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12年目の3月11日を郡山で過ごして感じたこと、考えたこと

春は毎日雨だったらいいのに(花粉症)
こんにちは。箱推しちゃんです。

3月11日に推しのOWVのツアー初日、福島公演に参加してきました。
その際に見たことや感じたことを今日は書こうと思います。

前段階のお話として

震災と私

あの日は金曜日で、いつものように東京のオフィスで仕事をしていた時に、それは起こりました。当時働いていたオフィスがたまたま堅牢なビルの1Fにあったため、いつもよりひどいとはいえ、クリアファイルが1枚床に落ち、社員のデスクに立てかけてあったタブレットがぱたんと倒れた、その程度でした。

その後、コンビニに買い物に行ってきた社員が「街が大変なことになっている」と言い出してからSNSを見て事態を把握。

Twitterでは各地の様子をみんなが共有しあい、Youtubeでは民間人がNHKを常時中継してTVがない人にも情報を伝達。それをシステムチームが社員がいつでも見られるようにと大きめのモニターに投影してくれました。

その結果、私たちはモニターの前で、
リアルタイムで津波の映像を見ることになりました。

岩手県、宮城県、福島県。

美しい海岸線が黒い水に飲まれて行きます。
私たちは無言になりました。

とある社員がぽつりと言いました。

「福島、終わったな」

その瞬間、別の社員が紙のように真っ白な顔色になり、その場を離れていきました。

彼は福島市の出身でした。

震災後と私

震災後、東北を応援しよう!という動きは関東でも活発に行われましたが、福島県に対しては、正直、微妙な距離感があったと思います。

放射能に対する恐怖で、震災の翌週は東京の多くの企業が1週間ほど操業を停止したり関西に本社機能を移したりしていた位です。その恐怖は福島県の土や野菜、魚、そして人にも向けられていたように思います。

そんな中、私自身はスーパーに並ぶ福島県産の野菜を積極的に買うようにしていました。他の県のものに一切劣らない、立派に育ったいくつもの野菜が、信じられないような安い金額で売られていました。それを私は「安いから」「今むしろ福島県産が一番安全」と言い張って、半ばムキになって買っていました。

私、福島に親戚がいるんですよね。

だからこそ、いくつもの検査を経て絶対に安全だと科学的な裏付けがあって初めて市場に流通させる人たちだという信頼がありましたが、そういう話をしても、信じられない、絶対に買わない、という人もいました。

そういう人たちにかける言葉を持たないまま、数年が経ちました。

ある時、実家に帰って母親と雑談していた時に、母がぽつりとこう言いました。

「おばちゃんから毎年野菜とお米が届くじゃない?今でも毎年放射能検査の証明書が入ってるんだよね」

福島県に対する風評被害もだいぶ収まったと思っていた頃でした。

母はもどかしそうに続けます。

「律儀な人だし、入れなくていいよっていうのもおかしな話だから何も言えないんだけどさ、わたしたちはおばちゃんが作ってくれたものなら、何でも美味しく食べるのにねえ」

その瞬間、自分は本当に馬鹿だったな、と思いました。

安いから、今なら福島のものが一番安心だから。

どうしてそんな理由が必要だったのか。

好きだから。応援したいから。家族だから。

それでよかったのに。どうして言い訳が必要だったのか。

偏見があったのは、恐怖心があったのは、間違いなく私自身だった。
数年たってようやく気がついて、それからしばらく自分のことが嫌いでした。

OWVと福島

2020年4月にデビューしたOWV。リーダーの本田君は郡山出身です。中学校の卒業式の日に被災。高校卒業後、ダンスの専門学校を経て、福島で毎年行われる「福魂祭」という東日本大震災のイベントで振付の仕事をしたり、インタビューにも積極に答えたりして、折に触れて福島県や東北の復興の役に立ちたい、ということを話していました。

2021年のOWV初のライブツアーでは仙台を開催地に選んだOWV。「ファンを東北に連れてこれて本当にうれしい」「OWVが東北を盛り上げていきたい」と話していたことをとても印象的に覚えています。

