No.0004 趣味のおなはしその1(千葉ロッテマリーンズ)

※約1400文字の記事です。

仕事が終わってまったりとしたこの時間、ようやく自分の事を少しずつ語ることができるようになりました。言えば色々とあるのできりがないのでまずは自己紹介で書いた3つのことを1つずつ語っていこうかな~と思います。

ここ最近はTV中継も減少してお茶の間で見る機会がめっきり減った野球中継ですが、その代わりにどこも動員数自体は右肩傾向にあり、2019年は全試合の動員数あわせて2600万人を初めて突破したと報じられています。

その中で、私が推している千葉ロッテマリーンズの本拠地ZOZOマリンスタジアムの動員数も歴代最多の動員数を記録し、球団としても黒字化を成功させてストーブリーグも賑わせているようですね。あの閑散とした時代からよくもここまで…と涙を禁じ得ない嬉しい状況です。


私が本格的にロッテを応援し始めたのは2001年の後半辺りから。当時は

「優勝が一番遠ざかってるから優勝したときは喜びがひとしおだろうなぁ」「パ・リーグを覚えたら野球がもっと面白くなるだろうなぁ」

と思ったことがきっかけでした。思えば1998年に起こった魔の18連敗も頭の隅にあったのだと思います。黒木知宏さんが最後の最後で打たれたシーンは子どもながらに心を打たれたのかもしれません。

その時の千葉ロッテの戦力はまだまだ不足気味、特に圧倒的な戦力を持つ福岡ダイエーホークス、西武ライオンズには実力が決定的に足りませんでしたね。

当時の監督であった故・山本功児さんは5年間指揮をとりましたが成績は4位と5位、監督しての采配はイマイチでしたが、2000本安打を打った福浦和也選手をはじめ、サブロー・里崎智也・清水直行・渡辺俊介・小林宏之の各選手、のちに2005年の優勝に繋がる選手達を育てたとして最近では再評価がなされているようですね。その前の監督は…知らない人ですね(すっとぼけ)


そして2004年からロッテファンとしてはボビー・バレンタインが95年以来の指揮をとると聞いてビックリしたのと同時に「これは優勝出来るのではないか?」という淡い期待がありました。何せ千葉移転後はボビーの2位以外は全てBクラスに終わっていましたので。

その期待は翌年の2005年に果たされることになります。

2005年の千葉ロッテ

もっとも、阪神ファンからしたら2005年の日本シリーズはトラウマを植え付けられたとは思いますが…とはいえ、当時のルール上ではパ・リーグ制覇、そして日本シリーズ制覇、当時開催していたアジア・リーグ制覇と31年ぶりの優勝と全てのシリーズを完全制覇という二度と生きてみられないんじゃないか?と真面目に思ってしまうくらいの幸せな出来事がありました。

その後ボビーは球団と対立して解任、西村徳文さん、伊東勤さんを経て井口資仁さんが若き指揮官として頑張っています。この二人の時は実は関心事から離れて「ふーん、今年はこの位置かー」くらいの距離感で見ていました。伊東さんがやってた時はちょっと戻ってきましたが、やはり本腰入れて戻ってきたのは井口さんが監督に就任されてからですねー



千葉ロッテは現在世代交代の真っ最中、その中で投手は種市篤暉・岩下大輝・二木康太・佐々木千隼・東妻勇輔・小島和哉・中村稔弥の各選手が1軍で一定の結果を、野手は平沢大河・藤原恭大・安田尚憲・山口航輝の来年レギュラー獲りを狙う各選手がいます。ここ2年連続で結果を残せない状況が続いているので来年は怪我なくさらにレベルアップした姿を見せて欲しいものですね。