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トーハク学芸員が語った、特別展『京都・南山城の仏像』の3つの見どころ

東京国立博物館(トーハク)で、特別展『京都・南山城の仏像』が始まりました。関東育ちのわたしには聞き慣れない京都の「南山城(みなみやましろ)」という地域に点在する、いくつかの寺院が所蔵する仏像を集めた展覧会です。今回はその中でも、浄瑠璃寺の国宝《九体阿弥陀》の修理完成を記念して企画されました。

先日までは奈良国立博物館で『聖地 南山城―奈良と京都を結ぶ祈りの至宝―』が開催され、そこから精鋭だけに絞り込んで……と思いたい……このたびトーハクに集まっています。

でも正直言って「南山城の仏像」なんて言われても、仏像マニアでもないわたしには、ピンとくるものがありません。そこで同展の報道関係者向けの内覧会へ行き、諸仏像を見てくるとともに、担当された同館研究者(学芸員)の増田政史まさふみさんによる見どころ解説を聞いてきました。


■特別展の3つの見どころと、「南山城」とは

増田さんによれば、特別展の見どころは大きく3つあると言います。一つは、京と奈良という2つの文化圏の中間点に位置する「南山城」という地域の特性をもつ、平安時代の仏像の代表作が揃っているという点。二つめが、特別展の主題ともなっている「修理が完了した浄瑠璃寺の九体阿弥陀如来」がお披露目されますよという点。そして三つめが、かわいい顔をした不動明王など、様々な仏像が見られますよという点です(増田さんが使った言葉と大意は同じですが、大幅に異なります)。

この三つの見どころの詳細を解説してくれたのですが、その前に「南山城」とはどんな地域なのかが気になるところです。実際に「南山城」という言葉を地元の方々が使っているのかは、関東育ちのわたしには分かりませんが、この特別展での定義によれば、「奈良県北部と隣接する、京都府の最南部」としています。

現在の京都……京都府の大半を占める旧国名「山城国やましろのくに」にちなんで、山城国の南ということで、南山城としています。増田さんによれば「同地域は、木津川に育まれた風光明美な景観で、自然の豊かな山間部から、住宅地や田園が広がる閑静な平地に至るまで、大変穏やかな空気が漂う地域でございます。そして、京都と奈良のちょうど中間に位置しますので、京都と奈良、両方の影響を受けて、独自の文化が花開いたという、特徴ある地域」です。

解説では現在の地図をみながらお話されていましたが、要は奈良・平城京と京・平安京の間にある地域……大和国と山城国(山代または山背とも)の間のエリアということ。さらにGoogle Earthで、今回お出ましになられた仏像の所蔵寺の位置を確認すると、下図の通りです。

こうして見ると、本当に奈良と京都の2つのエリアが重なる地域だということが分かりますね。大和国と山城国、奈良と京都、平城京と平安京の間とも言えるし、東大寺などの奈良の大寺院と、比叡山など京都の大寺院の間にあるともいえるでしょう。

この南山城では、日本に仏教が伝来した(538年または552年)飛鳥時代には、寺院の造営が既に始まっていたそうです。また奈良時代の聖武天皇の遷都ブームの一時期、740年から744年には、恭仁京くにきょうという都が置かれたこともありました。そして平安時代には、京都の貴族や奈良の大寺院などの荘園が多く設置され、多くの寺院が建てられるとともに、仏像も制作されました。さらに鎌倉時代に入ると、著名な僧侶が晩年に隠棲する人気エリアだったそうです。

つまり南山城は、政治の中心地が奈良→京都→鎌倉と変遷していくなかでも、常に政治または文化史のうえで、「実は大変重要な地域だった」とし、「こういった地域の特徴と、歴史の事項を踏まえて、この展覧会をご覧いただければと思います」と、増田さんは語っていました。