CASINOツアー発表。初日は3月11日の福島

発表されたのはセカンドツアーStrangeの最終日。日本地図が出てきて開催地と日付が発表されていき、最後に表示されたのが、3月11日の福島でした。

会場からは悲鳴のような歓声が上がりました。

OWVのファンからしたら、本田君がついに福島県に凱旋できるということは、これ以上ない喜びです。

一方で私自身は少し心配にもなりました。

3月11日にライブをするなんて不謹慎だという批判にさらされるのではないか。

結果的に、その心配は杞憂に終わりました。

そして、3月11日に開催することがOWVだけでなく、福島県の人にとって必要だったということを、当日知ることになります。

開始前から半端なかった福島県在住のファンの熱量

OWVはK-popの流れをくむオーディション番組に参加したメンバーが集まって結成したグループです。そのため、ファンの応援の流儀もK-popに倣うところがあり、誕生日やライブの際にはファンが町中に広告を出したりします。

が、今回は半端なかった。

Twitterで観測しただけでも福島県のファンの団体は2つ以上、県外のファンの団体も合わせると4-5団体が駅や町中、Youtubeに広告を出すという、多分OWV史上最大の広告祭になりました。

他にも郡山駅前のAtiというビルの壁面モニターにも広告が出ていたり、町中のカフェでドリンクを買うと本田君の広告がついたカップホルダーをくれるという企画も。

あまりの多さに、広告を企画してくれた団体から地図が配布されるほど。

協力した店舗は30店舗に上り、郡山の街が本田君凱旋広告で彩られました。

3月11日の郡山

私が郡山に着いたのは11時過ぎ。3月とはとても思えないほどの明るい晴天で気温も高く、街は春爛漫という印象。あちこちの広告を見ながらうきうきと街を散策できる、とても穏やかな雰囲気でした。

14:46。私は友人とうすい百貨店の前にいました。

ストリートピアノの前に集まる人々が黙祷を捧げています。その後、ピアノの伴奏に合わせて「花は咲く」を歌っているのを見て、やはり今日は鎮魂の日なのだ、と強く感じました。

一方で、上述の通り、多くの店舗が本田君の広告に協力してくれたり、駅や街灯にも広告を出させてくれて、街全体が本田君を応援するような空気もあります。

これ、どう理解したらいいんだろうか。

というか、私、今日ライブではしゃいじゃっていいのかしら。

自分がどういう態度でいるべきかよくわからないと思いながら会場に入りました。

黙祷から始まったライブ

昼の公演の入場が開始したあと、会場にある程度お客さんが入った段階で、今日が福島にとって大切な一日であることが説明され、被災された方々のために黙祷が捧げられました。

そのあとはいつも通りにライブが始まり、いや、いつも以上の熱量がありました。

一つには、新型コロナウィルス対策が緩和され、マスクをした状態での声出しが解禁されたことがあったと思います。でもそれ以上に「3月11日に福島でやる」という事実に対して、メンバーもスタッフもお客さんも、強い思いがあったからではないかと思います。

ライブでは大声で、何度も何度も「おかえり!」という声が掛けられました。照れて(?)人生初の反抗期になる本田君。

MCでは「やすぽん」とあだ名をつけてくれた友人や通っていたダンススクールの先生や生徒、友人、恩師など様々な人が来てくれている、と話していました。

そういう人たちの前で、今OWVが出せる最高のパフォーマンスを見せてくれたように感じました。

ライブを見た福島の人の感想

大満足でライブ会場を後にして、福島在住のファンの人たちと共に福島名物を堪能してホテルに戻り、Twitterでみんなの感想を見てみました。
中でも目に留まったのが、福島県に住んでいる人たちの感想。

福島の子供に希望を見せたいという大人たちの思い

3月11日はどうしたって辛い記憶がある1日です。そしてそれは今も完全には回復していないし、失った家族や友人に対する痛みは消えることはないでしょう。そうした複雑な思いをすべて抱えて前に進もうとしている人を、地元の人たちが全力で応援してくれたのが今回のOWVのライブだったのではないでしょうか。

福島出身の子どもが大きくなって、夢をかなえようとするのを支え、その姿を見せることで、今福島に生きる子供に希望を見せる。

それって祈りそのものだよな、と思います。

その祈りの一部として、ライブに参加できたこと、本当にうれしく思います。

私自身は、あの日、堅牢で守られた環境から津波の映像を見たことやその後の様々なことに対して、罪悪感が消えることはないだろうと思います。

本当の痛みはどうしたってわかることはできない。

そのうえで、大好きな福島の人たちを応援し、寄り添っていける人間になれたらいいなと思います。

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