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トーハクで、今年新たに指定される国宝と重要文化財の、お披露目会が開催中です。

先日……『トーハクの4月の常設展の充実っぷりが半端ないです!』というnoteで、その豪華なラインナップを記しました。ただし……4月の東京国立博物館(トーハク)の充実っぷりは、そんなものでは終わっていませんでした。

3月15日に、文化庁から「令和6年(2024)に新たに国宝・重要文化財に指定される美術工芸品等」が発表されましたが、そのほとんどが、今週から東京国立博物館(トーハク)でお披露目されています。特別企画「令和6年 新指定 国宝・重要文化財」の会期は、4月23日(火)~ 2024年5月12日(日)。毎年、意識して行かないと、知らない間に終わってしまっているので、なんとか今週中には見に行きたいと思います。

今年指定される予定なのは、国宝が6件で、重要文化財が36件。そのうち、今回トーハクに展示されているのは、シン国宝が4件と、シン重要文化財が31件です。見られないのは、皇居三の丸尚蔵館で展示中と先日まで展示されていたばかりの国宝2件と、屋外などに掛けられていて持ってくるのが難しそうな重文5件のみなので、ほとんどの作品がトーハクに集結していると言っていいでしょう。トーハク本館の2階にある特別1室特別2室、それに正面玄関を入って右側の仏像の部屋……11室を使って展開されています。※そもそも国宝は、国宝に指定される以前に重要文化財でもあるのですが、ここでは国宝と重要文化財とを別物のように記していきます。

当初は予習として、どんな品が見られるのかをnoteしておきたいと思い書き始めたのですが、書き終わる前に、今朝40分ほどだけ、ちゃちゃっと見てきてしまいました。基本、全てを見てきたのですが、特に心が動いたものについては、感想を追記していきました。


同特集を見るのに、入場料以外の料金は不要ですし、年パスでも見られます。ただし、通常とは異なり、該当展示は全て撮影禁止です。以下の画像は、特に記載がなければ「文化庁のプレスリリース」より転載したものです。

◉【京都の大報恩寺】定慶じょうけいの観音菩薩像ほか7躯

運慶と快慶の系譜である「慶派」の仏師、定慶じょうけいを統率者として、6人の仏師によって作られたと思われる、6躯の六観音菩薩像が新たに国宝に指定されました。像内に記された銘や納入品から、鎌倉時代の1224年に制作されたことが分かっています。

大報恩寺の六観音像
画像:文化財デジタルコンテンツ

文化庁の資料には「運慶次世代の中で最も注目されている定慶の代表作」とあり、この時代における「檀像彫刻の代表的遺品」でもあるそうです。六観音菩薩像のメンバー構成は「聖・千手・馬頭・十一面・准胝・如意輪」。この六観音像は、平安~鎌倉時代に盛んに作られたものの、6躯すべてが揃って残っている例は、この大報恩寺の六観音像だけ……というようなことが記されています(「六観音像の彫像の唯一の完存例」)。※ただし、そんなことはありません。

トーハクに展示されている《(六観音像のうちの)准胝菩薩像》大報恩寺蔵
画像:文化財デジタルコンテンツ

そのほか《六観音像》とともに伝来した《地蔵菩薩像》も、一緒に国宝に指定されます。「(六観音像と地蔵菩薩像は)髪際で測る像高がほぼ同じで作風と台座形式が共通することから一具として造られたとみられる」そうです。

今回トーハクに展示されるのは、これら7躯の《六観音像》と《地蔵菩薩像》のうち、《准胝観音立像》と《地蔵菩薩立像》です。

《地蔵菩薩立像》大報恩寺蔵 画像:文化財デジタルコンテンツ

ちなみにWikipediaで調べると、定慶は「その活動が興福寺内に限定されていることから、興福寺専属の仏師だったと想像される」としています。文化庁のプレスリリースにも「《六観音像》とともに伝来した《地蔵菩薩像》」と記されていることから、もしかすると興福寺から大報恩寺に伝来した……ということなのかもしれません。

