へ向かっていきます。そして先述した大音寺の前を通り過ぎるのですが、こちらのお寺は、気のせいかもしれませんが、いつ目の前を通っても鉄扉が緩く閉ざされています。廃寺なのかな? と思うほどひっそりどんよりとしていて…と書くと失礼ですが…最近本堂の外壁を塗り直して少し明るくなりました。そしてこちらの大音寺が、『たけくらべ』の藤本信如の実家である龍華寺のモデルと言われています。その寺をほんの少し過ぎたところが『たけくらべ』で「大音寺前」と記されている場所…エリア…です。今は「大音寺前」とはおそらく呼ばれておらず「竜泉の交差点」です。国際通りを渡れば、そこには樋口一葉の旧宅跡があり、その少し先を折れれば樋口一葉記念館、折れずにまっすぐに進めば「廻れば大門(おおもん)の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火(ともしび)うつる三階の騷ぎも手に取る如く」のような……もちろん今は「お歯ぐろ溝」はありませんが……そんな場所です。今は樋口一葉さんが住んでいた頃とは異なる種類の車ですが「明けくれなしの車の行きゝ」は同じで、ブンブンとタクシーや黒いアルファードが行き交っているので、歩行者や自転車はもちろん、車で通る時にも注意が必要です。と、話を神輿に戻すと、この竜泉の交差点で竜泉の西部と南部と北部だったかな…の各町会の神輿が“偶然にも"出くわして、国際通りを(おそらく勝手に)一時封鎖して、ご挨拶していました。

写真の向こう側が樋口一葉の旧宅跡がある場所です。「速やかにどきなさい!」とパトカーに怒られて散会します。さらに北上すれば千束稲荷なのですが、我らが神輿は『たけくらべ』でいうところの「大音寺通り」を「三島社(三島神社)」方面へ向かいます。この道をまっつぐに行けば三島神社もですが、そのすぐそばには酒井抱一のアトリエ兼住居跡があります(さらに進めば西日暮里です)。とはいえ神輿はそこまで進みませんが、大渋滞を巻き起こしつつ、エイホッ! エイホッ!ソイヤっ! ソイヤッ! とジリジリと進んでいきます。そしてわたしの通っていた歯医者の前を通り過ぎて、小さな交差点を渡ったら、細い道を入って南下……したところで休憩です。ここまで来ると……まぁだいたいこのあたりの神輿の担ぎ手は、住人が3分の1くらいで、ほかは別の地域から応援で来てくれている人で、ようは、わたしの知らない人たちばかりなのですが……なんとなく会話が生まれてきたりします。

そのあとも少し道をくねくね曲がるものの、やっぱりジリジリと進んでいき、そろそろ疲れてしまう人も多いので わたしも本格的に担ぎ始めて、神酒所まで行ったら終わりです。そして路地端に敷いたブルーシートの上にみんなで座って宴会が始まります。

そして一夜が明け……今度は子ども神輿が練り歩きます。実は…というほどでもありませんが、こちらの参加者はすごく多いんです。子供もですが、引率の大人も多いですからね。息子も町会から借りた子供用の法被を着て、神輿を担いでいました。わたしも息子も神輿を担ぐようなキャラではないのですが…妻が大好きで…子供神輿は息子の仲間も多く参加しているので、みなテンションマックスで担いでいました。

ということで、近所の神社の祭りは、区内で知っているところだと、あとは河童橋近くの矢先稲荷神社や、鶯谷あたりの元三島神社、大きなものだと浅草橋あたりの鳥越神社もありますが、あとは見物客としての祭りという感じです。次はもう朝顔祭りがきて、町会ごとの夏祭りや盆踊り大会があって……一年って本当にあっという間に過ぎていきますね。

来年の千束稲荷の祭りには、『たけくらべ』をしっかりと読んでから臨みたいと思っています。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?