それでは、先に増田さんが述べられていた、特別展の3つの見どころを、展示されている仏像とともに見ていきましょう。

■【9世紀】海住山寺《十一面観音菩薩立像》……平安時代の代表作

増田さんは「南山城には平安時代の仏像の、代表作が揃っている」と言いますが、平安時代初期の9世紀に作られた、補陀洛山ふだらくさん海住山寺かいじゅうせんじの《十一面観音菩薩立像》もその一つです。特別展の展示会場に入ると、最初に出迎えてくれる仏像です。

仏教が伝来して以降、中国大陸から文化的な影響を受けてきましたが、この頃は中国・唐の影響が強い時代でした。そのため、当時の仏像にも唐時代の造形が反映されているそうです。

海住山寺の《十一面観音菩薩立像》を見ると、すらりとした立ち姿がきれいで、「切れ味の鋭い彫りくちなどが特徴」です。表情を見てみると、目鼻立ちがくっきりと彫られているのがよく分かります。「また横から見ると少し体を弓なりに反らしていますが、前から見ても、横から見ても自然な体つき」をしている点などが、唐時代の文化の影響なのだと増田さんは言います。

また同像は、香木から作られた檀像(だんぞう)を意識して作られたんだろうと言います。檀像に使われる白檀(びゃくだん)などは材が緻密……「檀像は大変“きめ”の細かい木を使って作られた仏像のこと」だそうで、「この像もおそらく、きめの細かい木から作られたと考えられます」としています。

材が緻密なため、それを生かした細かくて豊かな装飾が施されているのでしょうね。

その檀像もまた、中国の唐の時代に流行したもの。その唐の文化を受容していた奈良の都でも流行し、南山城にも伝わった……つまりは南山城が奈良の都との結びつきが強かった証左の一つだと言います。

■【10世紀】禅定寺《十一面観音菩薩立像》……和様への歩み

9世紀の次は10世紀、同じく《十一面観音菩薩立像》を見ていきましょう。こちらは白華びゃくげ補陀落山ほだらくさん・ 禅定寺に伝わる仏像です。

10世紀と言えば、838年を最後に遣唐使を派遣しなくなりました(制度として正式に廃止されたのは894年)。そのため唐の文化の流入が止まり、国風と呼ばれる文化が成立し始める頃ですね。

仏像の国内トレンドも「だんだんと、仏像が日本風の作風に」なっていったそうです。増田さんは「これを和様と言いまして、11世紀に大成しますが、その11世紀に向けて歩みを進めた時代、それが、この10世紀の仏像になります」と、禅定寺の《十一面観音菩薩立像》を紹介しています。

増田さんの語る同像の特徴は、まず顔立ちにあります。前項で紹介した海住山寺の鋭い彫りくちとは異なり、禅定寺の《十一面観音菩薩立像》は「鼻筋が太くて、また頬の張りがあって、大変穏やかな優しさが感じられるような顔立ち」なんです。

さらに着ている衣の表現にも注目してほしいと言います。「衣の柔らかさが伝わるような、柔らかな……彫りの浅い、柔らかな表現が見て取れます」と、表情と衣などから分かる通り「優しさや穏やかさというのが和様のキーワード」だと言います。

そしてこの禅定寺の《十一面観音菩薩立像》は、禅定寺の創建時からの本尊です。さらに禅定寺は、奈良の東大寺の僧侶によって創建されました。当然、本尊の仏像制作にも、東大寺と関わりの深い仏師が作ったものと考えるのが普通です。それだけ禅定寺……南山城エリアと、奈良エリアとが文化的に密接だったことが、この像からもうかがえます。

■【11〜12世紀】浄瑠璃寺《広目天立像》……貴族文化の最盛

さらに時代を進めて、11世紀から12世紀……平安時代の中期から後期は「平安貴族が文化の担い手となります」と解説されましたが……国風文化が熟成していった時期ということでもあるでしょう。

