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「ごめんなさい」がいえる大人に

土曜日のこと。
一日がもうすぐで終わりそうな夕飯前の、少しゆったりとした時間。
息子は日頃から言われている「食べ物以外のものを口に入れてはいけない」というおやくそくを破った。

三歳児であるから、彼が約束や決められたことを守りきれずに行動してしまうのはいつものこと。そこで大人が注意して「ごめんね」ができればそれはそれで終わるはずだった。
しかしその時彼は、頑なに言わなかったのだ。

母親である私や、おじちゃんならこんなにこじれることもなかっただろう。
常日頃から、彼のおばあちゃんに対する反応は随分と塩対応だ。それは「この人は無条件に僕を愛してくれている」という揺るぎない自信があるからだと思われる。つまるところ、甘えているのだ。
しかし今回の件は許されない。少なくとも我が家では。

夕飯の準備をしていた私は実際の現場を見てはいないが、お勉強(と称したお絵描き)をしていたらその時使っていたペンをかじったそうなのだ。
調理の合間に息子と向き合うが、「あやまらないもん」「いやだ」「いやだから」と取り付く島もない。

夕飯の準備が終わり、大人2人は夕飯タイム、私は息子へお説教タイムに突入。
(ちなみにその日作ったハンバーグはなかなかのできだったが、一片たりとも私の口には入らなかった。夫だったらブチギレ案件だが、実家なので仕方がない……。

最終的におばあちゃんからの「謝れるようになったら謝ってね」という譲歩案で落ち着いたのが、それから1時間以上経った後だった。


幼い子供への叱り方はいろんな本が出ているし、私のようにいつまでもあやまらせることを強制するのは賛否両論あると思う。

本人が「悪いことをした」と自覚していたこと。「ごめんなさい」を言わなければいけない場面であるとわかっていたこと。自宅内で発生したこと。私が先におばあちゃんに謝っていたこと。それでも本人は謝らなかった。

「長引かせることでなんで怒られているかわからなくなる」
そうならないように、なんで謝らないといけないのかをずっと説明していた。

「意地になっているからもう無理だよ」
それでもその時に言わなければ、次回以降「いつまでも言わないでいればそのうち言わなくてよくなる」と変な学習をしてしまうことを危惧した。

だからどうか。
家族だけは、少なくとも私の目の前でそんなふうにいうのだけはやめてほしいのだ。
外ではこんなに長い時間泣かせてられないし、相手を長時間拘束させることもできない。
悪いことをしたら謝る。
その悪いことは人によって違っているからこそ、怒られたり不機嫌にさせてしまった時に謝れる人になってほしいのだ。

正解の基準が人によって違うように、間違いの基準もまた違う。
彼の中では「悪いこと」をしている自覚はないし、悪いこととも思っていない。
しかしだからこそ、他人の基準で「悪いこと」をしたときに謝れるようになってほしい。君が社会に出ていく上で、最も大切で難しいことだと母は思うから。

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