<参考資料>
https://www.bijutsushi.jp/c-zenkokutaikai/pdf-files/2019-5-resume/jahs2019_5.17_1_3_mori.pdf

◉国宝《金峯山経塚出土紺紙金字経》平安時代・10~11世紀奈良・金峯神社

藤原道長が長徳4年(998)に、法華経などの10巻を書写して、奈良県・山上ヶ岳山頂の大峯山寺の本堂周辺に作られた経塚きょうづかに収めたものが見られます。道長は966年生まれなので、32歳前後の時ですね。

大河ドラマ『光る君へ』では、あまり書が得意ではなさそうですけれど、この『観普賢経巻末』を見る限りでは、現代人の基準では、ものすごく上手なのではないかと思います。

ちなみに写真の部分を含む法華経など15巻を書いたのは、前述のとおり長徳4年(998)。さらに残る5巻を寛弘4年(1007)に書いて、同年に《国宝 金銅藤原道長経筒》に入れて、経塚に埋納したそうです。

↑ 見てきました! 上の写真とは異なる部分……阿弥陀経……とかって書いてあった気がしますが「これが藤原道長が書いたのかぁ」と、やはり感慨深いものを感じました。あの歴史上の超有名人の、しかも1,000年も昔の人が、この紙の前に座って、自分の手を動かしてしたためたものが、目の前で見られるって、すごいことですよね。

さらに藤原道長のひ孫にあたる藤原師通(1062~99)は、寛治2年(1088)に金峯山に詣でて自筆の法華経等12巻を埋経しました。

《金峯山経塚出土紺紙金字経》の中でも、上述した道長が記したものを、俗に『道長願経』と呼ぶ、ひ孫にあたる藤原師通が著したものを『師通願経』と呼ぶこともあるようです。今回、揃って国宝に指定されますし、それぞれの一部がトーハクに展示されています。

ちなみに現在は、金峯神社が所蔵しています。おそらく藤原道長らが詣でた頃には、寺っぽさが濃かったのでしょうけど、明治初期の神仏分離=廃仏毀釈で、無理やり寺と神社が引き剥がされて、神社ということになったのでしょう。

◉国宝 三重県宝塚一号墳出土埴輪 古墳時代・5世紀 三重・松阪市文化財センター

「宝塚一号墳」という名称から兵庫県の宝塚かと思ったら、こちらは三重県の松阪市とのこと。「宝塚」ですから、まさに宝の墓だったんですね。こちらの1号墳は墳丘全長が111mの前方後円墳。古墳時代中期前葉に作られたそうですが、その古墳時代中期前葉って……いつ頃なんでしょうね。

平成11年の発掘調査で、主に船・囲・家などの多数の形象埴輪が出土しました。上の写真にある埴輪の船は、全長が140cmで高さが94cmもあるそうです。トーハクにある舟形の埴輪は100cm前後あるかないかと言ったところなので、実物を見たら「でけぇ〜!」ってなるんじゃないかと楽しみです。

とはいえ、今回は多く出土した中の一部の展示なので、そもそも船の埴輪が展示されているのか……展示されていて欲しい! ですね。

↑ 「ドドーン!」という感じで展示されていました。少しだけ「でけぇ〜!」ってなりました。

下記Google Mapには、色んな人が撮った現地の古墳の様子が見られます。複製した埴輪が多数設置されているようで、とてもフォトジェニックな写真も少なくないので、見ていて楽しいです。

◉国宝《和漢朗詠集》 皇居三の丸尚蔵館(トーハクには展示されません)

以上が国宝です。その他に今年は、《和漢朗詠集》の完本最古の違例が国宝に指定されています。こちらは現在、皇居の三の丸尚蔵館が所蔵。先日、少しnoteしておいたので、興味があればご覧ください。↓