増田さんは、その貴族文化が最盛期を迎えた、まさにその頃の代表作といえる仏像の例として、小田原山・浄瑠璃寺の《広目天立像》を挙げます。特徴としては、「動きが控えめで、品のある立ち姿をしています。近衛兵のような、大変整った姿をしています」。

ちなみに、この《広目天立像》はトーハクに寄託されているため、頻繁に見ることができます(ちなみに平常展では撮影可能です)。また当展に来ている《多聞天》は、京都国立博物館に寄託されているはずです……一言も触れられませんでしたけど……。

この浄瑠璃寺の《広目天立像》の細部を見ると、色鮮やかな彩色が施されているほかに、金箔を細く切った切り金きりがねの文様で彩られていることが分かります。

増田さんによれば、この時代の仏像で彩色や切り金の文様が残っているものはまれで、たいへん貴重なのだそうです。さらに「彩色などが全体に施されているこの像は、まさに貴族好みの代表作と言える仏像」なのだと言います。

わたしも何度か、この像を見たことがありますが、下の写真のような彩色が残っていると初めて知りました。お話を聞きながら「あとでじっくりと見てみよう」と思いつつ会場へ戻りましたが……すっかり忘れてしまいました……がっかり……。

そしてその模様をさらによく見てみると、大ぶりな植物の文様も描かれています。同時代の京の仏像とは異なる、奈良の伝統的なモチーフが使われているとのこと。

以上のとおり、浄瑠璃寺《広目天立像》からは、往時の文化を牽引していた平安貴族の好みが反映された、華やかな彩色などが施されつつ、その細部を見ると、奈良伝統の絵柄が採用されています。そのことから同像は、「やはり京都と奈良の中間にあった南山城の特色が現れている仏像」と言えるのだそうです。

■約400年に及ぶ平安時代の仏像の変遷を見られる

以上のとおり、特別展『南山城の仏像』では、「9世紀」から「10世紀」、そして「11世紀から12世紀」という、約400年に及ぶ平安時代の仏像の作風の変遷が見られるということ。

そうした変遷が見られる一方で「京都と奈良の中間という、両方の影響を受けてきたという、南山城ならではの特色が現れております」とのこと。

そのため特別展『南山城の仏像』を見るだけで、仏像の時代の変遷を辿れるとともに、南山城の地域の特色を知ることができるという、2つの視点から楽しめるのです。一度で二度おいしい展覧会ということです。

■浄瑠璃寺の九体阿弥陀の修理後初展示

さらに見どころの2つめが、特別展の副題ともなっている、修理が完了した浄瑠璃寺の《九体阿弥陀如来像》が見られるということです。

浄瑠璃寺の創建は、永承2年(1047年)。本尊である《九体阿弥陀如来像》は、創建当時から安置されたもので、その名の通り9体の阿弥陀如来が並んでいます。展覧会場で見た《九体阿弥陀如来像》の1体は、けっこう大きなものでした。それが9体も横一列に並んでいるなんて、壮観でしょうね(当展での展示は1体です)。

《九体阿弥陀如来像》は、平安時代の貴族の間で流行。記録の上では、30数例ほどの《九体阿弥陀如来像》が確認できますが、当時の仏像と、その仏像が置かれているお堂が現存するのは、浄瑠璃寺だけなのだそうです。むちゃくちゃ貴重だということ(ちなみに同じく九体の阿弥陀如来像が並ぶ、東京・世田谷の九品仏=浄真寺の創建は、江戸時代の1678年)。

《九体阿弥陀如来像》は、定期的に修理というか修繕ですかね? が必要なのだそうですが、2018年度からの5年計画で修理が始まりました。一気に9体の阿弥陀如来像を修理するのではなく、1体ずつ順繰りに修理していき、メンテナンスが終わった最後の1体が、奈良国立博物館から東京国立博物館へと巡回されてきました。

