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歌詞の根っこにあるもの 〜米津玄師さんについてつらつらと〜

“戦うやつらはあの子を笑う
戦わない歌うたうから”
(「KARMA CITY」米津玄師)

戦わない…ではなく、戦えない、のだと思う。
戦いたい、けど戦えない。

すくい上げてくれる人だなあと。
久しぶりにこの曲をじっくり聴いて、ほんとそういう視点を持ってる人だよな…と、また米津さんのことをつらつらと考え始めた。


戦う人が勇気をもらえる歌は多いと思うが、米津さんの歌には、そういう、戦えない人が救われるような歌詞が多い。

自分でどうしようもないことだったり、
責めが内へと向かって動けない
まさにどこにも行けない
自分の中で解決しようと苦しむ
何かの呪いで動けない…

アルバム『YANKEE』が出たときのインタビューで米津さんが、
トラウマだったり環境による偏屈な物の考え方だったりを呪いと呼んでると言っていた。
誰しもがそういうものを持ってるんじゃないかと。


“あなたが思うほどあなたは悪くない
誰かのせいってこともきっとある
痛みを呪うのをやめろとは言わないよ
それはもうあなたの一部だろ
でもね、失くしたものにしか
目を向けてないけど
誰かがくれたもの数えたことある?”
(「WOODEN DOLL」米津玄師)

それでいい、と肯定してくれる、
そして手を差し伸べてくれる。
そこから這い出す視点をくれる。

痛みや苦しさ、不安や焦燥感…いろんな負の感情を共有してくれる感じ。


前に音楽文にも書いたのだけど、

米津さんの歌詞の根っこにあるのは、痛み、だと思う。
生きづらい、わかりあえない、など、人間が生きていくうえでの痛み。

痛みや切なさを感じる歌詞、心に深くささるような歌詞が、いろんな曲のあちこちにある。
この歌詞はどうやって生まれてきたのか…


自分の中で心の苦しみや生きづらさがあったことは彼自身インタビューやブログなどで語っている。


「何かにつけて許されていないと声も出せないことをよく知っている。
…どっか見よう見まねで生きている感覚が根底にあって、はたして自分は許されているのかいないのか、そういう端から見れば瑣末な、しかし当人にとっては重大な問題を紐解いていくことに夢中だった。
…言葉すら持つことを許されていない人間がいることを知っている。今はそういうやつにこそ音楽を届けたい。きっと大丈夫だと言ってやりたい。世の中そんな大したもんじゃないと教えてやりたい。」
(米津玄師 ブログ 2017年12月6日「隙間」より)

子供の頃から、いろいろな感情や気持ちの中でひたすら考え続けてきたのだろうと。

考え考え、自分の内へ内へと向かい、自分を、人を、見つめ続け、決して何かのせいにせず、一人で自分の中に答を見つけてきたのかもしれない。

歌詞を見ても、彼はすごく感覚が細かいと感じる。
普通は通り過ぎてしまうような心の動きさえも気付き、いろんなことに傷ついてきたのではないだろうか。

そして自分と似たような人に対して音楽を届けたいというのは、たぶん米津さんの一番根っこにある思いなのだろう。


2020年8月のテレビの報道番組のインタビューでは、

「自分の昔のこととかを思い返してみると、はぐれ者であるっていうか
ごく当たり前にやらなければならないことができないだとか
そういう気分を感じながら生きてきた時間が長かったので
過去の自分も含めてそういう人たちに対するまなざしがどんどん強くなっていくような気持ちもたくさんあるんですよね」
(2020年8月7日 news zero)

と話していた。


そして去年8月の雑誌のインタビューでは、

「…自分の音楽の根っこには、そういうマイノリティであるとか、弱者性があるっていう気持ちは、いまだに変わらないのは変わらないんですけど。
でも対外的に見た時に、それがあまり許されなくなってきている。…今は、それを解決せねばならないのかなって…だから、もうひとつアプローチがあるような気がしていて、たぶん次はそういう曲を作るんじゃないかなという感じです。」
(ROCKIN’ON JAPAN 2021年8月号)


根っこは変わらない、そういう人たちへの思いはむしろ強くなっていく、
しかし米津玄師という名前も大きくなり環境も変化する中でそれが許されなくなってきていると…
彼の気持ちを想う。


このインタビューがずっと頭の隅に残っていて。

次に出た「POP SONG」がそういう曲なのかはわからないけれど。


この曲ではまた新しいことに挑戦し新たな一面を見せてくれた。
変わっていかねば、という思いを感じる気もするし、
変わってくよと、いうメッセージのようにも思える。

先日のラジオでは、この曲について、
人がどう思うかは大事だけど自分が楽しくやれることが一番大事、とも話していた。
それも今の大きな気持ちなのかもしれない。


でも米津さんが痛みや苦しみの心を携えている人であることはこれからも変わらないし、
自分と同じようなそういう人に目を向けて音楽を届けたいという、根っこに一番大きくあるのだろう思いはこれからも変わらないのだろうなと。


今の彼の心はどんなかなと、いつも思いを馳せながら…寄り添いたいなという気持ちでいっぱい。


米津玄師という人を深く理解している人が常に彼のそばにいてほしいなとも思う。

私も常に彼を強く理解したいと思っている!
…ファンも大きな理解者であることも忘れないでほしい。


これからどんな音楽を届けてくれるのか、どんな景色を見せてくれるのか、すごく楽しみ!
ツアー「変身」も楽しみ♡
米津さんが、いろんな気持ちを抱えながらも、これからも健全に楽しく音楽を作り続けられますよう。

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