以下、新たに重要文化財に指定された遺品を紹介していこうと思いますが……なにせトーハクで展示されるものだけでも30点/件以上にのぼるので、わたしが見たいなと思ったものを中心にnoteしていきます。

◎重要文化財 日吉山王・祇園祭礼図 土佐光茂筆 室町時代・16世紀 東京・サントリー美術館

六本木のサントリー美術館が所蔵する、土佐光茂筆の《日吉山王・祇園祭礼図》は重要文化財に指定されました。

土佐光茂筆の《日吉山王・祇園祭礼図》サントリー美術館蔵

右隻に日吉社ひえしゃの山王祭が、左隻に祇園会ぎおんえ……祇園祭?が描かれています。文化庁のプレスリリースには「祭礼の具体を詳細に伝えつつ、人々の熱狂をも巧みに描き出」しているとのこと。こういう群像図は大好物なので、トーハクで見られるのが嬉しいです。

描かれている様式から、土佐光茂の工房で制作されたのだろうと推測されているそうです。土佐光茂は、室町時代後期の絵師。2つの祭礼を描いた屏風としては最古例であり、初期風俗画につながる祭礼図屏風の古例として重要なものということで、重要文化財に指定されました。

大きさは左右隻、各縦 122.4cm×横297.0cm。大きそうですね。左右隻とも展示されていると良いのですが……どちらかだけでも見てみたいです。

↑ 左右隻とも見られました。「こんなに鮮やかに良い状態で残っているのか!」と、かなり驚きましたし、これは一度は見ておきたいです。

◎《遊行上人絵伝》南北朝時代・14世紀・京都・金蓮寺

文化財の名前としては《紙本著色遊行上人絵伝(20巻)》となっていますが、時宗の開祖である一遍さん(1239~89)と、その弟子の真教さん(1237~1319)の行状を描いたものです。

遊行上人絵伝は、14世紀の初頭に原本が成立したそうです。その原本は現存していませんが、原本をもとに描かれた派生本が、この金蓮寺の絵伝であり、東京国立博物館にも法眼円伊が著したという《国宝 一遍聖絵》などがあります。

文化庁のプレスリリースには、なかでも「本作は、細緻な描写や画面構成の堅実さが現存作例中でひときわ優れる」だけでなく、「原本の絵画様式をよく伝え、おおむね首尾完結している点で貴重な作」だと、高く評価しています。まぁ高く評価しているからこそ重要文化財に指定されるわけです。

個人的に残念なのは、京都国立博物館に寄託されていること。今回はトーハクに来るので、しっかりと見ておきたいです。

↑ しっかりと見てきました。《遊行上人絵伝》もまた「こんなに描線がピシッと、さらに鮮やかに残っているのか!!」と驚きました。上の写真と同じ、長野の善光寺に行って踊り念仏を披露しているシーンが見られます。

◎《五百羅漢図》1幅・朝鮮・高麗時代・14世紀京都・京都 知恩院

写真を見ただけでは画像が粗すぎて、なにが描かれているのか判然としませんが、文化庁のプレスリリースによれば「山岳景観の中央に釈迦三尊、その周囲に二天王、十大弟子、十六羅漢、五百羅漢等をあらわした1幅」だとしています。釈迦三尊以外は、二天王がうっすらと見えるくらいですが、なにか多くの人がうごめいている雰囲気は感じられます。

実物をガラスケース越しに見たとしても、どれだけ詳細が視認できるかわかりませんが、ちょっと見てみたい気がします。

↑ 見てきました! これは予想通りというか、まぁ写真よりは人がたくさん描かれている様子が視認できましたけれど、そんなに一人ひとりがクッキリと見られるわけではありませんでした。

