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光琳・応挙・若冲が展示されています!@東京国立博物館
東京国立博物館には、ゴイスーな作品が多いうえに、毎週どこかで展示替えがあるため、「どこが見どころなの?」と聞かれると、とても困ります(聞かれたことないので、困ったこともありませんけどね…)。
そんな中で、2023年1月24日現在に見られる江戸期の絵師……スター軍団による絵画を紹介していきましょう。(といって書き始めたのですが、狩野探幽さんのは、もう展示されていませんでした……)
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図中の「狩野探幽」は既に終わっていました。現在は「尾形光琳」作が展示中です
■江戸狩野派の代表的絵師・狩野探幽
狩野探幽といえば、ある美術の専門家は「桃山様式を引き継ぎながら、新たな様式を確立していった」と言ったことを記していました。その中で、桃山様式が色濃く出ているのが、二条城の二の丸御殿障壁画だといい、桃山様式との決別と新しさを示したのが、名古屋城の襖絵だと言います。
※せっかく書いたので残しましたが、2023年1月25日現在は展示されていません。
二条城の障壁画については、画像が見つけられませんでしたが、名古屋城の障壁画については、下の絵になります。
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そして、2023年1月24日現在、東京国立博物館に展示されているのが、下の『山水図屏風』です
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解説パネルには「広く余白を取った画面に、ところどころ濃く墨が引かれ、山水のそれぞれのモチーフが強調されています。墨色の微妙な諧調で濃淡をあらわし、簡潔で柔軟な筆墨と透明感を帯びた理知的な画面構成は、探幽が創出した江戸狩野派様式とよばれるものの典型です。」と記しています。
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狩野探幽は、雪舟の絵をよく学んでいるというのは間違いないようです。この絵も、屏風の手前から奥へ、また高くへと続く道のりが描かれているところなど「雪舟っぽいな……わかるよ、探幽さん」なんてツーぶって、つぶやきたくなります。
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■琳派を確立させたといわれる尾形光琳の『竹梅図屏風』
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吉祥のモチーフである「松竹梅」のうち、竹と梅のみを描いた屏風。光琳は梅を好み、五弁の花を円く描いた梅の図様は、光琳梅とも称され流行しました。この屏風では、金地に墨のみで大胆かつ簡潔に竹林を描き、そこに屈曲する古木の梅を可憐に咲かせています。
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■繊細な線が魅力の円山応挙の『梅図襖』
現在トーハクの7室(屏風や障子絵などの部屋)には、円山応挙の襖絵が展示されています。
で、これがどこの襖だったのかと言えば、もともとは尾張国(愛知県西部)の明眼院にあった客殿です。そして今現在、その客殿は、トーハクの庭園に移築されていて「応挙館」と呼ばれています。
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岩陰から太い幹を生やし、左端まで伸びる梅樹。その梅樹に囲まれた空間にいるような心持ちとなるよう計算されて描かれた作品です。
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上の『梅図襖』と同じように、かつての明眼院の客殿…現在の応挙館に描かれたのが、下の『朝顔狗子図杉戸』です。こちらも昨年(2022年)の夏に、同じくトーハク7室に展示されていました。
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応挙館と『朝顔狗子図杉戸』については、以前noteしておいたので、よろしければそちらもご覧ください。
■今も女性からの人気が絶えない伊藤若冲
伊藤若冲の玄圃瑶華を見ていたら、当たり前なのですが、自然の美しさを絵に再現しようと格闘していた伊藤若冲の姿が思い浮かびました。まだだ…まだまだそのあたりの空き地の美しさにすら追いつけていない……そんな焦りというか、想いがあったのではないかなと。
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解説パネルには『玄圃瑶華』の意味を『玄圃は仙人の居どころ、「瑶華」は玉のように美しい花の意味』と記しています。
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わたしのように最近、美術なるものを見るようになりました……みたいな人が「伊藤若冲」と聞くと、「あぁ〜あの伊藤若冲さんねぇ」と、物知り顔につぶやきたくなるんですが、この『玄圃瑶華』を見た時には……
「え? 伊藤若冲の作品はどこにあるの?」
なんて思ってしまいます。
改めて解説パネルの続きを読むと……「拓本のように紙の表側から墨を打って形を出す、若冲が得意とした版画技法で、草花と虫、野菜などが描かれる」と記してあります。
しかも伊藤若冲自身が彫ったものだと言います。
「得意とした」というくらいなので、ほかにも拓版画の作品が残っています。例えば、相国寺の禅僧大典顕常との淀川下りを叙した『|乗興舟《じょうきょうしゅう》』や『素絢石冊』、『賞春芳帖』などです。
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1枚の作品は、色紙よりも一回り大きいくらいのサイズです。それが10枚弱くらい並んでいたでしょうか。一作品につき、植物と昆虫がセットで描かれていますが、わたしは昆虫にフィーチャーして撮っていきました。
全体像を見たい方は、コチラをどうぞ。もしくはトーハクのこちらを。
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『玄圃瑶華』は、若冲53歳の時の作品。
のちに江戸琳派の祖とも言われる酒井抱一は、この『玄圃瑶華』のいくつかを、自身の絵に採り入れます。その作品は現在、静嘉堂文庫が隠し持っている『絵手鑑』で観られます(昨年末の企画展『響きあう名宝 ―曜変・琳派のかがやき―』で展示されていました)。
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『玄圃瑤華』とは全く関係ないのですが、目白の椿山荘の庭園には、伊藤若冲の五百羅漢のいくつかが残されているそうです。今度、機会を作って行ってみたいと思います。
■雪舟の師……つまりは、その後の日本絵画の祖となった周文
前回のブログで紹介したばかりですが、2023年2月12日まで展示されているのが、周文の作と伝えられている『四季山水図屏風』です。
水墨画と言えば雪舟が有名ですが、その雪舟が「我が師は二人だけだった」と晩年に記していたうちの一人が周文です。そして雪舟を、今現在まで続く高評価の一端を担ったのが、狩野探幽をはじめとする狩野派だと言われています。同派が雪舟を好み、雪舟の作品を蒐集し、真似て描き、そして神格化したといいます。
ただし、そんな周文が確実に描いたと言える絵は、現代に残っていません。あるのは、周文の作品と伝えられている絵だけ。その1つが、トーハク所蔵の『四季山水図屏風』です。
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