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“そのままの自分”にたどり着く。

そのままの自分とか、自分らしさとか、意味が分からなかった。

10年程前、職場の先輩が退職する際に手紙をくれた。「頑張っているあなたも好きだけど、そのままのあなたが大好きだよ。」と。涙が出るほど嬉しかったのに、そのままの自分が分からなかった。
どれがそのままの自分?頑張っているわたしは分かるのに。忙しさから考える余裕もなく放置していた。

出産を機に仕事を辞め、子育てをする中でまたそのままの自分を考えることになる。
それまで頑張り成果をだすことで自分の価値を感じていたが、それがほぼない子育てでは自分を肯定する機会がない。周りから評価されることもない。なんなら母親なら当り前と思われる。さらに頑張り成果を出したい気持ちは子育てとは相性が良くなかった。わたしは自分が分からなくなり、心も身体も不安定なことが続いた。

なんとかしたいと自分と向き合う中で、自分の当り前や考えを本当に?と疑いはじめた。すると自分の考えだと思っていたことは、環境に適応するためだったり、周りや親からの影響で自分の中から生まれたものではないと気がついた。それはもう驚いた。わたしのものじゃないやん!それで、もういらないやと手放し始めた。

わたしを作ってきたものが剥がれていくと、幼い頃の自分にたどり着いた。

幼い頃のわたしは劣等感のかたまりだった。
姉や兄のように上手くうまく立ち回れない自分がもどかしく、恥ずかしく、できそこないのように感じていた。
自分の感性は不正解だと思い、正解だと思う姿に、理想の自分になろうとしてきた。
でも、色々な経験をしてきた今の自分が紐解いてみるとそんなに悪くないじゃん、それでいいんじゃんと思った。正解はひとつじゃない。

劣等感だった自分の感性を受け入れた時、ここにそのままの自分がいるかもと思った。
そのままの自分は、自分から生まれた感性や感覚でそれはとても尊く、正解、不正解はない。そう思うと自分が大事な存在に思えた。
そのままの自分が分からなかったのは、理想の自分に覆い被され、劣等感の中に隠されていたからだ。時々顔を出しながら。

手紙をもらい、10年経ってそのままの自分にやっとたどり着いた気がした。頑張っている自分も好きだし、そのままの自分も尊い。
今でも頑張り成果を出すことは好き。達成感はやっぱり気持ちがいい。でも、何も成し遂げられなくても、何も生産しなくとも自分の価値はなくならない。そう感じるようになった。
そして、これからの人生はそのままの自分に舵をにぎらせてあげたい。

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