プレスリリースには「絵画様式から朝鮮半島の作と判断される」ともしています。14世紀の高麗時代に描かれたものだろうと。

それにしてもこの一幅……京都の浄土宗の知恩院の所蔵品なのに、なぜわざわざ九州国立博物館に寄託されたんでしょうかね。

◎《銅造観音菩薩立像》飛鳥時代・7世紀奈良・法隆寺

え? 今さらの重文指定ですか? と不思議に感じるのが、この《観音菩薩立像りゅうぞう》。そもそも7世紀に作られた法隆寺の所蔵品で、重文に指定されていないものってあるんですね……。

こちらは「現在、玉虫厨子(国宝)に安置される観音菩薩像」だということです。「現在」というのが、いつからのことなのか分かりませんが、あの国宝の中でもかなりメジャーな《玉虫厨子》に安置されているんですよね……。なのに、やっと重文に指定されるなんて。

トーハクにある法隆寺宝物館にも、似たような観音菩薩立像りゅうぞうがたっくさん展示されていますが……探せばそっくりな仏像も見つけられそうな気がします。

↑ ちょこんと単独ケースに入れられて展示されていました。これも予想通りというか、法隆寺宝物館で見たことがあるんじゃないか? というような顔立ちでした。

◎《木造如来立像(法隆寺献納) N-193》

以下のnoteの2つ目の仏像として紹介した、飛鳥時代・7世紀の《木造如来立像 N-193》(法隆寺献納宝物)が、重要文化財に指定されることになりました。この飛鳥時代っぽい、柔和な顔立ちを見てもらいたいです。

↑ 見てきました! 先日までは、本館2階の(たしか)1室に、単独ケースに収められて展示されていました。そのときは、少し目線よりも高い位置に設置されていましたが、今回の展示ケースでは、ほぼ視線と同じ高さで、お顔をまじまじと見られます。そういう見え方の違いがあるため、今回も新鮮な気持ちで見られました。特に目というか、目元については、墨で書いてあるのかなぁ? という新たな印象を受けました。いずれにしても優しい顔立ちです。

◎千葉県殿塚古墳と姫塚古墳の埴輪たち

千葉県殿塚古墳と姫塚古墳の埴輪たち

↑ noteを書き終わる前に見てきました! 帽子をかぶったヒゲのオッサン埴輪も、けっこう3〜4体が展示されていて、ありがたいなぁと思いました。こんなのがゴロゴロと出土した千葉県芝山町には、いつか地元博物館へ行ってみたいと思いました……でも、あまり行かない地域なので難しいかもなぁ。

それにしても、今回は古墳時代の埴輪の展示も多かったのですが、これらの埴輪は、秋の埴輪展には招待されないんですかね? 来てほしいなぁ。

◎そのほか、快慶の仏像は絶品です!

三重県松阪市の安楽寺というお寺にある、阿弥陀如来と地蔵菩薩は、仏像ファンには見逃せないものだと思います。阿弥陀如来は快慶作で、地蔵菩薩は快慶作と推測されるもので、すごくキレイな顔立ちで、前に立ってしばらく見つめてしまいました。快慶作だと知ったから、すごいと感じたのか……それとも快慶作だと知らなくてもすごいと感じられたのか分かりませんが……おそらく知らなくても、写実性が高い……実際にこんな顔や耳の人はいないだろうけど、本当に現れそうなくらいのリアルなものでした。

そのほか、文化庁のプレスリリースには詳細が記されていませんでしたが、三内丸山遺跡から出土した土器やヒスイ製品など計1855点が重要文化財に追加で指定されます。それらが、前述した千葉県芝山町の埴輪群の隣にゴロゴロと展示されていました。へぇ〜、こんなに展示されるものかぁと思いましたね。多かった……というか印象に残ったのは、以前、複製を見たことのある《大型板状土偶》と似た感じの、ちょっと小型化したような板状土偶たちです。これは見られて良かったなと思いました。期間中に、もう一度見にいきたいと思います。

以上が、今年の特別企画「令和6年 新指定 国宝・重要文化財」のレポートです。記載に誤りなどがあるかもしれませんので、詳細については現地の解説パネルまたは、下記サイトなどを確認してください。


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