この修理(修繕)は、「明治時代以来、およそ110年ぶりの修理」とおっしゃっていたので、当時もまた何年もかけて……明治から大正にかけて修理していったのでしょう。

増田さんは「仏像の修理は、定期的に行われる必要があり、このように100年、そして次の100年、さらに1000年と伝えていくための、大変重要な事業です。本展では、そんな修理を終えたばかりの1体を展示いたします」と語った。

会場で撮った写真は掲載しないが、昭和3年に東京美術学校が編集した『南都七大寺大鏡 第六十八集』に、9体の阿弥陀如来像の写真があったので、こちらの写真を載せておきます。

印象としては右の像が展示されていた気がしますが、像の背中にある光背のデザインを見た感じだと左の像が展示されているっぽいです。正確ではありません。
東京美術学校 編『南都七大寺大鏡』第六十八集,南都七大寺大鏡発行所,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1688843 (参照 2023-09-16)

なお本展で展示されているのは、上の写真の1体。実際にお堂に安置されている写真を見ると分かるのですが、普段は柵というか欄干のようなものがあり、正面から見ると、像の台座が見られません。でも本展では(人で混雑していなければ…だが)台座を含めた像の全体が見られるのもポイントだといいます。わたしとしては、こんなに近くから見られると思わなかったので、驚きでした。正面はもちろん、横からも見られます。

本が編集された昭和3年頃の浄瑠璃寺の本堂内の様子。九体阿弥陀如来像の前に柵というか…があるのが分かります。また四天王像が阿弥陀如来を守るように、目の前に配置されていたことも分かりますね
東京美術学校 編『南都七大寺大鏡』第六十八集,南都七大寺大鏡発行所,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1688843 (参照 2023-09-16)
九体阿弥陀如来の中心にある中尊。大きさは、いわゆる丈六と呼ばれる一丈六尺(坐像なので8尺でしょうかね)
東京美術学校 編『南都七大寺大鏡』第六十八集,南都七大寺大鏡発行所,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1688843 (参照 2023-09-16)

■本当に千本ありそうな千手菩薩やカワイイ顔した不動明王など

そして3つめの見どころとして、いろんな魅力あふれる仏像がありますよぉ〜ということでした。この中で増田さんが挙げたのが、安養山・極楽寺の《阿弥陀如来立像》、開運山・寿宝寺の《千手観音菩薩》、北吉野山・神童寺の《不動明王立像》。

安養山・極楽寺の《阿弥陀如来立像》は、運慶・快慶の、快慶の方の弟子とされている、鎌倉時代の仏師・行快が手掛けたものです。行快の作品は10前後しかなく、今回お出ましの《阿弥陀如来立像》は、その一つです。

増田さんは「平安時代の仏像とは異なり、目線が大変鋭く意志の強さが感じられるような顔つき。また衣のひだも数多く刻まれていて、大変写実的、リアルな表現」と評しています。

そして開運山・寿宝寺の《千手観音菩薩》は、平安時代に作られた、本当に千本の腕があるんじゃないか? というほど多くの手が付いています。ちなみに、千本もの手を付けるのは面倒だし難しいので、一般的には42本に省略した形で作られるのが一般的です。

そして北吉野山・神童寺の、平安時代に作られた《不動明王立像》は、ちょっと微笑んでしまっていません? って言いたくなるような、かわいらしい表情が特徴です。

一般的に不動明王や明王と呼ばれる仏像は、厳しい表情、恐ろしい表情をしています。これは仏教の敵を倒したり、人々の悪い心を改める仏だからなのですが……神童寺のは、どうしてこんな表情なんでしょうね。

増田さんは「一般的な不動明王は、左側に紙の束を垂らしていたりですとか、上半身に帯状の布をたすき掛けにしているんですが、神童寺の不動名王には、それらがありません。また膝元は、下半身の衣を膝までまくり上げて、膝頭を見せるほどまくり上げています」と、概要を解説。

