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岡本太郎『明日の神話』は、なぜ東急渋谷にあるのか?

東京都美術館で展覧会『岡本太郎』が開催されていて、noteでもいろんな人が「行ってきました!」レポートが観られますね。わたしには分からないのですが、岡本太郎の作品は、多くの人になんらかのパワーを与えているようです。

わたしはと言えば、その凄さを理解できていません。なんで、こんなにも多くの人を感動させているんだろう? と。ピカソもですが、パッと観て、なにかを感じたり、考え込んだりするような芸術が分からないようで……美術や芸術に、技巧を求めてしまうのだと思います。

そんなわたしが、ちょうど『岡本太郎』展覧会のプロモーションが始まった頃(8月23日)に、渋谷へ行く用事がありました。東急線を使ったわけでも東急への用事でもありませんでしたが、せっかくだからと……ひさしぶりに岡本太郎の『明日の神話』を観に、足を伸ばしました。

岡本太郎『明日の神話』

この場所に来たのは初めてではありません。それでも、JRや銀座線から東急線へ乗り換えたり、道玄坂の上の方(道元坂上)へショートカットするときなどに何度か通り過ぎたことがあります。

いつも「あぁ岡本太郎だなぁ」なんて歩きながらチラッと見るのですが、ラッシュ時などは、よそ見をしていると危ないし、立ち止まって見ることもありませんでした。おそらく通勤通学などで毎日歩いている人は、意識的に見る人はほとんどなく、後から聞いて「あぁ…あれって岡本太郎の作品だったんスね?」みたいな存在かと思います。

岡本太郎『明日の神話』

とにかくデカいっていうのは、絵画では重要ですよね。『明日の神話』も、長さは30メートルで、高さ5.5メートルもあります。デカいっていうだけで、なにが描かれているか分からないわたしですら、立ち止まって観ると「おぉ…すげえな」なんて感じ入ってしまいます。

立ち止まって数十秒くらい「デケえ!」という気持ちで全体を眺めて観たあとに、「ところでこの絵は何?」って思いますよね。それで岡本太郎記念館のホームページを読むと……「描かれているのは原爆が炸裂する悲劇の瞬間」なのだそうです。1954年に、アメリカは南太平洋のビキニ環礁にて、水爆実験を行いました。その時に、不幸にも被爆したのが、日本から遠洋漁業に出かけていた第五福竜丸の船員たちです。その事故からインスピレーションを得た岡本太郎が、描いたのが『明日の神話』です。

ピカソの『ゲルニカ』とイメージがかぶるのは、2つとも、戦争の悲劇を表現した作品だからなのかもしれません。岡本太郎記念館の説明では「しかし」と反語を使いつつ、次にのように説明を続けます。

しかしこの作品は単なる被害者の絵ではありません。人は残酷な惨劇さえも誇らかに乗り越えることができる、そしてその先にこそ『明日の神話』が生まれるのだ、という岡本太郎の強いメッセージが込められているのです。

岡本太郎記念館より

悲劇だけではなく、明日への希望をも表現している点がピカソの『ゲルニカ』とは違うよ、ということのようです。

■メキシコのホテルの壁画として描かれた

『明日の神話』は、あの大阪にある『太陽の塔』と同じ時期に描かれたのだそうです。メキシコシティに建築中のホテルから依頼されて、1968年~1969年に制作されたのですが、依頼者の経営状況が悪化してしまい、そのホテルは未完成のまま人手に渡ります。

壁画はその際に取り外され、メキシコ各地を転々とするうちに行方がわからなくなりました。そして2003年、メキシコシティ郊外の資材置き場に保管されていた無惨な状態の『明日の神話』が、岡本敏子によって奇跡的に発見されたのだと言います(笑)。

ただ、長年劣悪な状況で放置されていたため、作品は大きなダメージを負っていました。2005年、作品を買い戻して日本へ輸送。愛媛県で修復作業が始まりました。

2006年6月に修復が完了。完成から37年の同年7月には、汐留で一般公開されました。さらに2007年4月27日~2008年6月29日には東京都現代美術館で特別公開。マスコミをはじめとするメディアでも取り上げられて、この時に『明日の神話』を描いた岡本太郎が、文字通りの「神話」の人となり、神格化が始まった気がします。

『明日の神話』が日本に来て、修復、公開されるのに前後して、広島と大阪(吹田)、東京(渋谷)で『明日の神話』の誘致争いが始まります。この点について、もう語られることはなくなりましたが、この争いは、岡本太郎財団によって明確な戦略をもって、作られたものでした。

誘致合戦を通して、話題性も岡本太郎ブランドの価値も高まりました。マーケティング的には大成功だったと言えるでしょう。

とかく、芸術をマーケティングと切り離して考えたい人が多いのも当然です。ただし芸術も、音楽や漫画、アニメなどと同じように、注目され人気を博さなければ「良いものを作った」という自己または少数の理解者の自己満足のようなものだけで終わってしまいかねません。良いものであれば、マーケティングの戦術を駆使してでも、持ち上げていく……広めていく……という選択肢があったほうが良いと思います。

その点で『明日の神話』をはじめとする岡本太郎の作品は、岡本敏子さんをはじめ糸井重里さんなど、マーケティングやプロモーション能力に長けた人たちに育てられ、確固たるブランドを築いてきました。

広島と大阪(吹田)、東京(渋谷)の熱い誘致活動が展開されたのも、そのブランド化や神格化への一環でしょう。そして2008年3月に、岡本太郎財団は……正確には岡本太郎記念現代芸術振興財団は……『明日の神話』を、渋谷に恒久設置することを決定。同年11月17日から、現在ある渋谷マークシティ連絡通路での公開が始まりました。

冒頭で記した通り、わたし自身は作品を見ても、まだその凄さが分かっていません。それよりも、岡本敏子さんを初めとする岡本太郎財団や糸井重里さんが、どうやって、岡本太郎ブランドを育ててきたのか、の方が興味津々です。

そして今回、『明日の神話』がなんで渋谷にあるんだろう? と調べていたら、『岡本太郎「明日の神話」広島誘致顛末記』という、広島での誘致活動の中心人物が記した資料を見つけました。まぁ指名されなかった側からすれば、悔しいだろうなと思いますよ。その悔しさを出来るだけ抑えようとしつつ、その経緯を記そう、説明責任を果たそうとしているのが、よく伝わってくる報告書です。

先日、東京都美術館へ行ってきました。わたしは、別の展示会へ行ったので、展示会『岡本太郎』は見ていませんが、まだまだ多くの人が観覧しているようでした。

展覧会の出入り口には、『タローマン』だったかな? こういうのも置いてあって、展示会を見終わって、興奮醒めやまぬといったような人たちが集まっていました。

本当にすごいなぁと思います。

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