国宝の太刀あります @トーハク
東京国立博物館は、展示替えが毎週行なわれているのですが、最近サボり気味なこともあり、noteの更新が追いつきません……。
今回は、2023年5月26日現在に展示されていた刀剣を見ていきます。刀剣、それに甲冑もですが、本館の1階と2階とに分かれて展示されています。まず1階の「13室 刀剣」の部屋には、16口(振)くらいの太刀や刀が展示されています。その中で1口が国宝、6口が重要文化財、2口が重要美術品に指定されているという豪華さです。
■国宝です!《太刀 古備前正恒》
素晴らしいものだと、チラッと見れば分かる刀剣がズラリと並んでいる中で、だいたい国宝が置いてある場所は決まっています。とはいえ「国宝あります!」みたいな、目立った展示ではないのがニクいですね。
現在展示されている、平安時代•12世紀に作られた《太刀 古備前正恒》も、そんな一口。今は文化庁の所属となっているようで、昨年開催された特別展『国宝 東京国立博物館のすべて』には、展示されていませんでした。トーハクには、こうした預かり物の国宝も少なくありません。
美濃国の大垣藩主戸田家に伝来したものです。
正恒は古備前といわれる初期備前を代表する刀工の一人。
刀剣に詳しくないわたしには、解説を読んでもナンノコッチャ? という感じですが、専門家が観ると「これは正恒の作だな」と、よく分かるのでしょうね。
■ご近所さんが作った刀《長曽祢興正》
国宝の刀剣を見終わった後に、部屋の奥へ進むと、さらに重要文化財を含む刀剣がずらり並んでいます。ただし……正直、刀剣って……刀剣もですが、なんで国宝だったり重要文化財だったりに指定されているのか、いま一つ分かりません。特にトーハクに置いてあるものは、どれも素晴らしいように思えるからです。
その理解できない領域ということで、いつもなんとなく眺めて終わっています。ただ、一つだけ気になる刀がありました。《長曽祢興正》さんが作ったという一振り。
なんで気になったかと言えば、「東叡山於忍岡辺」の「長曽祢興正作之 (金象嵌銘) 延宝二年十一月十九日」と記されているからです。「東叡山於忍岡辺」と言えば……正確にはどこなのか分かりませんが、上野の山(上野公園)のどこかに鍛冶屋敷があったようです。そこで師の虎徹と一緒に、作刀していたと……。虎徹と言えば、新撰組の近藤勇の愛刀だった(かもしれない)ということで有名ですよね。
そして気になるのが、「弐ツ胴切落 山野勘十郎久英(花押)」と記されているということ。これは死罪になった人の胴体を試し切りしてみたら、2人分の胴体を綺麗に切り落としたよ……ということ。切れ味が悪くないという証明のようなものです。
そこで、展示ケースの横から、刀剣の裏側を見てみると……「延宝二年十一月十九日 弐ツ胴切落 山野勘十郎久英」と花押(サイン)が入っているのが分かりました。なんとなく「ほほぉ〜」という感じです。
■2階
1階には刀が多く、甲冑……大鎧が1つしかありません。甲冑が多いのは2階。また、まれにですが、1階の13室に展示されている刀剣の、鞘(さや)などの拵(こしらえ)が2階の「5」か「6」室に展示されていることもあります。
まずは備前の一文字の太刀です。NHKの大河ドラマ『どうする家康』では、武田信玄が亡くなってしまいましたが、その武田信玄が、上杉謙信から塩を送られてきた返礼として贈った刀……と伝わっているものです。
ただし、解説パネルによれば「上杉家の刀剣台帳には信玄の父信虎から贈られたと記されている」とあります。敵に塩を贈るっていう言葉がありますが、そもそも、そんなことがあったんですかね?
「腰反りで力強い太刀姿、乱映りが立つ小板目の地鉄、 浅く湾(のた)れた丁子の刃文などの作風から、備前一文字派の作と考えられます」
そして下が、平安時代に作られた《太刀 古備前友成》です。この刀のポイントは、幕末の水戸藩主徳川斉昭(なりあき)の所用だったということ。徳川斉昭といえば、最後の将軍・徳川慶喜(よしのぶ)のお父さんで、「烈公」と諡号を送られるほど、激しい性格だったようです。
そして、その《太刀 古備前友成》が収まっていたので、下の《桜花文兵庫鎖(おうかもん ひょうごぐさり) 太刀》という拵(こしらえ)です。
「金具は水戸金工の北川北仙の作です。 柄と鞘の全体を銀地鍛金の地板で包んで桜花文を鋤下彫で飾り、さらに赤銅象嵌で『盛りなる花はちるともかくはしき かをりはとほくつたへさらめや』の和歌を表わしています」(解説パネルより)
ちなみに、烈公と言われた徳川斉昭ですが、単に激昂しやすい性格だったわけでもなく、書も良くしていたようです。トーハクにも、下の書が収蔵されています。
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