その上で「こうした特徴は、天台宗の僧侶が夢で見たとされる不動明王の姿」だと言います。造形の特徴の他にも、こういった仏像史、仏像の歴史を考える意味でも、大変貴重な姿をしている不動明王だということです。

増田さんは「駆け足となりましたが、本展の見どころを大きく3つ取り上げて紹介させていただきました。この京都の南山城という地域は、大変優れた仏像が伝わっており、それが多くの人々によって現在まで守り伝えられてきた、貴重な作例と言います。仏像を通じて、南山城という魅力ある地域を紹介したいと思っておりますので、ぜひ、よろしくお願いできればと思います」と最後に語り、説明会は終わりました。

■クリソツ

noteの最後にわたしの感想を書いておくと、特別展『京都・南山城の仏像』で展示されるのは、全18点です。もう少し見たかったなぁというのが正直なところでした。ただし、仏像が好きな人には、わざわざ南山城からお出ましただいているのですから、行かない理由がありませんw 全18点のうち15点が重要文化財もしくは国宝だという点でも、粒ぞろいだと分かります。

なかでも! 展示会場の最初に見ることになる補陀洛山ふだらくさん海住山寺かいじゅうせんじの《十一面観音菩薩立像》は、その美しさに釘付けになりました。増田さんが言うように、ごく自然な姿勢だというのが、全体として、見ていて心地よくなるというのもあるかもしれません。

ただし、わたしが特に興味を抱いたのは、やはり正面から見た時の、腰のくねりですね。媚びるようなくねりではなく、ラクな姿勢をとろうとすると、この腰つきになるんじゃないかなと思います。

また何より、頭部の「十一面」を除いた全体の雰囲気が、トーハク所蔵で由来が全く分かっていない《菩薩立像 C-20》と似ていると思いました。同菩薩立像は鎌倉時代以降の慶派の流れと言われているようですが……飛鳥時代の《十一面観音菩薩立像》とかぶるなぁと。

ということで実際に画像を並べて比較してみました。左が海住山寺の《十一面観音菩薩立像》で、右がトーハク所蔵の《菩薩立像 C-20》。まぁ……似ていると言えば、そうも言えるし……やっぱり全く違うでしょと言われれば、違いますかねぇ……とも言えるし、といったところですかね。

ちなみに像の高さは全く異なりますので、上図は2像の額の髪の生え際と足首の位置を基準にして調整しています。すると額から顎、肩から腰、腰から足首の位置が、ほぼ同線上に位置することが分かりました。もちろん撮影したカメラの焦点距離も異なるかもしれませんが、何等身が2画像を比べた限りでは全く同じでした。たまたま同じなのか、それとも仏像なのか菩薩なのかの標準的なプロポーションなのかは、わたしには分かりません。

右手の印相……「願い事を言ってごらんなさい」という与願印のポーズも一緒。《菩薩立像 C-20》の左手の小指・薬指・中指が欠損し、持ち物もなくなってしまいましたが、《十一面観音菩薩立像》は水瓶のようなものを持っていますね。ここに掲載できませんが、2つの体の左側の画像を見比べてみると、《菩薩立像 C-20》も、水瓶を持っていただろうと思われます。

ということは、《菩薩立像 C-20》は、観世音観音菩薩なのだろうと推測できます(あくまでど素人のわたしの推測です)。

《菩薩立像 C-20》の気になる左手……なにを持っていたんでしょうね

必ずしも「誰もが行って充実感を味わえる展覧会」とはなかなか言えませんが……ちょっとでも「行きたい!」と思っている人は、行って後悔しないだろう展示内容だと思います。

また、みうらじゅんさんといとうせいこうさんの仏像大使が監修したオリジナルグッズも、魅力的でした。こうしたお土産は買わないわたしですが、思わず買いたくなるグッズもありました……結局は買いませんでしたけどねw

それでは「行きたい!」と思ったら、行ってみてください……。

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